第69話
ロイド・グランヴェルが優雅に指を鳴らした直後。
漆黒の海、黄金都市エル・ドラドを包み込む「圧殺の渦」に向けて、海上の魔導艦から極大の『超広域・水圧ベクトル固定および海水分子安定』の光が放たれた。
――ズゥゥゥゥゥンッ……!!
それは海水を排除するのではなく、周囲の水圧を「一定の方向」へと綺麗に整列・固定し、対象範囲内だけを地上の公園と同じ「無害な重力下」に書き換える精密な上書きだった。
まばゆい光が海底を舐めるように広がった瞬間、あらゆるものを握りつぶしていた水圧の壁は消滅し、黄金の神殿群はまるで博物館の展示物のように、静謐で安全な空間へと姿を現した。
数秒後。
後には、水の抵抗を一切感じず、素手で黄金に触れられる『世界一ラグジュアリーな深海聖地(更地)』だけが残されていた。
『ぷきゅ!?(体がかるいピィ!?)』
巨大メンダコが、自分を縛り付けていた水圧から解放され、大きな瞳をパチパチさせながら、耳のようなヒレを全力でパタパタさせて喜びの舞を披露した。
「お見事。今回は流体力学の再定義という少々大掛かりな作業でしたが、我が一族のお家芸はいつ見てもスマートですね」
ロイドは満足げに微笑み、ホログラム通信を展開した。
案の定、呼び出し音を待たずして、画面が海水で濡れているかのような勢いで兄の絶叫が響き渡る。
『ロォォォォォイドォォォォォ!! 私の愛する弟よ!! 水深五千メートルの暗黒に潜ったと聞いたが、肺がペシャンコになっていないか!? エラ呼吸は!? エラ呼吸は習得したのか!?』
画面の向こうのアルベルト・グランヴェルは、なぜか巨大な『酸素ボンベ』を十本ほど体に縛り付け、自ら深海魚の着ぐるみを着て水槽の中に潜りながら、涙を流して絶叫していた。
「お疲れ様です、総帥閣下。ええ、R&Dの完全耐圧スーツのおかげで、極上の耳ヒレ(メンダコ)を堪能する余裕すら――」
『何ということだ……! 苦しい! 苦すぎるではないか! 弟が魚雷のような速さで迫る水圧に抱きしめられているぞ!!』
アルベルトが、水槽のガラスを素手で粉砕して(?)頭を抱えた。
『愛する弟と、そのもちもちしたパンケーキちゃんが、そんな冷たくて暗い場所で窒息しかけているだと!? 万が一、そのせいで弟の美しい髪に海藻が絡まったらどうする! 宇宙の法則が許してもこのアルベルトが許さん!!』
「兄さん、メンダコですから深海は彼らにとっての寝室のようなものなのですが」
『黙れ! おい経理! ロイドの口座に【ワケアリ黄金都市・超巨大酸素ドーム&深海床暖房建造費】として白金貨八億枚を叩き込んでおけ!』
「……は、八億!? 兄さん、ついに世界の海洋利権すべてを買い取れる額(予算)になりましたよ!?」
『水圧など一切シャットアウトしろ! この広大な黄金都市全域を、海水を完全に排除する【最高級魔導耐圧強化ガラスの巨大ドーム】で覆うんだ! ドーム内には、メンダコちゃんたちが乾かないように【特級化粧水入り・温水プール】と、弟が寒くないよう【海底地熱利用の床暖房】を完備しろ! 中心には、常に新鮮な酸素を供給する【純金製の巨大人工肺プラント】を設置し、地上より美味しい空気を循環させるんだ!!』
涼しい顔で、海底一万メートルに「世界最大の空気の要塞」を丸ごと一つ建設するという、海洋学を札束で蹂躙する環境改造を命じる総帥。
「……はぁ。クラウス、今日も絶好調ですね」
「ロイド様。白金貨八億五千万枚の入金、確認いたしました(メンダコちゃん用の高級吸盤クリーム代含む)」
クラウスが無表情のまま、タブレットを操作して処理を進める。
これで今回も、一件落着……誰もがそう思った、その時だった。
――ギギギ、ガガガッ!!
整地されたばかりの黄金都市の床を突き破り、深海専用の『高圧粉砕・採掘機』を先頭にした、黒い潜水部隊の影が現れた。
その機体に刻まれているのは、『虚空の開拓者』の紋章。
「……ほう。やはり、この都市の黄金を『兵器用の高密度素材』として圧縮回収しようとしていたのは、あなた方でしたか」
ロイドは、腕の中で「ぷきゅ?」と首を傾げているメンダコを優しく撫でながら、現れた無機質な機械群を見据えた。
「クラウス。あの採掘機……先日解体した『意識情報統制班』のアンテナと、内部の魔導回路の設計思想が一致しませんか?」
「……はい、ロイド様。さらに音波通信を傍受したところ、オーディン直属の『物質高密度化班』が動いています。どうやら、このメンダコの『全方位圧縮能力』を増幅させ、あらゆる物質を極小の兵器へと圧縮する『超効率的な兵器製造工場』に改造しようとしているようです」
「……なるほど」
ロイドの瞳から、温かな光がスッと消えた。
モフモフの「抱っこ(抱擁)」を兵器のプレス機として利用し、歴史ある黄金をただの弾丸に変えようとする破壊者たち。
「万死に値しますね。……ちょうど良いでしょう。新しく完成する酸素ドームの『最初の不要な錆びた鉄屑(工作員)』を排除するとしましょうか」
背後で数万人の工兵部隊が、海底を覆い尽くすほどのガラス支柱を凄まじい速度で打ち込み始める中。
ロイドは優雅に、だが決定的な殺意を込めて指を鳴らした。




