最終話 ログアウト(Logout)
一悶着はあったものの、その後の時間は驚くほど穏やかに流れていった。
女性騎士はクズノハの手を優しく引き、ハルと共に村の隅々まで視察して回った。ガラムの精緻な鍛冶仕事に感嘆し、カレンの雑貨屋で生活物資の充足を確認する。広場では、相変わらずジョバンニに正座させられ説教を受け続けているゲルハルトたちを涼しい顔でスルーし、ベルナデッタたちが手塩にかけて育てている冬野菜の様子に目を細めた。
それは、クズノハにとっての当たり前の日常を、外部の視点が一つ一つ肯定していくような時間だった。
やがて視察は終わり、別れの時が訪れる。
「この様子なら、環境が不適切であるという報告書を書く必要もなさそうですね。ハルさん、姉様の子を……クズノハをよろしくお願いいたします。……クズノハちゃん、次は長期の非番が取れた時にまた遊びに来ますね。とびきりのお土産を持ってきますから、楽しみにしていてください」
こうして、予期せぬ客人たちは去っていった……。ただ一人、帰れなくなった女性を除いて。雪の中に消えていく姿を見送った後に振り向くと、村の入り口にはまだ蹄の跡が刻まれた泥濘が凍りついて残っていた。
残った一人……蛇に追われて逃げ込んできた女性は、雪が解けるまでの間は教会の部屋を借りて神父の手伝いをすることとなった。冬の間、村が少し騒がしくなることは間違いなさそうだ。
事件は終わり、穏やかな夜はやってくる。クズノハは、ハルの温かな手に引かれながら、静かに家へと戻った。
その夜。
ハルの寝息が聞こえる静寂の中、クズノハは布団の中で天井を見つめていた。
狼に喉を食い破られた恐怖。ハルの絶叫。騎士団の介入。そして、自分自身の心境の変化……ずっと自分を縛り続けていた虚飾が、あの甘酸っぱいクッキーの残り香と共に、音を立てて崩れ去った事実。
(……人間関係も……案外、悪くないものだったのかもしれないな)
脳裏に浮かんだのは、ハルの皺だらけの手ではない。
かつての職場で、空気の読めない明るさで自分に懐いていた、一人の後輩の顔だった。
佐藤は、1年近く封印していた外の世界への回線を開く決意をした。
(……一度、戻るか)
メニューを開く。今まで押したことがないボタンを起動した。意識が急速に遠ざかる。エテニウムの世界が、粒子となって霧散していた。
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プシュリ、という空気が抜ける音が密閉された空間に響いた。
佐藤健一は、体感時間で約1年ぶりに現実の肉体を動かす。柔らかいゲルのシートから上半身を起こし、背伸びを行う。背中からパキポキという音が聞こえてくるが、それがどこか心地よかった。
佐藤は、重い腕を伸ばし、ソウル・アンカーの外部通信インターフェースを呼び出した
(……まさか、この機能を使うことになるとは、な)
以前に作成していた、仕事の連絡のためのアカウントから後輩に対して文章を作成した。
『また、俺の技術が必要ならよんでくれ。少しぐらいは力になってやる』
慣れない連絡に苦笑する。返信など期待していなかったが、瞬間、通知が跳ねた。後輩からの返事である。
『先輩!? 急に連絡をくれるだなんて、どうしたんっすか!? 何か変なものでも食べました? 何か大きな病気でも? それとも、私に対する遠回しな愛の告白っすか!? 最後のでしたら、私はいつでも大歓迎っすよ!』
(相変わらず騒がしい奴だな……。だが、嫌な気分ではない、か)
佐藤は、問題を起こしては泣きついてきて、その都度解決させられていた、世話が焼ける後輩の前のめりな返事に苦笑しながらも連絡を続ける。
『言ってろ。ただ、そんな気分になっただけだ』
『おかしいっす! だって、あの氷の男と呼ばれていた先輩っすよ!? こんなに柔らかく優しいだなんて、何があったんっすか!? 』
『うるさい。仕事を辞めてからは、エテニウムに入っていてな。一緒に開発していたお前がどうなったのか、少し気になっただけだ』
『私が気になるっすか!? とうとうデレたっすか!? って、先輩が……遊び……!? 天変地異の前触れっすかね……? どんなキャラでログインしていたんっすか?』
『失礼な奴だ……。いや……大人の狐として生活しようと思っていたんだが、少し勘違いをしていてな。3歳の成獣のつもりが、3歳の幼児として作成してしまい、獣化すら初期スキルに入れ忘れたせいで、ずいぶんと苦労させられた』
佐藤は、致命的な油断をしていた。一年近くもまともな会話をしていなかった反動だろうか、墓場まで持っていくべき羞恥を、指先が滑るように綴ってしまったのだ。
そしてその油断は、即座に最大級のカウンターとなって返ってきた。
『あー……先輩って、昔から大きなグランドデザインに凝るわりに、末端のデバッグを見落とす癖ありますもんね。でも先輩、そんなことなら一言連絡くれればよかったんっすよ。キャラデータ担当は、私なんっすから。言ってくれたらすぐにでもデータを書き換えて、大人の狐としてプレイすることができていたっすよ。何なら、能力も優遇して今から書き換えるっすか?』
佐藤は言葉を失い、表情筋が完全に死滅した。
あの体感時間で1年にも及ぶ苦労は、現実世界での連絡一つで、すぐに解決できる問題に過ぎなかったのだ。
彼は最後の力を振り絞り、返事を書き込む。
『いや、別にいい。このままで』
力なくゲルのシートに体を沈め、逃げるようにログイン・シークエンスを開始する。
ままならない現実から再び目を背け、クズノハとしての……あの不自由で愛おしい、欠陥だらけの生活を再開するために。
ログアウト(Logout)とは
コンピュータのシステム利用を終了し、接続を切断すること。
または、役割を終えて、本来居るべき場所へと立ち去ること。
クズノハちゃんの物語は、一旦ここで完結とさせていただきます。
番外編の案がいくつかありますので、書けたら追加していきますね。
少しでも楽しんでいただけたなら、評価やブックマークを入れていただけると、作者がちょっと喜びます。そして、話の続きを書く確率がちょっぴり上がります。




