2.厭な音
「──と、いうわけなんですよ。
エスキベル、あなたも結婚式に出席してみませんか?
先方には話を通しているので」
翌日、ヴァランタンは、聖都大神殿を訪問し、友人である神官エスキベルを呼び出した。
例によって庭を散歩しながら、スタブローザの屋敷の話をする。
ヴァランタン達が奉じる女神フローラの教えでは、人は皆、死ねば女神の花園を彩る一群の花となることになっている。
だが、その教えと矛盾する事象が発生することも、稀にある。
エスキベルは、そうした事象を調査する「第三文書部」に属しているのだ。
もっとも、彼は「他の部署では記録できないことを記録する部署」と表現しているが。
ヴァランタンより少し年上、三十歳手前の神官は腕組みをしたまま首を傾げた。
「あなたは、いったいどこに引っかかっているんですか?」
「なんというか、言葉にしづらいんですが。
ジュリアーノとルイーズの感情が、あまりに食い違っているように見えて。
あと、六人もきょうだいがいて、曾孫世代は二人だけというのは、あまりに死に絶え過ぎじゃないですか?」
「あー……南部はもともと貧しい上、二、三十年前は酷かったですから。
大旱魃からの飢饉、致死率の高い流行り病と災厄が重なったので、運の悪い家系ならそれくらいのことはあるかと。
まあでも、奇妙なのは奇妙ですが」
「どのへんが、ですか?」
「あなたが関わるようになった経緯が」
「え。馬車が路肩に引っかかって困っていたから、助けただけですよ?」
「その時点で、うさんくさい。
どうも、あなたは怪異に巻き込まれる傾向がありますからね」
黒髪のエスキベルは、からかうような眼をヴァランタンに向けた。
心当たりのあるヴァランタンは、視線をそらす。
「耳鳴り、というのはどんな感じの音だったんですか?
鈴の音とか、鐘の音とか、なにか近いものは?」
「いや、ほんとに『キィン』としか言いようがない音で。
音叉を耳元でぶっ叩いたら、ああなるのかな……」
エスキベルは、少し考え込んだ。
「……なるほど。とりあえず、式には出席しましょう」
ヴァランタンは、ほっとした。
式でなにか起きるとは思っていないが、エスキベルがいてくれたら心強い。
「それにしても、なんと言って、見ず知らずの私を招待させたんですか?」
「いやー……その。
慈悲深く信徒に接する、大神殿の中でも人格の優れた方なので……ぜひ、将来の男爵閣下に紹介したい、的な?」
「えええええええ……
どうしてそんな大嘘を!」
エスキベルは、物凄く厭そうな顔をした。
式の前夜、ヴァランタンは約束通り、ジュリアーノと飲んだ。
彼は聖都の高級宿に前泊していたので、手っ取り早く、宿のバーにした。
本当は、結婚前の花婿の馬鹿騒ぎといえば、踊り子がいるような店に行くものなのだが、二人とも踊り子には用がない。
ジュリアーノは、「彼女」への愛を切々と語ってきた。
辛口のワインを飲んでいるのに、口の中が甘くなるくらいだ。
屋敷に着くまで、ジュリアーノは不安だった。
怯えていたと言ってもいい。
いくら巨額の資産と爵位がもらえるといっても、自分は庶民。
平民としては教育を受けている方だが、だからこそ、全然違う世界に踏み込まなければならないことは理解していた。
成り上がりだと、蔑まれ、排除されることだってあるだろう。
そして、婚約しなければならない女性はどういう人なのか。
弁護士の説明では、自分と同じく庶民育ちだということだったが、引き取られてから三年経っている。
貴族ぶった、鼻持ちならない女性だったら?
彼女は養女だから、スタブローザの資産に対する法的な権利を持っているが、ジュリアーノはそうではない。
ジュリアーノを頭から馬鹿にし、いたぶるような真似をされても、抵抗するのは難しいのだ。
だが、実際に会うと、そんな想像は吹き飛んだ。
二人は、ほぼ同時に、熱烈な恋に落ちたのだ。
ジュリアーノは、運命に感謝した。
ジュリアーノは、スタブローザ男爵として生きていく覚悟を固めた。
彼女もやはり、将来に畏れを抱えていたからだ。
学ばなければならないことはたくさんあるが、夫となる自分がふらついていては、彼女を守れない。
などなど。などなど──
ヴァランタンは、ジュリアーノが心の底からルイーズを愛していることを、これ以上ないくらい理解した。
先日の様子では、ルイーズがジュリアーノを愛している様子はなかったが、きっと内気な性格で、突然やってきたヴァランタンに緊張していたのだろう。
あまり飲みすぎて、二日酔いになっては明日に差し支える、ということにして、酒よりもジュリアーノののろけ話でおなかいっぱいになったヴァランタンは、早めに切り上げた。
定刻の少し前、儀礼用の制服に勲章をつけたヴァランタンは「百合の神殿」に着いた。
エスキベルと合流し、花婿の控室で、ジュリアーノに紹介する。
感動で早くも半泣きのジュリアーノを、二人がかりでなんとかなだめた。
式場となる礼拝堂は、名の通り、百合の花の精霊リーリアのステンドグラスで飾られていた。
詰めれば千人は出席できる広い礼拝堂なのに、出席者はまばらだ。
最前列には、濃い紫のドレスに揃いの派手な帽子をかぶり、着飾れるだけ着飾ったアントネッラ。
その後ろに、顧問弁護士達とその家族。
スタブローザの商会の「番頭」だった老人など、亡き男爵と親しかった者。
ルイーズとアントネッラの知人らしい女性たちが、後ろの方に数名。
色とりどりの光が差し込む薄暗い空間は、荘厳ではあったが、結婚式とは思えないほど寂しかった。
花婿の入場が告げられ、ジュリアーノが祭壇の前に来る。
そして、入口から花嫁が入場してくる。
父親の代わりに腕を貸しているのは、顧問弁護士の一人だ。
花嫁は、長いトレーンを引き、膝下まである豪奢なヴェールをたなびかせて、長い通路をしずしずと歩んでいく。
その先には、万感の思いで花嫁を見つめているジュリアーノが待つ。
なるべく大きな拍手で花嫁を見送りながら、ヴァランタンは違和感を覚えた。
確か、ルイーズの髪は麦藁色だった。
なのに、ヴェール越しに見える髪は妙に濃く、黒髪のようにも見える。
それに、結婚式に合わせてコルセットで絞り上げたにせよ、やけにほっそりしているような──
花嫁が花婿に引き渡され、結婚式が始まった。
皆で讃美歌を歌い、神官が夫婦のあるべき姿を語るのを聞き、跪いて皆で女神フローラに祈りを捧げる。
「では、誓いの言葉を。
ジュリアーノ・セラン、あなたはここにいるルイーズ・スタブローザを妻とし、生涯愛することを誓いますか?」
皆を着席させると、美々しい正装で身を飾った大神官は誓いの言葉を促した。
「はい。私ジュリアーノ・セランは、マティルド・スタブローザを妻とし、女神フローラの花園に群れ咲く花となる日まで愛することを誓います」
ジュリアーノの言葉は、晴れやかに礼拝堂に響いた。
ざわ、と皆がざわめいた。
「マティルド、だと?」
「今、マティルドって言ったわよね?」
「誰?」
ざわざわざわざわとざわめきが広がる中、最前列のアントネッラが、がくがくと震えながら立ち上がった。
「ジュリアーノさん! なにを言っているの!
あの子は、マティルドは、とっくの昔に亡くなっているのよ!?」
かすれた声で、アントネッラは叫んだ。
ゆらっと、花嫁の姿が揺らいだ。
くつくつと、笑っている。
花嫁は笑いながら、みずからヴェールをめくりあげ、顔をあらわにした。
黒髪に、つぶらな緑の瞳。
涙袋がくっきりした、愛らしい顔立ち。
誰がどう見ても、ルイーズではない。
ルイーズではない花嫁は、堂々と皆を見渡すと、アントネッラに向かって、にやりと嗤った。
「いやあああああああああああああ!」
アントネッラが、絶叫した。
床の上に崩れ落ち、声を限りに叫び続けるアントネッラを鎮めようと、顧問弁護士が駆け寄る。
ヴァランタンも、思わず腰を浮かせた。
「お、お母様!?」
花嫁が声を上げる。
振り返れば、麦藁色の髪に、ねずみっぽい顔立ち。
ルイーズだ。
今の今、黒髪の花嫁がいたのに。
花嫁衣装のルイーズが、普通に祭壇の前にいてきょとんとしている。
「君は……誰だ!?」
だが、ジュリアーノは、硬い声でルイーズを問いただした。
「ル、ルイーズよ? あなたの妻になるルイーズよ!?」
「ルイーズ!? 誰だお前は!
マティルドをどこにやった!
なんでお前が彼女のドレスを着ている!?
僕のマティルドはどこだ!」
怒り狂ったジュリアーノが、ルイーズに掴みかかる。
ヴァランタンは、飛び出した。
マティルドを返せとわめくジュリアーノを羽交い締めにして、とにかくルイーズから引き離す。
「なによこれ、なんなのよ!?」
ルイーズは、泣き叫びながら地団駄を踏んだ。
その後ろ、がらんとした内陣から、黒髪の花嫁がぬっと現れた。
列席者達から、一斉に悲鳴が上がる。
確かに、その数瞬前まで、誰もいなかったし、隠れ場所などないのに。
ばたばたと婦人達が失神し、式を執り行っていた大神官も、あわあわと腰を抜かしてしまった。
「マティルド!」
だが、ジュリアーノは歓喜の声を上げた。
ルイーズは、ぎょっとした顔でゆっくりと振り返る。
まったく同じ花嫁衣装をまとった二人は、見つめ合った。
「な、なによ……
誰なのよ、あなた」
上ずった声で口走りながら、ルイーズは後ずさる。
黒髪の花嫁は、ただふわりと微笑んだ。
ルイーズが一歩後ずさると、黒髪の花嫁が一歩踏み出す。
ルイーズが三歩後ずさると、黒髪の花嫁が三歩踏み出す。
ジュリアーノの前を通り過ぎる時、黒髪の花嫁は、せつなげな眼で花婿を見つめた。
「マティルド!」
しかし、彼が差し伸べた手は空を切る。
「ほん、とうに……本当に、マティルドなの……?」
がたがた震えながら、ルイーズは問うた。
黒髪の花嫁が、口角を吊り上げ、ゆっくりと頷く。
金髪の花嫁は、金切り声を上げると、弾かれたように礼拝堂の外へと駆け出した。
黒髪の花嫁は、するすると後を追う。
礼拝堂の出口の近く、開かれた大扉から差し込む光で、ほとんどシルエットだけになった黒髪の花嫁は、まばゆい光に溶けるように、ふっと消えた。
礼拝堂のすぐ外で短い悲鳴と、ゴンッと、なにか硬いものがぶつかったような厭な音が響く。
「マティルド!?」
ジュリアーノがヴァランタンを振り払い、消えた花嫁を追う。
ヴァランタンも慌てて追った。
「あああああ……!?」
礼拝堂の外、たった数段しかない階段の下には、ルイーズが倒れ伏していた。
その頭の下から、血が流れ出し、ゆっくりと広がっていく。
声もなく、その様子を見下ろす人垣の中から、エスキベルが進み出て、脈を取る。
ヴァランタンを見上げたエスキベルは、首を横に振った。




