3.かすかな衣擦れ
なんとも奇怪な死に様だったが、変死は変死。
警察の捜査が一応入り、事故ということになった。
新聞には、故スタブローザ男爵の養女が、結婚式で転倒して亡くなったことだけ出ていた。
弁護士が、報道を抑えたのだろう。
ゴシップ紙は、剛腕だったスタブローザ男爵を恨んでいたものの怨念だろうと書き立てていた。
記事によると、心が壊れたアントネッラは、あのまま療養所に送られたそうだ。
いずれにせよ、式の途中でルイーズが亡くなったため、結婚は不成立。
スタブローザ男爵の爵位は消滅、資産は財団という形に整理し、社会貢献活動の原資にされるらしい。
半月ほど後──
ヴァランタンは、やつれ果てたジュリアーノを屋敷に迎えにゆき、大神殿に向かった。
家宰と弁護士が相談の上、当面、屋敷で療養させていたのだ。
相続の条件を満たすことはできなかったが、彼は亡き男爵の唯一の近親者。
財団の、しかるべきポストを用意する話も出ているらしい。
結婚式で起きた惨事は、「不幸な事故」ということになった。
だが、大神殿の「第三文書部」が内々に調査することになり、当事者であるジュリアーノに聞き取りがしたいとエスキベルから連絡があったのだ。
受付には、エスキベルが待っていた。
なんの装飾もない、がらんとした面談室に案内される。
年若い神官が茶を持ってきてくれ、ヴァランタンとジュリアーノは、エスキベルの向かいに座った。
「先日は、ご愁傷さまでした」
改めて、エスキベルは挨拶した。
喪服姿のジュリアーノが、人形のように頭を下げる。
「ジュリアーノさん。
おうかがいしたいことが二三、あります。
……大丈夫ですか?」
エスキベルは、ジュリアーノの顔を少しのぞきこんだ。
「ええ」
力なく、ジュリアーノは頷く。
エスキベルは、静かにノートを開いた。
「あなたは、ルイーズ・スタブローザと婚約していた。
彼女は、金髪のややぽっちゃりした女性でした。
だが、式の様子では、あなたは、黒髪のほっそりした女性『マティルド』こそ、ご自身の花嫁であると認識していたように見受けられました。
そういう理解でよいのでしょうか」
「……はい」
エスキベルは、わずかに身を乗り出した。
「どうして、そんなことになったのでしょう?」
「……弁護士には、僕が結婚する相手は『ルイーズ』だと教えてもらっていました。
容貌については、なにも聞いていなかった。
初めて会った時、彼女は『私があなたの妻となるマティルドだ』と堂々と名乗った。
それで、自分がなにか勘違いしていたんだと思い込んだんです。
……仕方ないじゃないですか。
本人が、自分はマティルドだと言ったんです!」
ジュリアーノは、押し殺した声で主張した。
静まり返った小部屋の中、エスキベルがさらさらと走らせるペンの音だけがする。
「弁護士は、おそらく『スタブローザ嬢』と呼んだでしょうしね。
しかし、母親は、娘の名を呼んでいたのでは?」
「それが、その……僕には、夫人が『マティルド』と呼んでいるように聞こえていたんです。
夫人だけじゃない。
執事やメイドだって、『マティルド様』と呼んでいた。
少なくとも、僕にはそう聞こえていた」
ジュリアーノは、苦しげに言う。
自分でも、自分が言っていることが信じられないようだ。
急に、ジュリアーノはヴァランタンの方を向いた。
「ヴァランタン卿。あなたには、彼女はどう見えていたんですか?
僕が、マティルドと呼ぶのだって、あなたは聞いていたはずだ」
震える声で問いただされて、ヴァランタンはちらりとエスキベルを見た。
神官は、軽く頷く。
「……実は、私はあなたが彼女をなんと呼んだのか、聞き取れなかったんです。
急に、酷い耳鳴りがして。
ただ、彼女は……あなたが、婚約者だと紹介してくれた金髪の女性は、ルイーズだとはっきり名乗った。
それは確かです」
「そんな」
ジュリアーノは息を飲んだ。
「ちなみに、使用人や弁護士は、あなたが彼女をマティルドと呼ぶのを聞いたことはなかったそうです。
皆、あなたは普通に、ルイーズと呼んでいたと証言しています」
「え? それは、どういう?」
エスキベルの補足に、ヴァランタンは戸惑った。
「どういうことなんでしょうね。
もし、ジュリアーノさんだけが、金髪のルイーズが、黒髪のマティルドに見えてしまうのなら、失礼ですが普通はジュリアーノさんが狂っていることになる」
びく、とジュリアーノの肩が跳ねた。
「しかし、ジュリアーノさんがマティルドと呼んでいるのに、周りにはルイーズと聞こえていたとなると、その説明では怪しい。
自分はマティルドと呼んでいるつもりで、実際にはルイーズと発音しているなんて、おかしいでしょう。
そもそも、あの結婚式で、黒髪の花嫁が金髪の花嫁を追い詰めていくのを、列席者全員が見ている。
『百合の神殿』の大神官も、聖都でも有数の弁護士達もです。
もちろん、私自身も、ヴァランタン卿も。
ジュリアーノさんも、屋敷の者も、列席者も、全員が狂っているという説明は、さすがに成り立たない」
「つまり、どういうことなんですか?」
ジュリアーノは、眉を寄せた。
「複数の人々の認識を同時に操ることができる存在が、あの事故に介在していた、となりますかね……」
他人事のように、エスキベルは告げた。
バン! と花嫁を失った男は、テーブルを叩いた。
「じゃあ、僕のマティルドは、なんだったんですか!?
あなた達だって、あの結婚式で見たんでしょう!?
あの屋敷に棲む、幽霊かなにかとでも!?」
エスキベルはため息をついて、ジュリアーノの眼を見つめる。
「『マティルド』は、アントネッラ夫人とルイーズ嬢になんらかの因縁があるようでしたが。
ルイーズ嬢の腹違いの姉が、『マティルド』という名だったんです」
「は? 十歳で死んだ、先妻の子……?」
「そうです。
マティルドは、庭の石段を踏み外して転び、頭を強く打って、亡くなった。
先日、マティルドが亡くなった町に行ってみたのですが。
隣人の証言によると、どうも日頃から、継母のアントネッラ夫人や妹のルイーズに酷くいじめられていたそうで。
やりすぎて、とうとう殺してしまったんじゃないかと地元で噂になって、夫人は逃げるように引っ越していったとか」
ヴァランタンは、ぎょっとした。
マティルドの死に方は、ルイーズの死に様そのものだ。
ありがちな、不幸な事故のように聞こえる。
だが、どうなのだろう。
結婚式の時、マティルドは明らかにルイーズを狙っていた。
継母であるアントネッラではなく。
もしかしたら、ルイーズに突き飛ばされて、マティルドは死んだのではないか。
それも、ただふざけて押したのではなく、殺意をこめて。
八歳の少女が、十歳の姉を殺す。
恐ろしいことだが、ありえなくはない。
「じゃあ、その亡くなった少女が妹に取り憑いて、一緒に成長していたとでも言うんですか!?
二人を恨んでいたのなら、さっさと復讐すればいいのに」
ジュリアーノは、吐き捨てるように言った。
「それは……私の口からは、なんとも申し上げられませんが」
エスキベルは、視線を泳がせた。
「……あなたに恋をしたからじゃ、ないですか?」
ヴァランタンは、思いつきを口にした。
黒髪の花嫁が、ジュリアーノに向けた、哀切きわまりないまなざしが脳裏に甦る。
「すぐに復讐できるものなら、していただろうと私も思います。
でも、当時の彼女にはできなかった。
じゃあ、なぜできるようになったのか」
ジュリアーノは、唖然とした顔でヴァランタンを見ている。
「恋をしたから、邪悪な妹と継母から、あなたを守りたいと願った。
その一心で、あなたや周囲に干渉することに成功した。
とはいえ、いくら亡霊でも力は無限じゃない……」
すうっと光に溶けていった黒髪の花嫁。
あの結婚式で、マティルドは全力を挙げて妹を斃し、きっとそこで力尽きたのだ。
ジュリアーノを不幸な結婚から守るために。
元花婿の眼から、涙が溢れ出た。
顔を両手で覆い、静かにすすり泣く。
「すみません、余計なことを言いました」
ヴァランタンは、もがもがと言い訳した。
その瞬間、ヴァランタンは、なにか衣擦れのようなかすかな音を聞いた。
ジュリアーノのすぐ傍で、ふわっと空気が動いたのが、肌に感じられる。
ちょうど、ドレスをまとった女性が、屈み込んだときのように。
反射的に眼を向けると、向かいに座るエスキベルもそちらを見ている。
気配はすぐに消えてしまったが──
「……エスキベル師。ご相談があります」
ようやく、ジュリアーノが顔を上げた。
「なんでしょう?」
「僕は……僕は、神殿に入って、マティルドの菩提を弔いたい。
……それは、許されることなんでしょうか?」
エスキベルは、少し考えた。
「問題ないかと思います。
親しい人を亡くしたことがきっかけで、女神フローラにお仕えする道を選ぶことは、よくあることですし」
たとえ、その相手が亡霊であっても、神殿にとっては問題ないようだ。
ジュリアーノは、ため息をついた。
「実は、まだ彼女の気配を感じるんです。
ふとした時に、彼女が傍にいるような感覚があって……」
ヴァランタンは、ぎょっとしてジュリアーノを見た。
今この瞬間も「マティルド」は、この部屋にいるのだろうか。
エスキベルは凪いだ眼で、ジュリアーノを見守っている。
「人は、死ねば、女神フローラの花園に咲く花となる。
現世にとどまり続ければ、やがて腐って、邪な者になるしかない。
彼女が、まだ女神の花園への道を見いだせないのなら、その道を照らしてやりたいんです。
いつか、一緒に、花園に咲く花となる日のために」
覚悟のできた眼で、ジュリアーノは言い切った。
エスキベルは、小さく幾度も頷く。
「……まことの意味で、その方を愛していらしたのですね。
では、後日、必要な手続きを係の者に案内させましょう。
今日は、静かなところで祈っていかれますか?」
「はい」
ジュリアーノは、深々と頷いた。
ヴァランタンとエスキベルは、ジュリアーノを小さな聖堂に送っていった。
近親者を失ったばかりの人々が、夜を徹して、祈りを捧げる聖域だ。
喪服姿ですすり泣く人々に混じったジュリアーノは、むしろ安らいだように見えた。
マティルドがどういう存在だったにせよ、素直に悼んでもよいのだと踏ん切りがついたのだろう。
「まさか、こんなことになるとは。
ルイーズ嬢に紹介された時から、妙だ妙だとは思っていましたが」
エスキベルと一緒に、門の方へ向かいながら、ヴァランタンは呟いた。
恋に輝いていたジュリアーノ。
その思い人が、この世に存在してはならない者だったとは。
「あなたの勘が、当たってしまいましたね」
エスキベルがしみじみと頷く。
「ああ、そうだ。エスキベル。
あなたはなぜ、神官の道を選んだのですか?」
友人となって久しいのに、個人的な事情をまるで知らないヴァランタンは、ふと問うた。
「私? 私ですか?
私は……なんというか、逃げるためにこの道に入ったというか」
「え?」
「ま、その話はまたいずれ」
苦笑すると、エスキベルは一揖し、踵を返して宵闇に紛れていった。
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