十二話 前編
あの訓練の日以降、シオンは意識的に魔法と向き合うようになった。
だが、現実はそう簡単ではない。
風を“感じる”ことはできる。
だが、それを形にすることができない。
何度試しても、再現できない。
感覚だけが残り、結果が伴わない日々が続いた。
ユキからの指摘も、ほとんどなかった。
「違う」とも「こうしろ」とも言われない。
ただ、時折様子を見るだけ。
それが余計に、どうすればいいのか分からなくなる。
――放置されているわけではない。
だが、導かれている感覚もない。
そんな曖昧な距離のまま、日々だけが過ぎていった。
ただ一つ、変化はあった。
力を“意識した”ことで、できることが増えた。
特定の人物の気配を探ること。
そして――空中でわずかに静止すること。
どちらも不完全ではあるが、確かな進歩だった。
そんなある日。
「シオン、少しいいか」
ユアンに呼び止められた。
「ユキを探してきてほしい。温室にいるはずだから」
「温室……ですか」
言われた通り、意識を集中させる。
風の流れを辿るように、気配を探る。
――いた。
「……こっちか」
場所を特定し、建物の裏手へと向かう。
だが。
温室の入口は固く閉ざされていた。
鍵ではない。
どうやら魔法式のロックらしい。
軽くノックをしてみる。
しかし、分厚い扉にはほとんど響かない。
「……どうするか」
周囲を見渡すと、小さな窓が開いているのに気づいた。
「……あそこなら」
足場に軽く力を込める。
ふわり、と身体が浮いた。
まだ不安定ではあるが、短時間なら問題ない。
そのまま窓の近くまで移動し、中を覗く。
そこには――
広い花壇があった。
一面に生い茂る葉。
風もないのに、わずかに揺れている。
「……?」
違和感を覚えた、その瞬間。
葉が、ひとりでに動いた。
「……は?」
思わず目を見開く。
その様子を見ていたのか、
「……何してるの」
背後から声がした。
いつの間にか気づいていたらしい。
ユキが、こちらを見上げていた。
やや呆れた視線。
「総司令官から、探してきてほしいと……」
「……そう」
短く返す。
わずかに間が空いたあと、小さく舌打ちが聞こえた。
そして、
「……行く」
それだけ言うと、入口へと向かった。
扉が開き、すぐに閉じられる。
再び鍵がかけられる音。
そのまま二人は本部棟へと戻った。
その後――
あの温室が、マンドラゴラの栽培施設であることを知った。
“近づくな”
そう本能が警告していた。
――だが。
翌月。
「……来て」
なぜか、その温室の前に呼び出された。
「え、ここですか……?」
嫌な予感しかしない。
だが、断れる空気ではない。
中に入った瞬間。
「んー……あともう少しかな」
空気が変わった。
「この子たちには別の栄養剤が必要かも……」
ユキの声が、妙に柔らかい。
普段とは明らかに違う。
「こっちは……うん、元気元気」
しゃがみ込み、葉に触れる。
「よかったぁ……最近日光弱かったから、ちょっと心配だったんだよね」
――完全に別人だった。
「あの……ユキ様」
「ん?」
振り返らずに返事だけする。
「まだ抜いてなかったの?」
「え」
「早く抜いて、状態確認して」
さらりと言われる。
「……これ、あれですよね」
「なにが」
「マンドラゴラ、ですよね……?」
「そうだけど?」
軽い。
軽すぎる。
「男なんだから、もっとガッといこうよ」
「いやいやいや……」
「ただのマンドラゴラでしょ?」
「ただのって……!」
思わず声が上ずる。
「普通に危険なやつですよね!?」
「だから大丈夫だってば」
まったく取り合わない。
目の前の葉を見つめる。
――抜けば、叫ぶ。
それを聞けば、最悪死ぬ。
そんな代物が、目の前に“群生”している。
「……無理です」
手が震える。
動かない。
「もう……」
ユキが立ち上がる。
「貸して」
「え、ちょ――」
ぐい、と押しのけられる。
そのまま、迷いなく葉を掴み――
引き抜いた。
「っ!」
反射的に耳を塞ぐ。
だが。
「…………あれ?」
何も起きない。
静かだった。
恐る恐る見る。
マンドラゴラは、宙吊りのまま――
ぼんやりとユキを見ていた。
「……え?」
「怖がり」
呆れた声。
「いや……だって……」
「うちの子たちは大丈夫」
さらりと言い切る。
「すみません……」
素直に頭を下げる。
ユキはそれ以上何も言わず、個体の状態を確認し始めた。
「うん、良好」
優しく撫でる。
「このまま大きくなるのよ」
土に戻すと、自分で埋まっていく。
その様子に、また驚く。
作業は淡々と続いた。
やがてすべて確認し終えると、ユキは温室の屋根を操作した。
天井が開き、光が差し込む。
その瞬間。
一斉に顔を出すマンドラゴラたち。
「今日は日差しがいいからね」
嬉しそうに笑う。
「ちゃんと栄養とりなさい」
その姿は、まるで――
本当に子供を世話する母親のようだった。
「……大変じゃないんですか」
思わず聞く。
「大変だよ」
あっさりと答える。
「でも楽しい」
少しだけ、柔らかく笑う。
「だから、早く慣れて」
「……頑張ります」
「うん」
短いが、前よりも優しい返事だった。
少し間が空く。
「……なんで、マンドラゴラなんですか」
ふと疑問を口にする。
「花もあるよ?」
「いや、そっちじゃなくて……」
少し考え、
「誰に教わったんですか」
そう聞いた。
すると。
ユキは一瞬、目を丸くした。
「……君のお父様」
「……はい?」
思わず声が裏返る。
「ジゼルさん」
「え、いや……本当に?」
信じられない。
「本当」
少し懐かしそうに目を細める。
「初めて見せてもらった時、すごく嬉しかった」
静かに語る。
普段より、少しだけゆっくりと。
その表情は――柔らかかった。
「昔、あまり外に出られなくて」
ぽつりと続ける。
「その時に連れ出してくれたのが、あの人だった」
少しだけ、視線を逸らす。
「……それで、好きになった」
短くまとめる。
だが、十分だった。
「……そう、だったんですね」
それ以上は踏み込まない。
踏み込めない。
しばらく沈黙が続く。
その時。
ふわりと、音がした。
「……?」
耳を澄ます。
小さな声。
歌のような、鼻歌のような。
「……歌ってる?」
「うん」
ユキが少しだけ嬉しそうに頷く。
「この子たち」
「マンドラゴラが……?」
「そう」
いくつもの声が重なる。
不思議な旋律。
温室の中に、やさしく響く。
「……すごいですね」
素直にそう思った。
「でしょ?」
少しだけ誇らしげに笑う。
その笑顔を見て、
シオンは、ほんの少しだけ思った。
――この人は、やっぱり分からない。
でも、
前よりは、少しだけ近づけた気がした。
そんな一日だった。




