1.鋭い耳鳴り
夏の終りの昼下がり。
ランデール王国の大使館付き武官・ヴァランタンは、聖都の海沿いの別荘で隠居暮らしをしている同国人の安否確認に赴いた帰り道、中途半端なところで小型馬車が停まっているのに気づいた。
小柄な老御者と細身の青年が、途方に暮れている。
「やあ。どうしました?」
ヴァランタンは馬上から声をかけてみた。
青年は、ヴァランタンを見上げた。
年は二十代なかばといったところか。
黒髪の巻き毛に、優しげな目元が印象的で、なかなかの美男子だ。
「どうにもこうにも。飛び出して来た犬を避けようとしたら、この有様で」
よく見ると、雑草の茂みに隠れていた路肩の岩に、後部車輪が引っかかってしまったようだ。
ヴァランタンが手伝えば、青年と二人で馬車を押し上げ、御者が馬に引っ張らせることができる。
なんとかなるかもしれない。
何度か試してみると、案の定巧くいった。
赤毛の大男であるヴァランタンは、力でなんとかなることなら、わりとなんとかできるのだ。
青年は喜び、少し行ったところに婚約者の屋敷があるので、茶でもどうかと誘ってくれた。
青年の名は、ジュリアーノ。
聖皇国最南端の街・ティレーで、建築技師として働いていたという。
予定より早く仕事が終わり、後は夜までに聖都へ戻るだけのヴァランタンは招待を受けることにした。
馬車についていった先は、海ぞいの丘の上に建つ広壮な屋敷で、てっきりコテージかなにかだろうと思っていたヴァランタンは驚いた。
執事が、慇懃に出迎える。
「ヴァランタン卿は、スタブローザ男爵をご存知ですか?」
海や帆船を描いた絵がやたらと飾られている玄関ホールを抜け、奥に向かいながら、ジュリアーノは訊ねてきた。
「あー……海運王の?」
確か、一代で大商会を築き上げ、男爵に成り上がった人物だ。
今年の頭、九十三歳で亡くなったと新聞に出ていた。
「そうです。彼には、子どもがいなくて。
僕の曾祖母がスタブローザの妹だったので、同じく曽祖父がスタブローザの兄に当たる女性と結婚して、改姓することを条件に、跡を継ぐことになったんです」
「えええええええ……
それはまた。おめでとうございます」
条件さえ満たせば、一夜にして莫大な資産と男爵位を得るということだ。
「ありがとうございます」
ジュリアーノは、はにかんで軽く頭を下げた。
案内されたのは、海に面したサロンだった。
その端、円テーブルを囲む肘掛け椅子の一つに座っていた令嬢が立ち上がる。
二十歳ばかりか、肉付きのよい、ふんわりした身体を、レモンイエローのデイドレスで包んでいた。
ぱっとジュリアーノが顔をほころばせ、令嬢の名を呼びかけながら、足早に向かう。
「────!」
その瞬間、キィンと鋭い耳鳴りがした。
「ヴァランタン卿、この人が僕の婚約者の──です」
また、キィンと耳鳴りがした。
ちょうど、令嬢の名前だけ聞き取れない。
「──、馬車が動けなくなったところを助けていただいたヴァランタン卿だ。
ランデール王国の方だよ」
「ランデール、ですか?」
令嬢は、ヴァランタンの母国を知らないのか、曖昧な笑みを浮かべた。
「ルイーズ・スタブローザと申します。
ジュリアーノを助けていただき、ありがとうございます」
当人が名乗ってくれて、助かったと思いながら、ヴァランタンも改めて名乗る。
メイドが、茶道具を載せたワゴンを押してきた。
ルイーズは、ヴァランタン達に座るよう勧め、紅茶を淹れてくれる。
その横顔を、隣に座ったジュリアーノはうっとりと見つめていた。
妙なカップルだった。
国元の幼馴染と婚約しているものの、男女の機微に疎いヴァランタンの眼にも、ジュリアーノはルイーズが愛しくて愛しくてたまらないといった風情。
一方、ルイーズは、どうもそっけない。
目線もろくにジュリアーノに合わせないのに、ジュリアーノはまるで気にしていない。
ルイーズは、頬骨が張っている割に、顎が急にすぼまっているので、どことなくげっ歯類を連想する顔立ち。
髪は金髪なのだが、色が淡く、灰色がかってみえる。
丸っこい眼がきょときょとと動くさまから、ヴァランタンはネズミを連想した。
お茶を飲みながら、ジュリアーノは、自分がスタブローザ男爵を継ぐことになった事情を詳しく教えてくれた。
もともと、スタブローザは農家の四男。
十代なかばで家を飛び出して、商船乗りになり、独立して海運王となった。
最初の妻とは早くに死に別れ、再婚したものの、結局子どもはできないまま、後妻にも先立たれてしまった。
この国では、養子に資産を継がせることはできる。
だが、貴族の場合は、一定範囲内の血のつながった親戚に限られる。
具体的には、被相続人のきょうだいと、その子や孫、曾孫だ。
晩年のスタブローザは、せっかく掴んだ爵位が消えるのを惜しんだのか、きょうだい達のその後を徹底的に調査させた。
では、スタブローザのきょうだい達とその子孫がどうなったかというと──
きょうだいは、本人を入れて四男二女。
長男は生家を継いだが、干ばつなどの不運が相次いで農地を売るしかなくなり、一家は散り散りになって貧窮のうちに絶えてしまった。
長女は、近隣の農家に嫁いだが、最初の出産で死亡。子どもも助からなかった。
次男は神官となり、当然子はいない。
三男は町に出て、紆余曲折の末、小間物屋となった。
その唯一の孫が、ルイーズだ。
ルイーズの父は小間物屋を継いだものの、三十二歳の若さで流行り病で亡くなった。
後妻だったルイーズの母は小間物屋を売却し、先妻の娘とルイーズを抱えて、ひっそりと暮らしていたのだが、先妻の娘も十二歳で亡くなってしまったという。
三年前に、スタブローザの弁護士が彼女たちを発見。
男爵は、十七歳になっていたルイーズとその母をこの屋敷に引き取り、養女とした。
しかし、女性は爵位を継ぐことはできない。
養女となったルイーズを適切な男性と結婚させ、夫に爵位を継がせることはできるが、スタブローザは納得しなかった。
婿候補として名乗り出たのは、いずれもスタブローザに借りのある貴族の三男四男。
どれも気に入らなかったし、結局、赤の他人に自分の財産を渡すことになるからだ。
再度、徹底的な調査が行われ、発見されたのがジュリアーノだ。
スタブローザの妹ジュリアは、行商人と駆け落ちし、すぐに別れて、各地を転々とした。
結局、宿屋を経営していた男の後添いに入り、産んだのがジュリアーノの祖母。
彼女が建築技師に嫁いで産んだ子のうち、唯一成人したのが、ジュリアーノの父、ということらしい。
「なるほど。お二人は親戚なんですね。
ええと、親同士がきょうだいなら従兄弟、祖父母同士がきょうだいなら又従兄弟、曾祖父母同士がきょうだいだと?」
ジュリアーノは、ルイーズを見やった。
ルイーズは、しらっとした顔で脇を向いている。
「特定の呼称はないので、親同士が又従兄弟、としか言いようがないですね」
しかし、ジュリアーノは、嬉しそうに照れ笑いしながら答えた。
「スタブローザ男爵は、どんな方だったのですか?」
「それが、結局、僕は会えなかったんです。
僕の曾祖母の行方がわかり、子どもがいたかもしれない、となったところで倒れたそうで。
彼の立志伝は有名でしたから、会ってみたかったですけどね。
まさか、親戚だなんて思ってもいませんでしたが」
ジュリアーノは、自分の出自を知らなかったようだ。
姓も違うのだし、駆け落ちした曾祖母は実家のことに触れたがらなかっただろうから、それはそうか。
「そうなんですか。
ルイーズさんは、しばらく一緒に暮らしていたんですよね?
どんな方でしたか?」
「……どうって。厳しい方……というか」
ルイーズは、半笑いしてお茶を濁した。
十七歳で引き取られたということは、そこから将来の男爵夫人にふさわしい教養や行儀作法を叩き込まれたはず。
父が亡くなった後、働かなければならない状況ではなかったようだから、読み書きくらいはできたのだろうが、なかなかハードだったろう。
「そうか。大変だったね。
僕がもっと早く、ここに来ていればよかった」
ジュリアーノは身を乗り出して、ルイーズの手を取り、慰めようとした。
なんだこれ? とヴァランタンは内心首を傾げた。
ルイーズは別に苦労したとは言っていないのに、ジュリアーノは辛い日々を過ごしたと切々と訴えられたような反応だ。
ルイーズは、気まずそうにそっと手を引いた。
ちらっと、困惑したような顔でヴァランタンを見る。
そこに、ルイーズによく似た、赤のデイドレスを着た中年の女性がやって来た。
昼間の衣裳としては、化粧もアクセサリーも若干けばけばしい。
「ジュリアーノさん、いらしてたのね。
こちらは?」
ジュリアーノはヴァランタンを紹介した。
女性は、案の定、ルイーズの母・アントネッラだった。
「申し訳ありませんけれど、ルイーズはお式の支度がございますので」
「え。式というと……結婚式ですか!?」
ヴァランタンはびっくりした。
「はい。明後日の土曜日、聖都の『百合の神殿』で」
アントネッラは誇らしげに、神殿の名を告げた。
大聖女の御座所で、皇族が挙式する「大神殿」に次ぐ格式の神殿だ。
そんな神殿で娘が挙式するのが嬉しくてたまらないのだろう。
肝心のルイーズは、どこか浮かない顔だが。
「す、すみません! そんなお忙しい時とは知らず、お邪魔してしまって」
ヴァランタンは腰を浮かせた。
いやいやいや、とジュリアーノが押し留め、アントネッラも慌てる。
「ああそうだ。ヴァランタン卿。
よろしければ、式に招待させていただけませんこと?
私どもは、こちらに移ってから出来たお友達が少しはいますけれど、ジュリアーノさんは、縁のある方がほとんどいらっしゃらなくて。
独身最後の夜の飲み会も、省略するしかないんです」
「あー……南部からいらしたんでしたね」
そうか。聖都からだと、片道十日はかかるから、地元の友人を招待するのは難しい。
ジュリアーノも、新たな友人が欲しかったのか、期待の眼差しでヴァランタンを見上げている。
ヴァランタンは、考えた。
少し話しただけだが、ジュリアーノには好感を持った。
一方、妙なあぶなっかしさも感じる。
「……明後日なら、大丈夫です。
これも奇縁ということで、お祝いさせてください。
なんなら、独身最後の夜も、おつきあいしましょう」
「ほんとうに!? ありがとうございます!」
ジュリアーノは喜び、アントネッラは仰々しくお礼を言う。
ルイーズも、ほっとした表情を見せた。




