64話 コールド・ブート(Cold Boot)
意識が浮上した瞬間、鼻腔を突いたのは、狼の腐臭でも雪の冷気でもなかった。
使い込まれた木材の匂いと、微かに残る生活の残り香。
クズノハは、自分がハルの家の、あの見慣れた布団の上に横たわっていることに気づき、無意識のうちに喉を触っていた。狼の牙に食い破られたはずの喉元は、熱を帯びた生々しい感触だけを残して、跡形もなく再生している。
視界の隅で無機質なログが静かに流れる。
【死亡:登録されているリスポーン地点に戻ります。デスペナルティが適用されます。所持金の半分が失われます。装備が初期装備に変更されました】
【レベル10未満の為、一日に一回デスペナルティが軽減されます。経験値とアイテムのロストはありません】
彼女は起き上がり、自らの掌をじっと見つめる……。それは先ほどまでの必死の穴掘りの形跡は一切なく、傷一つない綺麗なものであった。
自らの身体を確認する。山道を駆け回る事で身体の芯にあった、全身に纏わりつくような疲労感も既に感じない。
自らの服装を確認する。村で暮らしている時の素朴な衣装ではない。1年ほど前、雪原を彷徨っていた当時に着ていた、最高級の絹で作られたかのような、あの重い和装であった。
クズノハは思考を放棄し、天井をぼんやりと眺める……。すると突然、村の入り口の方から騒ぎの声が聴こえてきた。
(一体何が……)
現状の把握すら出来ておらず、理解が追いつかぬまま事態は進む。玄関の扉が開かれ、外の空気が入ってきた。窓から外に覗くと頼りない足取りで騒ぎの方へと向かう、ハルの姿が見えていた。
その向かう先には、自身と同じ狐耳と尻尾を持つ騎士団と村人達が、決して友好的とは言えない雰囲気で向かい合っている。
ハルはいち早く気づいたベルナデッタに支えられながら、騎士団の方へと向かっていった。
「……クズノハ……。クズノハちゃんは、どこ……っ!?」
(あっ……)
冷水を浴びせられたかのように、意識が現実へと引き戻される。
「……あの子を。クズノハちゃんを、返しておくれっ……。お前さんたちが、迎えに来たんだろう? そうなんだろう? なら、どこへ連れて行ったんだい。どこへ……あの子は、まだ三つの子供なんだ。この雪の中じゃ、一晩だって……」
ハルは騎士の前に膝をつくようにして崩れ落ちた。ハルの悲痛な叫びが、窓越しにクズノハの胸を突く。あの心優しき老婆に、これほどまでに悲痛な叫びをさせたのは誰なのか?
考えるまでもない。自分自身である。今まで気付こうともして来なかった、自分の弱さと愚かさがこの事態を発生させている。流石に彼女にもそれが理解できた。させられた。
そしてその叫びは、佐藤の38年の人生で一度も向けられたことのない、身を削るような剥き出しの情愛でもあった。
気づけば、クズノハは走り出していた。
階段を駆け降り、玄関から飛び出す。一歩踏み出すたび、重い和装の袖が空気を切り、銀色の髪が冬の風に踊る。服の裾が雪を噛み、幼い体躯を引き留める。彼女自身が手掛けた物理演算エンジンの拘束を振り払い、自身の在るべき場所へと駆け抜けた。
「クズノハちゃん……!?」
最初に気が付いたのは、捜索の物資の管理を一人で担っていたカレンだった。
対峙する騎士と村人たちの間に、小さな銀色の影が割り込む。クズノハは、騎士の前に膝をつくハルの背中に、後ろからしがみついた。小さな腕で、老婆の細い肩を壊れ物を扱うように強く抱きしめる。
「……っ、ああ……あああ……っ!」
ハルが振り返り、その探し求めていた温もりを確かめるようにクズノハを抱きしめ返した。日向の匂い。ハルの震える体温。
佐藤が遠回りし、ようやく辿り着いた偽物の世界での本物の想い。もう、迷いはなかった。
クズノハはハルを背に庇うようにして、前へと踏み出す。
和装の裾を広げ無言のまま。だが明確な拒絶の意思を込めて、表情一つ変えない幼女が、一歩も引かずに騎士を見据える。
女性騎士は、その幼子の姿を見て絶句し、膝をついて視線を合わせた。
「……姉様……?」
女性騎士がフードを取ると下から出てきた髪の毛の色……そして、腰から生えた尻尾の色は、眼の前の幼女のものと非常によく似ていた。
彼女は穏やかな表現で語り掛ける。
「安心なさってください……我々の任務は、あなたを王都へと連れ帰る事ではありません。姉様……過去に行方不明となった第二王女の娘らしい幼子が居ると司教から連絡がありまして、それの確認に来ただけです。ふふ……それにしても、姉様によく似ておられます。その服も姉様の御手製なのでしょうか?その服も、姉様が愛用していたものによく似ている……」
女性騎士は立ち上がったあとに表情を切り替えて周囲を見渡し、周囲に尋ねた。
「それで……この子の母親について、何か知っている人はおられますか? それと、この子がここで生活をしている理由についても」
「それにつきましては……私からお話いたします」
村人達の奥からヴィンセント神父が現れ、説明をはじめる。神父によって語られた「クズノハが辿ってきた地獄」の記録――鑑定石碑が吐き出した凄惨なスキルの羅列――を聞いた女性騎士は、クズノハを抱きしめ、声を上げて泣いた。
既に剣呑な空気は霧散しており、村人達と女性騎士の部下である騎士達も、その光景を仲良く見守っていた。
ハルが落ち着くのを待ってからこの場は解散となり、女性騎士はハルの家で。部下の騎士達は教会で一夜を過ごすこととなった……。
翌朝。
「くそっ、山頂のグリフォンの巣まで探したが痕跡がねぇ! 手前の林はどうだった!?」
焦燥と疲労でボロボロになったジョバンニが村に戻ると、そこには奇妙な光景があった。
白銀のニット帽を被ったクズノハが、同じ毛色の美しい女性騎士と、穏やかな顔のハルと手を繋ぎ、のんびりと広場を散歩している。
「……は?」
世界から音が消えた。ジョバンニの指から弓が滑り落ちる。
その後、何食わぬ顔で戻っていた幼女と、発見報告をせずに自分を放置していた村人たちに対し、村中に響き渡るジョバンニの怒号が轟いたのは言うまでもない。
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991:名も無き冒険者 ID:Nth01Wp9
みんな、聞いてくれ! 事態がうごいたぞ!
992:名も無き冒険者 ID:j3R4k6tQ
!
何があった!?
993:名も無き冒険者 ID:Nth01Wp9
まず、銀髪ちゃんを探しに、村に騎士団がやって来た!
994:名も無き冒険者 ID:kP7j3W8q
行方不明中なのに一大事じゃないのか!?
995:名も無き冒険者 ID:Nth01Wp9
すると、村人と騎士団が一触即発になった!
996:名も無き冒険者 ID:u8K9z2xM
やばい事態じゃねえか!?
997:名も無き冒険者 ID:Nth01Wp9
そうしたら、騎士団のリーダーに老婆が泣きついてた!
998:名も無き冒険者 ID:p7L2n5vA
もう、どうにもならなさそうだな……
999:名も無き冒険者 ID:Nth01Wp9
すると、銀髪ちゃんが戻って来て大団円だった!
1000:名も無き冒険者 ID:Wp1O4z0X
訳がわかりませんわ!?
どうして、現地に居るのがこんな奴ですのよーっ!?
コールド・ブート(Cold Boot)とは
コンピュータの電源が完全に切れた状態から、電源ボタンを押してシステムを起動すること。




