番外編2 とある大聖堂の密談
前の話に、『偶然とは思えないほどよく似ていた』というような一文を追加しました。
佐藤が必死に穴を掘っていた頃、べロゼリスクの街の上空は雲に覆われ、しんしんと降る雪が色彩を奪い始めていた。
住民たちはすでに家に引きこもり、町全体が静寂に包まれている。そんな中、大聖堂のテレーズの部屋では、ちょっとした騒ぎが起きようとしていた。
(とうとう雪が降ってきてしまいましたか……。これでは、今年も春まで村に帰ることはできなさそうですね)
窓の外を眺めながらため息をつくと、コンコンと扉がノックされた。
「テレーズよ。少しよろしいですか?」
「はい、お爺様。どうぞ、お入りになってください」
扉を開けて入ってきた司教は、深紅の法衣を纏わず、代わりに綿入りの茶色いベストとゆったりしたズボン、ウールの靴下で完全にリラックスしていた。その顔には、他人には見せない穏やかな笑みが浮かんでいる。
「テレーズ、私が頼んだ仕事を無事に終わらせたようですね。しかし残念ながら、雪が降り始めてしまいました。おそらく、主が春になり安全になるまで、ここで生活をしなさいと言っているということなのでしょう」
「……お爺様。主の御心は、いつもお爺様のご予定と寸分違わず連動しているようで、本当に感服いたしますわ」
テレーズは眉間を揉みながら呆れた様子で答えた。しかし司教は笑顔を崩さず、温かい紅茶とラズベリージャムを取り出してテレーズの前に置いた。
「ほっほっほ……。この老い先短い老人の孤独に不憫に思われたのでしょう。家族との時間を用意するために主も気を利かせてくれたということですよ」
テレーズは膨れっ面で上目遣いに祖父を睨む。
「では、クズノハ様が手伝ってくださった、聖歌隊へのナッツの袋詰め。あそこで浮いたはずの私の自由時間が、なぜか倍の量の精算書類に化けていたのは……どういった主の御心なのか説明していただけますか?」
「おやおや、手が空いた者に適切な仕事を振り分けるのも、上に立つ者として当然の事ですよ」
「そう言って、去年もこれさえ終われば帰れるという絶妙なタイミングで書類を追加したじゃありませんの! おかげで、あの時も大雨が降り始めたと引き止められて、結局は雪が降って村に帰れませんでしたのよ!!」
ぷんすかと怒るテレーズに、司教は穏やかに答えた。
「ええ、そうですね。あのまま帰すと、道中で大雨に降られた事でしょう。私はテレーズの身の安全を考えて、仕事の量を調整したまでの事です。うら若き乙女が雨に打たれながら数日かけて移動するなど、主もお望みにならないことでしょう」
テレーズは否定できず、むーむーと唸りながら睨みつけ、スプーンですくったジャムを舐めてから紅茶を一口飲んだ。
「はぁ……。でも、お爺様……。あの時の書類は、すぐに処理する必要が無いものも、いくつか混じっていたように記憶しておりますが、どういうことですか?」
「おや、テレーズ。私が必要無い仕事をさせたとでも言いたいのでしょうか? ああ、私は悲しいですよ。こんな、証拠もないのに人を疑うような子に育つだなんて……ほっほっほ」
(お爺様……。もう、隠そうともしてないではありませんか……)
テレーズは呆れつつ言葉を失い、ため息をつきながら紅茶をちびちびと飲んだ。
「では、クズノハ様についてはどうなのですか? 私よりも、もっと若い乙女だと言うのに、雨の中をぬかるんだ道を馬車で何日もかけて帰る事になりましたが」
「それは静かな部屋を用意すると伝えたのに、彼女の保護者が帰ると言うので仕方がありませんよ。主の御下で安全に過ごす準備をしても、無理強い出来ることではありません。まあ……私としては、どちらでも良かったのですがね」
司教の細められた眼光の奥に、一瞬だけ、深手を負った獲物を見つめる猟師のような鋭さが混じる。テレーズは背筋に冷たいものを感じながら、感情を抑えて尋ねた。
「お爺様……。それは、どういうことでしょうか?」
「ほっほっほ……。どちらにせよ、姫君は血のつながった家族と会えるというだけですよ。なに、悪いようにはならないでしょう」
「……お爺様、あの子にあまり酷いことはしないでくださいね?」
「テレーズよ、心外ですね。あなたが姫君と仲良くしていましたので、実に穏便にしたというのに……。ああ、ショックでうっかり、鳩を飛ばしてしまいそうです」
クルッポー
「お爺様……何処から鳩をお出しに……?羽根が飛び散るので、早く仕舞ってくださいませ。あと、部屋の中が大変ことになりますので、やめていただけると助かります」
「ほっほっほ……。司教たるもの、いつでも鳩は出せなければならないのですよ」
(お爺様がおっしゃると、本当に冗談に聞こえませんね……)
テレーズは先ほどの緊張が解け、脱力して再び眉間を揉む。そしてさらに尋ねた。
「そういえば、お爺様……。ハルさんをつけ回したからと、男性に対して説法を行っておりましたが、あれほど長時間する必要は無かったのではないですか?」
「ああ、あの若者ですか。……実に良い時に来てくれましたね。いいですか、テレーズ。人の上に立つ立場となれば、物事を効率よく進めねばなりません。あの時、私にいくつの目的があったかわかりますか?」
「どういうことでしょうか……? ハルさんを安心させるのと、不審者を遠ざけるだけではなかったのですか? いえ、お爺様の事ですから、また色々と企んでいたのですね」
「ほっほっほ、企むとは人聞きが悪いですね。その二つは行わなければならない、最低限のことです。ですが……それだけですと、私がわざわざ出向く必要はありませんよ」
テレーズは姿勢を正し、敬愛する祖父の顔を見つめた。
「まずは、少しだけ答えを教えましょう。あの冒険者に対する釘刺しと、厄介事の排除です。テレーズよ、あの者に知りたい情報が王都にある。そう、少しだけ伝えるとどうなるかわかりますか?」
「それは……王都へと向かいますわね」
「ええ、そうですね。わざわざ追い払う必要も無く、自発的に旅立ってくれます。ほんの一言で、人は自ら動くものなのです。ハルさんは追われる恐怖から解放されて信心を深め、知恵を求めし者はその在処を知る。王都の口煩い学者共も、知識を求められていい刺激になるでしょう。そして、信徒を守った事について周囲は教会をどう見るでしょうね? テレーズ、お前にも生きた教材を与えることもできました。……ほっほっほ、余り物を出さないのが、長生きの秘訣ですよ。そして私は、問題を解決して不安要素が無くなり、こうしてのんびりと紅茶を飲めるわけです。……本来なら教えるべきことではないのですが……テレーズ。あなたには特別ですよ」
「なるほどです、お爺様……。ですが、小一時間も説法をする必要はあったのでしょうか?」
「……ほっほっほ」
「お爺様……。まさかとは思いますが、私が皆と一緒に村へと帰る機会を……?」
「ほっほっほ……。テレーズ、冬の寒さは老人の身に堪えるのですよ。……そう、寂しさという冷気は、主の温もりでもなかなか拭えぬものでしてね。つまり……冬の間ぐらい、可愛い孫娘と一緒に暮らしたいと思って何が悪いのか! ヴィンセントのやつ、普段からテレーズを独占するのはずるいではないか!」
「お爺様!? なんて開き直り方をなさるのですか! 神父様はそのような考えは無いかと思いますよ!?」
もう何度目か分からないため息を吐き、テレーズは微笑みながら司教に語りかけた。
「お爺様。そのような事でしたら、策を弄さなくても言っていただけると良かったのです。家族なのですから」
「……そうだな」
「ですが、しっかりと増やした分の仕事の賃金は割増で請求させていただきますね?」
「う……うむ。そういうところまできっちりするのは、誰に似たのかね……」
「……あと、ちゃんと春になると、村に帰らせていただきます。それまではよろしくお願いしますね? お爺様」
こうして、司教が欲望を丸出しにするという、ちょっとした騒ぎは終結したのだった……。
なお後日のこと。村から戻った騎士団から、何も考えずに山をさまよい、蛇に追われて村へ逃げ込んだ冒険者がいたこと。そして、その冒険者を追跡者と勘違いしたクズノハが村から逃げ、一時行方不明になっていたことを伝えられた。
それを聞いた孫娘に「もしも大事があったらどうしたのですか! ……お爺様なら、防げたはずでしょうに」と正論で指摘されて、しょんぼりと肩を落とすお爺さんがいたとか、いなかったとか……。




