61話 サプレス・エラー(Suppress Error)
叩きつけるような雨は、いつしか粘り気のある霙へと姿を変えていた。
毛皮を伝い、皮膚の熱をじりじりと奪っていく冷気。【環境適応:寒冷】のパッシブスキルはあるが、濡れた小さな身体では完全に冷気を防ぐ事は出来ないようだ。
そして子狐の小さな四肢は、一歩踏み出すたびに泥濘に深く沈み込み、1年近くかけて成長した【強健な足腰】があっても引き抜くたびに体力をじわじわと削り取っていく。
(……これでいい。計算通りだ)
佐藤は、凍えそうな意識の端でログを更新した。
村の入り口では、ちょうど追跡者が門番に止められている。騒ぎを起こしていたため、村中の注目がそこへ集まっているはずだ。監視の空白、天候による視界不良、そして足跡を即座に塗り潰す霙。
脱走を完遂するための環境パラメータは、これ以上ないほどに整っている。
(俺が消えれば、ハルお婆さんの生活にこれ以上のノイズは混ざらない。……話が出来ない、表情に何も出ない子供の世話なんていう、設定ミスのような重荷からも解放される。元々の、俺がいなかった頃の平穏が戻るだけだ。……それが、この村にとっての最適解だ)
一度だけ、重い足取りを止めて背後を振り返る。
乳白色の霧の向こう、かつて自分の居場所であった村の灯りが、滲んだ微かな点となって消えようとしていた。
(そもそも……いずれは村から抜け出す予定だったんだ。それが遅かろうが早かろうが、どちらにせよ同じ事……。薄々予想はしていたが……獣化しても子狐の姿なのが厳しいな。せめて、もっと成長するまで村で暮らせれば……いや、過ぎたこと……か)
佐藤はふすー、と白く濁る息を吐き出すと、未練を断ち切るように視線を険しい山道へと向け、再び泥の中へと足を踏み入れた。
______________________________________________
一方、その頃。ハルが街から帰ってきたと聞いて、ベルナデッタが家まで会いに来ていた。
「ハルさんや、お邪魔しますね。街の様子は……あら?この人形は……」
玄関を抜け、居間へと足を踏み入れたベルナデッタの視線が、食卓の上に止まった。そこには、クズノハが片時も離さず身に付けていたはずの銀色の狐人形が、ポツンと置かれていた。家の中の静けさと相まって背筋を這い上がるような違和感を覚える。
「ハルさん、クズノハちゃん。……いるのかい?」
返事はない。だが、耳を澄ませると階段の上から喘ぐような微かな声が聴こえてきた。嫌な予感に突き動かされ、老婆は老体に鞭打って階段を駆け登る。
登った先にあったのは旅の汚れも落とさぬままに壁に寄りかかるようにして崩れ落ちたハルの姿だった。
「ハルさん!」
ベルナデッタが肩を揺さぶるが、ハルは力なく横たわったままで反応をみせないが、手だけは何かを探すかのように動いていた。ただならぬ事態に、血の気が引いた顔で視線を巡らせれば、部屋の隅にはまるで持ち主を失った遺品のように、見たことのある衣服が静かに積み上げられていた。
「なんてことだい……!」
ベルナデッタは震える手でハルを抱き上げ、寝床へと運んだ。そして一刻も早く、誰かに知らせなければならない。彼女はなりふり構わず家から飛び出し、雨混じりの霙の中を教会へと突き進んだ。
「神父様、大変だよ! ハルさんが! クズノハちゃんが!!」
「ベルナデッタさん……!? まずは深呼吸をしてください。……それで、何がありましたか?」
村への急な来訪者への対応を切り上げ、ヴィンセント神父は駆け込んできたとベルナデッタと正面から向かい合う。その瞳から柔和な色彩は消え去り、代わりに、事態の核心を静かに見極める、透徹した知性が宿っていた。
「ハルさんが街から帰ってきたと聞いたから家まで会いに行ったんだよ。そしたら、食卓の上にこの人形が置かれていて、クズノハちゃんの部屋の壁にハルさんが寄りかかるように……!」
神父は即座に決断した。
「かしこまりました。……非常時の鐘を鳴らします。ベルナデッタさん、申し訳ございませんが、少しの間そちらの女性の見張りをお願いいたします」
神父が法衣を翻し、礼拝室の奥へと消えていく……その数瞬後、けたたましく村全体に鐘の音は鳴り響く。その音は、霙に濡れた村の空気を切り裂き、安寧に浸っていた日々と別れを告げた。
緊迫した空気と共に村人達が集合する。これが鐘の原因なのかと、迷い込んだ部外者に厳しい視線が集まるが些細なことだろう。人数がある程度揃い出すと、神父は聴き取りやすいゆっくりとした……しかし、威厳のある声で語りだした。
「前置きは飛ばさせていただきます。緊急事態が発生いたしました。クズノハ様が行方不明に……恐らくは村を抜け出して、何処かに逃げようとしております。そして、捜索の為にジョバンニさん達には既に行動をして頂いております」
静謐な礼拝室の空気が喧騒へと変わる。だが、神父は止まることなく語り続けた。
「彼女が何故、あえてこの過酷な霙の中に身を投じたのか。その悲しき理由についても、私には心当たりがございます。……私がこれまで、彼女の平穏を守るために秘匿してきた、あまりに過酷な真実をお話しいたします」
彼は語った。クズノハがほぼ間違いなく王家の血を引く存在であること。十数年前に行方不明となった王女の子供である可能性が高い事。そして……どうして表情と声を失ってしまったのか……。ハルに保護された当時の様子と、その際のステータスと所持していたスキル……あまりに凄惨な、どれほど過酷な道を辿り、生存のみに特化したのかを示す変異の記録の事を。
「彼女の心の傷は、癒えていなかったはず。そんな中で、カレンさんから聞きましたが……街では執拗に彼女を追い掛けていた者たちが居たと聞きます。自身をあんな目にあわせた者が、また自身の事を狙っている……そして、その者が村までやって来たのだ……と。そう考えたと推測するのが自然かと」
神父の笑っていない瞳と村人達の視線が一箇所に集まった。その時、扉が勢いよく開けられてゲルハルトが飛び込んで来た。
「すまねぇ、ジョバンニの旦那からの伝言だ! お嬢ちゃんは、なんか小さくなって柵の下を抜けて、林の方に向かったらしい! そっからは足跡が消えて追跡が困難らしいから、樵の俺達は手前の林の方を捜索して、旦那は奥の山の方まで行くことになった! 誰か、手伝ってくれるやつはいねーか!?」
こうして、嵐のような1日は始まった……。
______________________________________________
742:名も無き冒険者 ID:j3R4k6tQ
王都組、回復が必要な奴はもういないかー?
そろそろ治療所のバイトに行くから、早く来ないと有料だぞー。
743:名も無き冒険者 ID:kP7j3W8q
≫742
いてて……後ちょっとで着くから待ってくれー。
神聖魔法、本当に便利だな……
744:名も無き冒険者 ID:Nth01Wp9
みんな、ごめん。ちょっと大変な事になっちゃったかも
745:名も無き冒険者 ID:m3K8v9nQ
≫744
あ、迷子さん。次は何に追いかけられた話なのですか?
746:名も無き冒険者 ID:k9M1m2n3
調べる事がいっぱいあるので、死に戻りしたら早く王都に向かってね。
大図書館が待ってるぞ。
747:名も無き冒険者 ID:Nth01Wp9
無事に山を抜けて村に辿り着いたんだけど、どうやらここが銀髪ちゃんの住んでる村だったみたい。
748:名も無き冒険者 ID:u8K9z2xM
ん……?なんか嫌な予感がするんだけど
749:名も無き冒険者 ID:Nth01Wp9
で、銀髪ちゃんって誘拐された王女様の子供らしいんだけど、何処かで酷い目にあってたから逃げ出して、ぼろぼろの状態のところをお婆さんに見つけてもらって、村で保護されてたらしい。
村に来る前に酷い目にあったのが原因で、話せなくなって、顔にも表情が無くなっちゃったらしいよ。
750:名も無き冒険者 ID:xR9z2p1L
おいおい……まさかとは思うけど、変なことはしてないよな?
751:名も無き冒険者 ID:Nth01Wp9
そんな事情があるのに、街では皆に監視みたいなことをされてたから、酷い目にあわされた連中に見つかったと思ったみたい。それで、急いで村に帰ったみたいなんだよ。
そんな時に、俺が村に到着しちゃったもんだから、住んでる場所まで追跡されたと思っちゃったか何かで、銀髪ちゃんが村から逃げて行方不明になっちゃった……
752:名も無き冒険者 ID:Wp1O4z0X
ああぁぁ……! だから、あれほどやめるように言ったではありませんのーっ!!
753:名も無き冒険者 ID:p7L2n5vA
おい、現地の捜索に向かえそうなやつはいるか!?
べロゼリスクに家を借りてるから、俺は死に戻ればべロゼリスクまでならすぐに戻れるぞ!
754:名も無き冒険者 ID:xR2t5N9m
向かうにしても正確な場所がわかりませんので、現地の人間のみで何とかするしかないかと!
755:名も無き冒険者 ID:k9M1m2n3
王族がロストは流石に不味いだろ!
756:名も無き冒険者 ID:Wp1O4z0X
≫751
あなたは救出に向かってはいけませんの!
足手まといになるどころか、姫様に見つかると逆に逃げられますわよ!
大人しく村でサポートするのですわ!
757:名も無き冒険者 ID:j3R4k6tQ
え、あの子って、そんな事情がある子だったんか……。正直、すまんかった。
758:名も無き冒険者 ID:m3K8v9nQ
≫751
後で処す。
サプレス・エラー(Suppress Error)とは
発生したエラーをあえて表示させない、または無視する処理の事を言う。




