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第47話




 帝都の地下深くに広がる、巨大な廃区画『地下不可知市場インビジブル・マーケット』。

 かつては賑やかな地下街になるはずだったその場所は、足を踏み入れた瞬間に、強烈な目眩を覚えるような『異常空間』と化していた。


 ――ぐにゃり。


 目の前にあるはずの直線の通路が、突然メビウスの輪のようにねじれ上がり、天井へと続いている。

 右へ曲がったはずの角は、なぜか後ろの入り口に繋がり、一歩踏み出すたびに重力の方向がデタラメに入れ替わる。物理法則という概念が完全に崩壊した、狂気の無限ループ迷宮である。


「なるほど。これは確かに、並の魔導士では永遠に出られませんね。右を向いているはずなのに、左の後頭部が見えるような錯覚に陥ります」


 しかし。

 そんな吐き気を催すようなぐにゃぐにゃの空間の中を、ロイド・グランヴェルは、まるで王宮のレッドカーペットでも歩くかのように、優雅に真っ直ぐ進んでいた。


「現在、周囲の空間座標が毎秒数百回の頻度で書き換えられています。……ですが、このスーツの『絶対座標』は微塵も揺らいでおりません」


 背後を歩く秘書官のクラウスが、無表情のままタブレットを操作し、次元の歪みを観測する。


 二人が身に纏っているのは、グランヴェル財閥『研究開発部(R&D)』が空間物理学の常識をすべてゴミ箱に捨てて仕立て上げた【完全現実安定かんぜんげんじつあんてい・次元座標固定スリーピーススーツ】である。

 生地の繊維一本一本に『世界(現実)の錨』となる術式が編み込まれており、周囲の空間がどれほどぐにゃぐにゃに歪もうとも、このスーツの内側だけは常に「正常な三次元の現実」として固定される。

 ねじれ上がった通路も、逆さまの天井も、二人が歩みを進めるたびに「パキィッ!」というガラスが割れるような音を立てて強制的に平らな道へと補正(上書き)されていくのだ。


「素晴らしい着心地です。これなら、極上の『次元モフモフ』を堪能するのに、三半規管が酔う心配もありませんね」


 ロイドが涼しい顔で微笑んだ、その時だった。


 ――パリンッ!


 迷宮の最深部。すべての空間の歪みが集束する『特異点』の広場に到達した瞬間、目の前の空間がガラスのように割れた。


 その割れた次元の裂け目から、ちょこんと顔を出したのは。


『……キュッ?』


 両手にすっぽりと収まりそうなほど小さな体。

 体長よりも遥かに長く、ふんわりと垂れ下がった極上の長い耳。

 そして何より、見る者の庇護欲を強制的に掻き立てる、反則級に『あざとい上目遣い』をした、純白のウサギの幻獣だった。

 伝説に語られる、空間を操る神獣『次元兎ディメンション・ラビット』である。


「おお……おおおお……!!」


 冷静なクラウスの横で、ロイドは目をカッと見開き、感嘆の声を漏らした。

 その瞳に宿っているのは、未知の生物への恐怖などではない。極限まで高まった、純粋な『モフモフへの変態的な愛』である。


「見なさい、クラウス! あの、周囲の空間の概念すらも崩壊させるほどの、圧倒的な柔らかさ(バグ)! どんな狭い隙間(次元)にも入り込める、極限まで圧縮されたフォルム! 間違いない、あれぞ『持ち運び可能なブラックホール・モフモフ』です!!」


『……キュゥ?』


 騒がしい侵入者の声に気づき、次元兎は小首を傾げた。

 その仕草だけでも致死量の可愛さだが、神獣はただの愛玩動物ではない。自分の縄張り(特異点)を荒らされた次元兎は、あざとい上目遣いのまま、フワフワの長い耳を「スッ」と振り上げた。


 ――ズバァァァァァッ!!


 長い耳が空間を撫でた瞬間。

 目に見えない『次元の断層(斬撃)』が放たれ、広場にあった頑強な石柱が、豆腐のように音もなく真っ二つにズレて崩れ落ちた。

 空間そのものを切り取る、絶対防御不可の『次元切り』である。


「なるほど。地下市場を無限ループさせていた原因は、この子が『かくれんぼ(お遊び)』のつもりで空間を切り貼りして、デタラメに繋ぎ合わせていたからですか。なんと無邪気で恐ろしい!」


 触れればあらゆるものを両断する次元の刃が、ロイドへと直撃する。

 しかし、特注スーツの『現実安定結界』がパキィンッと音を立て、次元のズレを強制的に「ただのそよ風」へと変換し、完全に無効化した。


「あの耳のひと振りで世界を切り裂く、圧倒的な非常識さ! その実体のないフワフワの空間を揉みほぐす『次元マッサージ』のやりがいが、これまでの比ではありません! ああ、なんてあざとくて贅沢な魔獣なのでしょうか!」


「……ええ。おっしゃる通り、私のカバンに用意した『次元歪み対応コロコロ』の出番ですね。後で急激な空間補正によるスーツの縫い目直し代も、経理に請求しておきます」


 次元の斬撃が飛び交う地下広場で一人熱狂するロイドと、無表情で特製コロコロの準備をするクラウス。

 そんな規格外の人間たちを前に、あざとい次元兎は「……キュ? なんで切れないの?」という顔で耳の動きを止め、不思議そうに鼻をヒクヒクとさせた。


「怖がらなくて大丈夫ですよ。……さあ、私が極上の空間マッサージと、最高に甘い次元のおやつを与えて差し上げましょう」


 ロイドは一切の警戒もなく、世界で最も優雅な足取りで、重力と次元の狂った広場を滑るように純白のウサギへと歩み寄り始めた。

 永遠に出られない無限迷宮で、冷徹な御曹司による『最高にフワフワで次元を超える買収劇』が、今、幕を開ける。




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