↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
94/264

94話 勇者という称号(4)

 アンジュは幼い頃から勇者に憧れていた。コール教の運営する孤児院の僧侶が語る勇者の姿はいつも、正しくて、純粋で、かっこよくて。悪い人や魔物なんてあっという間に倒して、救いの手を差し伸べてくれる。


 オッドアイが原因で他の子どもからいじめられていたアンジュは、勇者を心の支えにして耐え忍んだ。きっと大丈夫。どれだけ悪い人に苦しめられても、いつかきっと勇者様が現れて助けてくださるのだ。それまでの辛抱なのだと。本気でそう思っていた。


 救われたかった。誰かにもう大丈夫だと言われたかった。しかし現実は残酷で、幼い頃のアンジュにそう言ってくれる人は現れなかった。やがて魔眼の能力と高い魔力量から、僧侶のすすめで神殿騎士を目指すようになる。すぐさま実力を現わし、アンジュをいじめたりちょっかいをかけるような輩は自然といなくなった。


 神殿騎士になろうと決意したのは、誰も助けてくれないなら、せめて自分が誰かを助けられる人になろうと思ったからだ。神殿騎士はコール教の独自戦力であり、兵士や冒険者ギルドとはまた異なる組織なのだが、それでも街や人々を守るため、魔物と戦う機会がある。アンジュには密かな企みがあった。神殿騎士として力をつければいつか勇者と旅ができるのではないかという企みである。


 実際、遠い昔には勇者と共に旅をする僧侶は少なくなかったという。神殿騎士もその例には漏れない。ならば、もしかしたら。ひょっとしたら叶うのではないかと夢想していた。驚くべきことにその機会が本当に訪れた。聖女マリー様の神託により、本当に勇者がこの地に訪れたのだ。


 新たな魔王を倒すべく旅をしていた勇者は魔族との戦いで傷つき、死の危機に瀕している。それをお救いせよと。そこで白羽の矢が立ったのがアンジュだった。聖都の大神殿で働く僧侶や同僚、果ては聖女様にもアンジュが勇者に憧れているという事実は知れ渡っていた。ちょうど良いと思われたのだろう。


 でも実際に会った勇者様、つまりレインは、事あるごとに自分を勇者ではないと言い放つ奇妙な人物だった。謙虚というだけではない。たとえ本当にそうでなかったとしても、勇者と呼ばれて進んで否定する人物など少数派だろう。召喚の勇者の弟子であったという経歴をとってみても資格は十分にあるように思える。


 神託で勇者だとはっきり言われている以上、アンジュとしては勇者としての自覚を持ってほしいが、レインには心の傷があった。勇者に相応しいと思っていた、好きだった人物が死んでしまったという傷だ。いつもその人の幻影と自分を比べて、ああ、自分なんかでは駄目だと苦しんでいる。アンジュにはレインのその呪いを解いてやることができない。


 アンジュはレインのことも、その死んだ人のことも知らなさすぎる。軽々しい慰めの言葉など効かないだろう。それならそれでもいい。勇者であることが重荷なら重荷の分だけレインを支えればいいのだ。それが聖女マリー様のお与えになった使命なのだと思った。


「身を守ることが精一杯なら、さらに追い込んでやろう。フロートフローズン!」


 フェルミオンが両腕を広げると、炎の壁で身を守るアンジュたちの周囲に巨大な氷の結晶が次々と空中に現れる。氷系魔法のひとつ、フロートフローズン。この魔法は相手を氷漬けにするといった派手さはないが、触れたものの温度を大幅に下げるという効果がある。


 人間は体温が20度を下回れば低体温症でほぼ死亡状態となる。フロートフローズンを三、四発も浴びればそれだけで死に追い込めるのだ。とはいえアンジュたちにとってただちに脅威となるわけではない。たとえば炎の壁を周囲にぐるっと円状に展開すればそれだけでほとんどこの魔法は防げるだろう。


 それでも空中にはかなりの量の氷の結晶がばら撒かれており、フロートフローズンを避けながらの接近戦は難しい。これはフェルミオンが長期戦でも付き合ってやるという意思の表れだ。このままの状態で時間が経てば、いずれ防御役のレインの魔力切れで『詰み』にはまってしまうことになる。


「アンジュは確か防御魔法が使えたね。この吹雪は防げそうかな?」

「あ……その、少しの間だけなら。私のディヴァインバリアは一方向にしか展開できませんが、この吹雪の様子なら可能かと……」

「よし。じゃあ俺の代わりに防御の担当をお願いしていいかな。俺は『奥義』でフェルミオンを叩く。それで決着をつけるよ」


 レインの目には強い覚悟が秘められていたが、同時に何かを隠しているようにも見えた。アンジュにはそれが何か分からない。だから否定できなかった。この局面での反撃は必要不可欠であり、曖昧な理由ではレインを止められない。


「待つのじゃ、レイン君。その奥義とやら、使っても君は無事なのじゃろうな」

「……モーランさん。なぜそんなことを聞くんですか?」

「なに、年寄りの勘じゃよ。そんな都合の良い技があれば最初から使うのではないかと思うただけじゃ」


 レインは一瞬だけ押し黙って、それから静かに口を開いた。


「……そうです。俺の奥義はまだ未完成で、使うと制御できずに自滅しかねません。炎を纏い、同化する技なのですが……」

「そうじゃったのか。それなら力になれるかもしれんのう。儂は炎魔法が得意なのじゃ。制御を手伝えるぞ」

「そんなことが可能なんですか……!」

「うむ。まぁ付与魔法の応用みたいなものじゃ。これで作戦は決まったのう。アンジュちゃんが防御してくれている間に、儂が魔法で補助を、レイン君が攻撃を担当する。よいな」


 アンジュにもそれで異存はなかったので「それでも問題ありません」と言って頷いた。レインが大剣を掴み直してアンジュを見た。レインが大剣を抜いて炎の壁を解除したら、アンジュが防御魔法を張る。切り替えのタイミングを間違ったら一巻の終わりだ。


 意識を集中させて魔力を練り上げると、魔法陣が空中に浮かぶ。するとレインが大剣を地面から抜き、炎の壁が消失する。同時、アンジュが光の障壁を展開する。切り替えは上手くいったものの想像より長持ちしそうにない。長くてせいぜい2分が限界だろう。


 その間、レインは大剣を両手で握り、切っ先を天に向けて炎を身に纏う。これが奥義。戦いに身を置く者として、同じ年齢の人間がすでにその境地に到達しつつあるとは。まさしく驚嘆に値する。モーランが杖を向けると、幾つもの魔法陣がレインの身体を通過する。


「凄まじい熱量と炎じゃ。これは制御に手こずるのも頷けるわい。じゃが、儂が制御の主導権を握っている間は炎で自らが焼かれるという心配もないはずじゃ……!」

「本当だ……いつもと違って炎を纏っているのに身体が痛くない。これなら……行ける!」


 炎を纏ったレインが空高く飛び上がった。翼のように羽ばたく火炎を纏ったレインはまるで優雅に空を舞う不死鳥であり、美しいとさえアンジュは思った。同じく空中にいるフェルミオンめがけて突っ込んでいくが、フェルミオンも呆然としているわけではない。浮遊魔法を駆使して、紙一重でレインの突進を回避する。


「な、なんだその炎はっ! 私に対して野蛮ではないか……! ええい、集中砲火で沈め!」


 アンジュとモーランに向けられていた吹雪が空中のレインに標的を変えた。それだけでなく、フロートフローズンによる氷の結晶やフロストジャベリンによる氷柱もレインめがけて飛んでいく。まさに集中砲火。


 それをレインは避けることもなく無視してフェルミオンへと突っ込んだ。どの氷魔法も命中前に炎が溶かしており、まったく効いていない。ただ不死鳥の突撃がまたしても紙一重で避けられてしまう。それでも今のは惜しい。フェルミオンの和服の袖がちりちりと焼け焦げている。


「往生際が悪いみたいだけど、次は絶対に外さないっ!」

「この人間風情が……! 調子に乗るのも大概にしろ! 私の最大魔法を食らって恐れおののけーッ!!」


 レインが三度目の突撃を敢行しようとしたとき、フェルミオンの真下に白い壁が出現した。いや、そのあまりの質量にアンジュの目を壁だと錯覚させたのだ。あれは雪だ。膨大な量の雪が持ち上がり、壁のように見えたのだ。城どころか小さな村すら飲み込めそうな雪崩が波濤のごとくアンジュとモーランに襲いかかる。


「これが魔族の力だ! 私のこの魔法から生き残った人間はおらんぞ!」


 自分の居城さえ潰しかねないほどの魔法。魔法の規模が違い過ぎる。アンジュの防御魔法ではさすがにこの雪崩は防げない。助かる見込みは限りなく低いだろう。これではレインを支えるどころかかえって足手纏いだ。


「レイン様! 私たちに構わず攻撃を……フェルミオンを倒してください!」


 神殿騎士として戦いに身を置く以上、アンジュには死の覚悟がある。戦いで勝つためには、守りたいものを守るためには、時に仲間を見捨てる、あるいは見捨てられる覚悟が必要だと。戦いは非情で、残酷なものだ。甘い考えは捨てなければならない。空を飛べるレインなら雪崩を回避することは簡単である。アンジュとモーランさえ見捨てれば。


「そんなことできるわけない! 今、助けに行く!」


 レインはアンジュとまるで違う思考をしていた。高度を下げたレインがアンジュとモーランの前に立つと自らを壁として雪崩から二人を守った。激しい炎が雪を溶かし、避けるように真っ二つに裂けた。信じられない。自分たちを気にしなければフェルミオンを倒すチャンスがあったはずなのに。


「どうして……レイン様……?」

「……大丈夫だよ。アンジュとモーランさんは……必ず守り切る! みんなで勝とう!」


 けれどもその言葉は、幼い頃のアンジュが心の底から欲していた言葉だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。