第64話
ロイド・グランヴェルが優雅に指を鳴らした直後。
帝都の遥か上空、極彩色の霧に包まれた空中庭園を射抜くように、魔導艦から極大の『超広域・空間湿度固定および認識阻害解除』の光が放たれた。
――パァァァァァンッ……!!
それは霧を吹き飛ばすのではなく、大気中の水分と魔素を「透明な結晶」として固定し、人々の認識を狂わせていた波長だけをピンポイントで中和する精密な上書きだった。
まばゆい光が空中庭園を舐めるように広がった瞬間、ドロリと停滞していた忘却の霧は一瞬で霧散し、隠されていた美しい花々と大理石の回廊が、鮮やかな色彩と共にその姿を現した。
数秒後。
後には、どこまでも澄み渡った青空と、虹色の雲が足元に流れる『世界一視界の良い空中庭園(更地)』だけが残されていた。
『ズビィ!?(おめめがスッキリしたピィ!?)』
巨大バク(夢幻獏)が、自分を空腹にさせていたドロドロの霧が消えたことに驚き、長い鼻をパオパオと振り回して歓喜のダンスを踊った。
「お見事。今回は精神波の屈折率を再定義するという少々繊細な作業でしたが、我が一族のお家芸はいつ見てもスマートですね」
ロイドは満足げに微笑み、ホログラム通信を展開した。
案の定、呼び出し音を待たずして、画面が振動するほどの勢いで兄の絶叫が響き渡る。
『ロォォォォォイドォォォォォ!! 私の愛する弟よ!! 記憶を食らう忘却の霧の中にいたと聞いたが、私の顔を忘れていないか!? 自分の名前より先に「アルベルト兄様」という言葉を思い出せるか!?』
画面の向こうのアルベルト・グランヴェルは、なぜか巨大な『魔導蓄音機』のラッパ部分に頭を突っ込み、自ら「アルベルト兄様は最高だ」という自己暗示音波を爆音で流しながら、涙を流して絶叫していた。
「お疲れ様です、総帥閣下。ええ、R&Dの夢境安定スーツのおかげで、極上の長い鼻を堪能する余裕すら――」
『何ということだ……! 怖い! 怖すぎるではないか! 弟が霧の中で「二度寝」の誘惑に晒されているぞ!!』
アルベルトが、蓄音機を握りつぶして頭を抱えた。
『愛する弟と、そのお鼻の長いバクちゃんが、そんな不安定な空の上で無防備に寝転んでいるだと!? 万が一、そのせいで弟が寝違えて首を痛めたらどうする! 宇宙の法則が許してもこのアルベルトが許さん!!』
「兄さん、バクですから夢の中は彼らにとっての職場のようなものなのですが」
『黙れ! おい経理! ロイドの口座に【ワケアリ庭園・絶対安眠&超巨大オルゴールドーム建造費】として白金貨七億枚を叩き込んでおけ!』
「……な、七億!? 兄さん、ついに大陸の全銀行の備蓄額(予算)に並びましたよ!?」
『悪夢など一切シャットアウトしろ! この広大な空中庭園全域を、外部の音を完璧に遮断する【最高級魔導真空ガラスの巨大ドーム】で覆うんだ! ドーム内には、一羽一羽のバクちゃんが専用の枕にできる【超特大・浮遊羽毛ベッド】を数千個設置しろ! 中心には、聴くだけで強制的に熟睡させる【純白金製の巨大オルゴール塔】を建造し、二十四時間体制で癒しの調べを流すんだ!!』
涼しい顔で、雲の上を「世界最大の快眠シェルター」に変えるという、睡眠科学を札束で蹂躙する環境改造を命じる総帥。
「……はぁ。クラウス、今日も絶好調ですね」
「ロイド様。白金貨七億五千万枚の入金、確認いたしました(バクちゃん用のシルク製アイマスク代含む)」
クラウスが無表情のまま、タブレットを操作して処理を進める。
これで今回も、一件落着……誰もがそう思った、その時だった。
――キィィィィィン……!!
整地されたばかりの空中庭園に、異様な周波数の「認識阻害電波」が突き刺さった。
庭園の中央、かつて霧の発生源だった場所から、擬態を解いて現れたのは――巨大な『記憶抽出用・魔導アンテナ』と、それを取り囲む『虚空の開拓者』の特殊工作部隊だった。
「……ほう。やはり、この庭園を『人々の記憶を吸い出す巨大な掃除機』に改造していたのは、あなた方でしたか」
ロイドは、膝の上で鼻をピクピクさせているバクを優しく撫でながら、現れた無機質な機械群を見据えた。
「クラウス。あのアンテナ……先日解体した『地質最適化班』の重機と、制御OSの基礎コードが一致しませんか?」
「……はい、ロイド様。さらに通信を傍受したところ、オーディン直属の『意識情報統制班』が動いています。どうやら、このバクの能力を増幅させ、帝都全域から『自分たちの不都合な記憶』だけを削除しようとする、極めて効率的な独裁実験が行われているようです」
「……なるほど」
ロイドの瞳から、温かな光がスッと消えた。
モフモフに強制的に偏食をさせ、人々の幸福をエネルギーとして奪い、心を空っぽにしようとする破壊者たち。
「万死に値しますね。……ちょうど良いでしょう。新しく完成する安眠ドームの『最初の不快な目覚まし時計(廃棄物)』を排除するとしましょうか」
背後で数万人の工兵部隊が、雲を突き抜けるほどのオルゴール支柱を凄まじい速度で打ち込み始める中。
ロイドは優雅に、だが決定的な殺意を込めて指を鳴らした。




