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429.

 いじけること十分。


 私はリビングの真ん中でひざを抱えたまま、ちらちらと吹雪の方を盗み見ていた。


 吹雪は子狐を膝に乗せ、毛並みをゆっくりと梳かしている。

 子狐は気持ちよさそうに目を細め、ふすーふすーと幸せそうな寝息を立てていた。


(かわいい……)


 私の手がじわじわと伸びていく。


「いかん」


 吹雪が目も向けずに言った。


「見てたの!?」


「気配でわかるわ。あんたの欲望は音がするんじゃ」


 私は手を引っ込めた。


 欲望に音があるのかはともかく、このままでは触れない。

 触れないなら、せめて。


「ねえ吹雪。名前、つけてもいい?」


 吹雪がこちらを向いた。


「名前?」


「だって、ずっと子狐って呼ぶのも。ほら、情も湧くし」


「……まあ、名前をつけるくらいなら」


 吹雪が少し考えてから頷いた。


「危険はないじゃろうしな」


「やった。じゃあ……テンコ」


「テンコ、か。天狐じゃからのう、まあ妥当——」


 その瞬間だった。


 ぴかっ。


 子狐の全身から、眩いばかりの金色の光が溢れ出した。


「ふぇっ!?」


「なっ!?」


 私と吹雪が同時に後ずさる。

 光はどんどん強くなり、リビング全体を白く染め上げていく。


『あ』


 真理の声がした。


「あ、じゃないよ!? なんかやばいことになってるよ!?」


『えーっと、天狐に名前を付与すると、神の力が流れ込んで覚醒するらしいっすね』


「それ先に言って!?」


『聞かれなかったし!』


「役に立ってよポンコツ!!」


 光がひときわ強く弾けた。


 しばらく。


 目を開けると、さっきまで赤ん坊だった子狐が、ふわふわの毛並みはそのままに、一回り大きくなって座っていた。


 ぱちぱちと目を瞬かせ、辺りをきょろきょろと見回している。


 そして。


「おなか、すいた」


 澄んだ声で言った。


 しばらく沈黙があった。


「しゃべった」


 私が言った。


「しゃべったのう」


 吹雪が言った。


「おなか、すいた」


 テンコがもう一度言った。


『成長と同時に言語習得も完了したみたいっすね。名前の付与で神の力が流れ込んで、覚醒が促進されたっぽいっす』


「それ先に言ってって言ったじゃん!」


『だから知らなかったって言ったじゃないっすか』


「ポンコツ!!」


 吹雪が深く、深くため息をついた。


「……ミカよ」


「な、なに」


「あんた、またやらかしたのう」


「ごめん」


「何をするたびに大事になるんじゃ、あんたは」


「ごめんって」


 テンコが、私と吹雪を交互に見ていた。


「おなか、すいた」


「わかった、今すぐ用意するわ」


 吹雪がため息をもう一つついて立ち上がった。

 テンコがとてとてとその後をついていく。


 私はその場に座ったまま、しばらく何も言えなかった。


(名前をつけるだけで覚醒するとか、誰が思うんだよ)


『マスターが神の力持ちすぎなんっすよ』


「うるさい」


『いや本当に。普通の人が名前つけても何も起きないっす。マスターが付与したから神の力が流れ込んだんっす』


「……じゃあ私が悪いの」


『まあ、そっすね』


「ポンコツのくせに余計なこと言わないでよ」


『事実っすよ』


 私はごろりと床に寝転がった。


 キッチンの方から、吹雪がミルクを温める音と、テンコの「おなか、すいた」が聞こえてくる。


 まあ、いっか。


 しゃべれるようになったなら、それはそれで可愛いし。


「ミカ、こっちに来い」


 吹雪に呼ばれた。


 私がのそのそと起き上がってキッチンに向かうと、テンコがじっとこちらを見ていた。


「おまえが、テンコってつけた?」


「そうだよ」


「ふーん」


 テンコはしばらく考えるような顔をしてから、ちょこんと私の膝に前足を乗せた。


「ありがと」


 私の顔が、一気に崩れた。


「かわいいいいいいいい!!!!」


「うるさい」


 吹雪が冷たく言った。


「でもかわいいでしょ!!」


「うるさいっつっとるんじゃ」


 テンコは「おなか、すいた」とまた言った。


 山の小屋に、新しい賑やかさが一つ加わった日のことだった。

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※3/17(火)


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名づけでさんざやらかしてるの忘れてる美香が悪い。
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