60話 デバグ・アウト(Debug Out)
雨の中の帰路は車輪が泥濘に嵌まるなどして、想定よりも時間がかかり、丸4日間もかかることとなった。
日が暮れる頃、ようやく我が家へと帰り着いたハルは、玄関の敷居を跨いだ瞬間、糸が切れた操り人形のようにその場へ崩れ落ちた。泥と雨水に汚れたままの姿で、彼女はクズノハを壊れ物を扱うようにぎゅーっと抱きしめる。その腕は、安堵からか、あるいは消えぬ恐怖からか、細かく震えていた。
「クズノハちゃん、もう大丈夫だからねぇ……おうちにいれば、安心だからねぇ……」
耳元で繰り返されるか細い呟きを聞きながら、クズノハは変わらぬ表情で老婆を見上げていた。
ハルは旅の極限状態を維持していた精神が限界を迎えたのか、這いずるようにして自分の寝床へ移動すると、泥のついた服を脱ぐ気力もないまま、深い泥のような眠りに落ちていった。
静まり返った家の中。
クズノハは、暗闇の中で眠る老婆をじっと見つめていた。彼女は俯き、何かを考えている様子を見せる……しばらくすると毛布をかけ直してからその場を離れ、一度振り返って眠る姿を再度確認すると、自身の寝床へと戻っていった。
翌朝、昨日までの激しさが嘘のように、穏やかな雨になっていた。しかし、空気は一段と冷え込み、どこからともなく這い出した濃霧が、音もなく村を包み込んでいった。窓の外は乳白色の静寂に塗り潰されており、世界は不気味なほどに沈黙している。
しかし、その沈黙を切り裂くように、村の入り口の方から不自然な喧騒が届き始めた。泥のように眠っていたハルは、その騒ぎに弾かれたように目を覚ます。意識が覚醒すると同時に、脳裏を過ったのは昨日までの恐怖……誰かに追われているのではないかという強迫概念だった。
ハルは既に起きて外の様子を気にしていたクズノハの元へ駆け寄ると、その小さな肩を掴み、言い聞かせるように鋭く告げた。
「クズノハちゃん、いいかい、絶対に外へ出てはいけないよ。何があっても、おばあちゃんが帰るまでここにいるんだよ」
不安に顔を歪ませながら、ハルは逃げるように玄関へと向かっていった。
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「死にたくない……死にたくない……! ここで死んだら、また笑われちまうっ!」
何故、こんな事になったのだろうか? 俺はただ、馬車がこっちに向かってたから、滅んでない街か村でもあるのかなー? って思って、道沿いに歩いていただけなのに! うん、全部俺のせいだよな! バカ野郎!!
それにしても数日間歩いても、人の気配が何処にもないとかおかしいだろ!? 普通は一日歩けば、村の残骸とか何かあるじゃねぇかよぉ!!
雨が強いから魔物に気づかれてないだけで、普通なら魔物と戦いながら数日間の移動するなんて無理だぞ!?
内心で文句を言いながら山道を駆け降りる。夜に、臭い消しをばら撒いてからテントで休んでいたら、大きな蛇に襲撃されてからずっと走っている。俺が逃げ足とスタミナ特化じゃねぇと、とっくに食べられてるぞ! これ!!
流石にそろそろスタミナも尽きるし、数日の旅も無駄になりそうだな……クマの次はヘビかよ……。寒くなってきたんだから、お前らはそろそろ冬眠でもしとけよなぁ!! 俺は冬眠前のご馳走ってか!? ふざけんな!!
そんな事を考えながら走り続けていたら、日が昇り始めた頃にようやく村らしき影が見えてくる。
雨と霧で廃村かどうかもわからないけど、このままだとどちらにせよ死に戻り確定! 残った体力を振り絞って、向かうしか無い!
そして柵に近づいていくと、出入り口あたりに門番が暇そうに立っていた。
「たっ……助けてくれー!!」
「うわっ!? あんた、早く柵の中に!」
柵の中に何とか滑り込むと、ヘビは見えない何かにぶつかったように怯んだあと、門番の人に槍で頭を貫かれてあっさりと仕留められていた。すげぇつえぇな……門番の人……。
俺は一晩中走り続けた疲れと助かった安心感で、泥濘んだ道にそのまま倒れ込んだのだった。
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ハルが村の入り口に着いた時に目撃したのは、泥で汚れた質素な服装の女性が門番から事情を尋ねられているところであった。
「全く……あんたも無茶するものだな。この時期に、徒歩で、一人で山を越えてくるだなんて自殺願望でもあるのか?」
「すみません……馬車の行き来があったので村か街が有ると思って来てみたんですけど、まさか村にたどり着くまで、こんなに距離があるだなんて思ってなかったんです……」
女性は身体を小さくて縮こませながら、門番から渡されたスープをちびちびと飲んでいた。
「それでも無謀過ぎるだろう! 一緒に行動する仲間は? 移動の準備は? まさか、あんた一人だけ生き残ったのか!?」
「いえ、自分一人で何も考えずに行動してました……すみません……」
「あぁ……もしかしてあんた、冒険者ってやつか……。死んでも生き返るって言っても、何も無しに甦れる訳じゃないんだろう? あまり無茶な事はするんじゃないぞ」
門番から事情聴取を受けている女性にハルは話しかけた。
「あんた! うちの子……銀色の髪の毛をしている子をつけ回していた連中の仲間かい!?」
「うわっ!? えっと……そうとも言えますけど、なんと言いますか……」
そして、女性はハルに説明をした。教会で見張っていた男のことを知っていること。その目的。そして、司教に説教されて反省し、今は王都に居ること。自分はたまたま、偶然に、この村にたどり着いたことを。
「そうかい……じゃあ、あの子を取り戻そうとしてる……あの子を……あんな目にあわせた奴らじゃないんだね……」
ここ数日の苦労は何だったのか? そう考えながら、ハルは脱力してへたり込んだ。柵の外からその様子をじっと見ている小動物がおり、しばらく眺めた後に身体を翻して林の方へと消えていった。
問題は全て無くなって安堵したハルは、足取りも軽く我が家へと向かう。扉を開けると、そこには愛しい幼子の姿はなく、食卓の上には銀色の少し歪な狐の人形が置かれていた。
「クズノハ……ちゃん……?」
ハルは急いでクズノハの部屋へと続く階段を駆け登る。しかし、部屋の中にもその姿は見えず、部屋の隅には、麻と綿で編まれた質素な子供服。若草色の刺繍が入った少し薄手の上着。ざっくりと編まれた通気性の良い夏用の麦わら帽子等。
そして、一番上には
この冬のために、あの子の綺麗な銀色の毛で編んだはずの、小さなニット帽。手袋。靴下の3点セットが、丁寧に折り畳まれて積まれていた。
「あっ……ああっ……」
ハルの視界は暗転した。
デバグ・アウト(Debug Out)とは
プログラムの動作内容や変数の値を、確認のために画面やファイル等、外部に出力すること。




