第42話
ゴォォォォォ……ッ!
一歩足を踏み入れた瞬間から、そこは文字通りの『灼熱地獄』だった。
かつてはトロッコが行き交っていたはずの広い坑道は、ひび割れた岩肌からドロドロのマグマが溢れ出し、有毒な火山ガスが視界を赤黒く歪ませている。普通の人間であれば、呼吸をしただけで肺が焼け焦げ、数秒で灰になる絶対死の空間である。
「……なるほど。確かにこれは、ただの自然現象ではありませんね。極端に火の魔素が濃すぎます」
しかし、その赤熱する岩場を歩くロイド・グランヴェルの足取りは、まるで避暑地の高原を散歩するかのように優雅で涼しげだった。
「外気温、摂氏数千度を突破。有毒ガスの濃度も致死量の数百倍です。……ですが、このスーツ内の温度は現在『摂氏二十二度、湿度五十パーセント』の極上空間に保たれています」
背後を歩く秘書官のクラウスが、無表情のままタブレットを操作し、現在の環境データを読み上げる。
二人が身に纏っているのは、グランヴェル財閥『研究開発部(R&D)』が莫大な予算と最新の魔導冷却技術を注ぎ込んで仕立て上げた【完全耐熱・極寒冷却循環スリーピーススーツ】である。
一見するとただの超高級なオーダーメイドスーツだが、生地の繊維一本一本に『絶対零度・熱量反射結界』が編み込まれており、周囲の熱を完全にシャットアウトしつつ、内部には清涼な空気が常に循環している。
「素晴らしい着心地です。これなら、極上の『熱気マッサージ』に何時間でも集中できそうですね」
ロイドが涼しい顔で微笑んだ、その時だった。
――ヒュゴォォォォォッ!!
坑道の奥底から、巨大な質量の『何か』が飛来する凄まじい風切り音が響いた。
見上げると、直径数メートルはある超高熱の『火球』が、ロイドたちを目掛けて一直線に降ってきたのだ。
「ロイド様」
「ええ、そのまま進みましょう」
ドゴォォォォンッ!!
直撃。
しかし、ロイドたちのスーツの表面に展開された青白い冷却結界が、数千度の火球を「シュワッ」という気の抜けた音と共にただの水蒸気へと変換し、完全に弾き飛ばした。
ロイドの美しく整えられた髪の毛一本、スーツの裾1ミリたりとも焦げることはない。
「……火球の飛来軌道を解析。ロイド様、坑道の最深部、巨大なマグマの池の中心に『熱源』があります」
「お出迎えのようですね。さあ、行きましょう」
二人が巨大な空洞となっている最深部へ足を踏み入れると、そこには広大な『マグマの池』が広がっていた。
そして、そのマグマのど真ん中に――『それ』はいた。
『ピィィィ……(ふぅ、極楽極楽……)』
マグマの池に首まで浸かり、まるで極上の温泉を堪能するかのように目を細めている巨大な生物。
それは、伝説に名高い不死鳥……のはずだった。
しかし、その姿は、およそ神話に語られるような猛禽類の鋭さは皆無であった。
燃え盛るような美しい朱色の被毛(羽毛)に包まれたその体は、見上げるほど巨大でありながら、信じられないほどに『丸く』、そして『ぽっちゃり』としていたのだ。
例えるなら、巨大なヒヨコがそのまま成長したかのような、愛らしい丸みを帯びたフォルムである。
「な、なんてことだ……!!」
冷静なクラウスの横で、ロイドは目をカッと見開き、感嘆の声を漏らした。
その瞳に宿っているのは、熱への恐怖などではない。極限まで高まった、純粋な『モフモフへの愛』である。
「見なさい、クラウス! あのマグマの熱をものともしない、分厚く、それでいて空気をたっぷり含んだ最高級のダウン(羽毛)! あのぽっちゃりとした丸いフォルムが生み出す圧倒的な『弾力』と『保温性』! 間違いない、あれぞ究極の天然ヒーター内蔵型・巨大羽毛布団です!!」
『……ピッ?』
騒がしい侵入者の声に気づき、巨大な火喰い鳥がマグマの池から「ざばぁっ」と立ち上がった。
そして、マグマの滴る巨大な体を。
『ブルルルルルルッ!!!』
まるで、水浴びをした後の犬が水気を飛ばすかのように、豪快に震わせたのだ。
――シュゴォォォォォッ!!
その瞬間、火喰い鳥の羽毛から弾き飛ばされた大量のマグマの飛沫が、巨大な『火球』となって坑道中に雨あられと降り注いだ。
「なるほど。ギルドの連中を震え上がらせていた『意思を持った呪いの火球』の正体は、温泉上がりの鳥さんが『ブルブルと汗を振り払っていただけ(飛沫)』でしたか。なんと無邪気で愛らしい!」
飛んでくる致死の火球を、特注スーツの結界でただの「心地よいスチーム」に変えながら、ロイドは無傷のまま歓喜に震える声で叫んだ。
「あの極上の羽毛の間に蓄えられた熱気! 抱き着けば、芯から冷えた心と体を一瞬で解きほぐしてくれるに違いありません! ああ、なんて贅沢な魔獣なのでしょうか!」
「……ええ。おっしゃる通り、私のカバンに用意した『耐火・発火防止アクロバットコロコロ』の出番ですね。後で超高温によるスーツの生地の傷み補修代も、経理に請求しておきます」
降り注ぐ火球の雨の中で一人熱狂するロイドと、無表情で特製コロコロの準備をするクラウス。
そんな規格外の人間たちを前に、巨大なぽっちゃり火喰い鳥は「……ピ? なんで燃えないの?」という顔で首を傾げ、不思議そうに丸い瞳を瞬かせた。
「怖がらなくて大丈夫ですよ。……さあ、私と極上のぽかぽかタイムを始めましょう」
ロイドは一切の警戒もなく、世界で最も優雅な足取りで、マグマの池を縁取る岩場を滑るように巨大な赤い鳥へと歩み寄り始めた。
一瞬で灰になる灼熱の空間で、冷徹な御曹司による『最高に熱くてフワフワな買収劇』が、今、幕を開ける。




