第66話 深海の黄金都市と、もちもちの巨大メンダコ
グランヴェル財閥・ワケアリ不動産本社要塞。
空の安眠を満喫したロイド・グランヴェルの元へ、今度は海洋開発局の次官が、全身から冷や汗(と海水)を流しながら駆け込んできた。
「ロ、ロイド社長……! 助けてください! 深海に発見された『呪われた黄金都市』を、どうか買い取っていただきたい!」
提示された映像には、暗黒の海底で鈍く光り輝く、黄金造りの巨大な神殿群が映し出されていた。
「ふむ。深海の黄金都市、ですか。非常に資産価値が高く、ロマンに溢れた物件ですね」
ロイド・グランヴェルは、最高級の炭酸水で喉を潤しながら、優雅に微笑んだ。
「ロマンなどと、とんでもない! あの都市の周辺は、物理法則を無視した『超・高水圧』に支配されているのです! 最新鋭の魔導潜水艦ですら、一歩踏み込めば空き缶のようにクシャクシャに握りつぶされます! すでに数名の深海魔導師が調査に向かいましたが、全員が『海に抱きしめられて潰された』という謎の通信を最後に消息を絶ちました……」
次官は、震える手で深海の圧力計の数値を示した。
「今やあの海域は、触れる者すべてを粉砕する『圧殺の地獄』です! 黄金を回収することすら不可能です! 権利はタダで差し上げますから、どうか……あの呪われた深海を更地にして(引き取って)ください!」
踏み入れば最後、全方位からの圧力で肉塊に変えられる深海。
(ふっふっふ、いくら財閥でも、数千メートルの水圧を札束で押し返すことはできまい。そのまま深海の藻屑となって沈むがいい!)
そんな浅ましい計算など、ロイドと、背後に控える秘書官のクラウスには一秒で筒抜けだった。
しかし、その話を聞いていたロイドの瞳は、圧殺への恐怖など微塵もなく――深海よりも深く、澄んだ『歓喜』に満ち溢れていた。
(あらゆる物体を均等に、情熱的に押し潰そうとする圧倒的な圧力。そして、海底から聞こえるという、耳のようなヒレをパタつかせるようなリズミカルな音……!?)
冷徹なビジネスマンの仮面の下で、ロイドのモフモフセンサーが水深一万メートルを突破するほどの警報を鳴らしていた。
(これは呪いなどではない。何らかの巨大な意思が、自分の住まいを『最高に気持ちいい抱擁感』で包み込もうとして、力が入りすぎているだけ……。このもちもちした質感の予感、間違いない……!!)
「素晴らしい……!」
「ひっ!? な、なにが素晴らしいのですか!?」
歓喜の声を上げたロイドに、次官が椅子から転げ落ちた。
「間違いない! 『圧殺の地獄』などという不吉なものではありません! その中心には、黄金の都市を巨大な座布団にして、耳のようなヒレをパタパタさせながら微睡んでいる、究極のもちもち・モフモフ……深海のアイドル(巨大メンダコ)がいるに違いありません!」
「は……? め、めんだこ……?」
「あの独特の、パンケーキのように平べったいフォルム! 頼りなげにパタつくヒレ! そして、吸盤すら愛おしい圧倒的な『吸い付き感』! ええ、契約しましょう。その無料の深海物件、我が社が喜んでお引き受けいたします」
ロイドは流れるような所作で契約書を完成させ、呆然とする次官を「お耳抜きを忘れずに」と優雅に追い出した。
***
「……ロイド様。あのような物理的に『潰れる』土地、転売の価値があるのですか?」
次官が去った後、クラウスが無表情のまま尋ねた。
「当然です、クラウス。あの男は、自分がどれほどの『抱擁』を手放したか理解していません。……魔獣を保護し、お家芸で『周囲の異常な水圧ベクトル』だけを綺麗に固定して更地にすれば、後に残るのは『水中にいることを忘れるほど快適な、深海黄金リゾート(更地)』です。世界最高のラグジュアリー拠点になりますよ」
深海を更地にする。
一介の不動産屋が口にしていい規模の流体力学への反逆ではないが、彼らにとっては、少し多めの水槽の掃除程度の認識である。
「なるほど、完璧なビジネスですね。……ところで、ロイド様。今回の水圧異常の原因ですが」
クラウスは手元のタブレットを操作し、その無表情の奥に、海底火山のような熱い殺意を宿した。
「黄金都市の周辺に、『虚空の開拓者』の潜水艇が展開しています。どうやら、メンダコの圧力を利用して、黄金の建造物を『超高密度エネルギー結晶』に圧縮し、兵器の材料として回収しようとする実験を行っているようです」
「……おや、そうですか」
ロイドは、極上の微笑みを浮かべた。
しかし、その瞳の奥には、深海の暗黒よりも深い殺意が静かに渦巻いている。
「都合がいいですね。私の愛する家族を、プレス機の部品として酷使する無粋な輩。……極上のメンダコを保護しつつ、同時に目障りな黒幕の『深海採掘プラント』を、我が社が合法的に『経済的抹殺(資産没収)』して差し上げましょう」
「ええ。では、R&Dに命じておいた【完全耐圧・深海散歩用スリーピース】と、私用の『水垢全自動弾き飛ばしコロコロ』の準備に入ります」
「頼みましたよ。さあ、視察に向かいましょうか。新たなる家族(深海の天使)のお迎えです!」
踏み入れば即座に肉片へと押し潰される、黄金の暗黒へ。
エレガントな御曹司と、戦闘特科トップの冷徹な秘書官は、究極のもちもちモフモフと、不埒な海底盗掘者の首を求めて、優雅な足取りで深海への旅路を出発した。




