第85話
かつて近づく者の装備を奪い、精神を狂わせる「磁気の処刑場」だった浮遊島アイアン・ヘヴンは、今や全人類が一生に一度の浮遊体験を求めて訪れる『絶対非磁性・天空無重力スマイルシティ』へと変貌を遂げていた。
総帥アルベルトが投じた白金貨十一億枚。
巨大なセラミックドーム内には、重力を自在に操る反重力場が形成され、人々は鳥のように空を舞い、メタリックに輝くクオッカたちと共に空中で追いかけっこを楽しんでいる。
ドーム中央の「スマイルタワー」からは、見るだけで幸福脳内物質が分泌される特殊なオーロラが放たれ、クオッカたちは「キュフゥ~!」と幸せそうに口角を上げ、ロイドの膝の上で重力から解き放たれた「黄金の毛玉」と化していた。
「素晴らしい……。この、一切の束縛(磁気)を感じない自由な空間。そして、空中を漂うクオッカちゃんたちの『重力を嘲笑うかのような至福のスマイル』。これぞ、文明が到達すべき真のハピネスです……!」
『キュフッ!(お体がふわふわピィ! お空のグミも美味しいピィ!)』
黄金のスマイルタワーを背に、ロイド・グランヴェルの腕の中では、クオッカが最高の笑顔でロイドの鼻先に自分の鼻を「ペタン」と押し付けていた。
その横では、秘書官のクラウスが無表情のまま、ロイドのスーツに付着した微かな磁気ノイズを『磁気除去コロコロ(超伝導消磁版)』で「シュゴォォォッ! ズババババッ!」と凄まじい吸引音と共に完全に消去している。
そこに、耳障りな重力歪曲音がドームの静寂を切り裂いて響き渡った。
「貴様ぁ! せっかく我々が構築した大陸射出用の重力カタパルトを、ただの空中ブランコの動力に変えるとは何事だ! クオッカは世界を宇宙の彼方へ弾き飛ばすための『永久磁気エンジン』なのだぞ!!」
ドックを突き破り、異様な重力波を放つ質量投射砲を構えて乱入してきたのは、オーディン直属の『質量兵器開発班』だった。
彼らは心の機微を「質量」としか捉えず、笑顔を「推進力の無駄」と断じる、無機質な軍事主義の信奉者たちだった。
「この出力を全て射出エネルギーに回せば、目障りな大陸ごと異空間へパチンコのように飛ばせるのだ! さあ、その光る電池をこちらへ渡せ!!」
リーダー格の男が砲身の重力加速スイッチを全開にしようとした、その時だった。
「……なるほど。重力を高めること、質量を飛ばすことだけに固執した結果、自分たちの『信頼の重み』の無さには気づかなかったようですね」
ロイドは溜息を一つ吐くと、クオッカを抱いたままゆっくりと宙に浮き上がった。
その瞳には、先ほどまでの慈愛など微塵もない。世界を裏から支配する、冷徹な特命代理としての貌だった。
「クラウス」
「はい、ロイド様。――不良在庫の『一斉射出(市場パージ)』を開始します」
クラウスがタブレットの「決定」を叩いた瞬間。
ドーム内の全反重力パネルから、逆位相の「質量相殺パルス」が放たれた。
工作部隊が誇る巨大な質量投射砲は、その存在自体の「質量(重さ)」を魔導的にゼロへと書き換えられ、発射の衝撃に耐えきれず「ペシャンッ!」と風船のように萎んで塵へと変わった。
「な、なんだと……!? 我が班の最終兵器が、存在の重さを失って消えただと……!?」
「『虚空の開拓者』。あなた方が大陸を飛ばそうとしたその重力利権……。そしてあなた方の組織が今期投資していた全物流ルートの担保権を、我が財閥が先ほど『一方的な経済的重力崩壊(倒産)』によって、すべて接収させていただきましたよ」
ロイドは空中に巨大なホログラムウィンドウを展開した。
そこに映し出されたのは、国際航空物流ギルドの総帥と、重力物理学会の会長だった。
「総帥、ならびに会長。お疲れ様です」
『はっ! ロイド様! 例の工作部隊による『無許可の惑星規模質量操作テロ未遂』の証拠、すべて受理いたしました。彼らが保有する全ての浮遊資産は、現在、我がギルドが差押え……いえ、ロイド様の仰る通り『ゴミ箱へ射出』いたしました!』
開発班のリーダーはその報告を聞き、無重力の空気の中で手足をバタつかせた。
(バカな、我々の質量計算は絶対だったはずだ……!)
「あなたが『質量を奪って世界を飛ばす』という野蛮な作業をしている間に、我が社はあなた方の『存在の重み(社会的信用)』をゼロにしておきました。……つまり、現在あなたが乗っているその司令艦も、あなたが纏っている強化服も、既に我が財閥の『廃棄予定のバルーン人形』と同等の価値しかありません」
ロイドは、極上の微笑みを浮かべて、破壊者たちの息の根を止める完璧な提案を披露した。
「会長。この男たちの全機材を、直ちに『空中遊園地・全自動ポップコーン浮遊機』へ改造してください。没収した投射砲のコアは、直ちに『クオッカちゃん専用・全自動スマイル増幅ライト』の光源に転用するのです」
重力学会会長たちが、感銘を受けたように深く頷く。
『素晴らしいご提案です! これにより空の航路は守られ、同時に闇の質量兵器ルートも完全に断たれました! ロイド様、あなたは重力から解放された世界の救世主だ!』
「ま、待ってくれ! 我々の最先端質量制御技術を、ただのポップコーンに使うというのか!? そんな非合理的な……!」
「合理性? ……そうですね。私にとって最も価値があるのは、この子が無重力の中でお菓子を食べて、最高の笑顔で『キュフゥ』と鳴く、この非合理的で最高に贅沢な時間ですから」
ロイドの冷徹な宣告に、工作班のリーダーは言葉を失い、絶望のあまり無重力の空虚の中で精神がメルトダウンして倒れた。
「お引き取りを。あなた方の下劣な重力波のノイズでは、クオッカちゃんが、幸せを噛みしめる音を聴き逃してしまいますので」
ロイドが優雅に指を鳴らした直後。
工作部隊の醜い命乞いは、財閥法務部(回収班)によって物理的に塞がれ、そのまま一生「笑顔も浮遊感もない、超高重力の地下牢獄」へと強制連行されていった。
ほんの数分。
一滴の血も流さず、一つの巨大な闇組織の質量拠点が社会から消去され、同時にアイアン・ヘヴンが「全人類の憧れの無重力スマイルシティ」へと浄化されたのである。
「……ふぅ。まったく、せっかくの自撮りタイムを邪魔されるとは」
ロイドが視線を落とすと、巨大クオッカが「キュフゥ~!」と嬉しそうに鳴きながら、無重力の中をプカプカと泳いでロイドの首筋に甘えてきた。
「ああ、お待たせしましたね。さあ、もう一度、最高のスマイル・マッサージを楽しみましょうか」
先ほどまでの冷徹な顔は幻であったかのように、ロイドは目を細め、愛しいクオッカのメタリックな毛並みに沈み込んだ。
「……ロイド様。工作員の資産接収、およびこの島の『特級空中無重力リゾート・独占運用権』の取得が完了しました。我が社がドームを建設したことで、この空中島は大陸最大の観光拠点として天文学的な時価総額を記録しております」
クラウスが無表情のまま、『磁気コロコロ』を「ガシュゥゥッ!」とロイドの背中に転がす。
「素晴らしい。これで、この子たちのためにさらに極上の環境を整えられますね」
破壊者を経済と権力で轢き潰し、空の幸福を守りながら、浄化された浮遊島から莫大な富を生み出す。
世界一理不尽で、世界一優雅なワケアリ不動産の快進撃は、とどまることを知らない。




