95話 勇者という称号(5)
フェルミオンの放った雪崩はあまりにも大規模で広範囲に及ぶ魔法だった。それでもレインは身に纏う炎を利用して覆いかぶさった雪を溶かし、雪崩の中から脱出することに成功した。
周囲を確認するとフェルミオンの城の城壁の一部が雪に飲み込まれている。城の中庭で雪崩を発動したせいだろう。城そのものは無事とはいえ、危ないことをするものだ。
「……生きていたのか。だがその様子では魔力のほとんどを使い切っているようだな」
上空からフェルミオンが下りてくる。たしかに奥義であるプロミネンスブレイザーはもう使えない。それでもまだ一撃くらい技を放つだけの魔力は残っている。レインは大剣を構え直しながら攻撃の機会を窺った。
「さすがは魔族だ。古代魔法が使えたんだね。人間三人を殺すにしては過ぎた魔法だと思うけど……」
「その言い方は好かんな。我ら魔族の魔法を人間が勝手にそう呼んでいるだけだ」
フェルミオンは扇子で口元を隠しながらくすくすと笑った。
「他の仲間はどうした。ひょっとして死んだか? まぁ私の魔法で死なない方がおかしいのだがな」
「……なんだか勝った気でいるようだけど、まだ戦いは終わってない。続きをやろう」
大剣スヴァローグに炎が宿る。迎え撃つかのごとくフェルミオンの周囲に魔法陣が幾つも浮かんだ。
「馬鹿め。普通の魔法ならまだいくらでも使える。力尽きているお前を殺すことなど造作もないわ」
「フェルミオン、君の弱点を教えてあげようか」
「必要ない。私に弱点などないからな。百歩譲ってあったとしてもお前ら人間ごとき……」
「自信過剰だよ。人間を弱いと決めつけているせいで油断し過ぎてる。判断も甘い」
「負け惜しみはやめろ。そんなに死にたいならさっさと死んで……」
フェルミオンが言葉を言い終えることはなかった。真下の雪が吹き飛び、現れた炎の柱が彼女を包み込んだのだ。業火が悪しき魔族の身体を焼く。その痛みによってか、この世のものとは思えぬ悲鳴がこだました。
「ああああああぁぁぁぁぁぁ!!!! これは炎魔法!? なぜ……なぜお前の仲間が生きている!?」
「魔法の規模が大きすぎたせいで状況把握が遅れたようじゃな、フェルミオン。レイン君が壁になってくれたおかげで生きておるよ」
「そ、そんな馬鹿な……私の雪崩を逆に利用して隠れるなんて……」
「これは死んでいった儂の仲間の分じゃ……! 存分に味わうがよい!」
普通の魔物相手ならこれで倒せていたのだろうが、フェルミオンとて魔族の端くれ。氷魔法で冷気を操り、自らを焼く炎を鎮火させる。酷い火傷を負いながらも炎を消し去ったとき、雪の中からアンジュが飛び出してきた。モーランの炎の柱はただの攻撃ではない。アンジュのための通り道を作る目的もあったのだ。
「罪深き魔族よ、神に代わって裁きを下します! 覚悟しなさいっ!」
真っ白な聖剣を振り、フェルミオンめがけて袈裟斬りを放つ。その斬撃は急所に届き、とどめを刺すには十分だった。さらにつけ加えるとアンジュの剣は退魔の力を持っている。魔物はもちろん魔族にも特効を発揮するのだ。フェルミオンはふらふらと後ずさりをすると、やがて力を失って仰向けに倒れた。
「嘘だ……人間なんかにこの私が負けるなんて……」
それだけ言い残してフェルミオンの命は尽きた。レインはその死を確認すると、召喚変身を解除して雪の上に座り込んだ。
「……危なかった。奥義の炎と熱で雪崩の中に雪洞のような空間を作れたのが良かったですね。まったくの偶然でしたが……」
「そうじゃのう。フェルミオンの迂闊さにも助けられた。頭の切れる魔族が相手なら通用しなかったじゃろうて」
最終的に綱渡りのような戦いだったが、運も実力のうちだと思っておこう。後はフェルミオンに攫われた子どもを助け出すだけだ。レインはアンジュに助けられて身体を起こすと二人とともに城の中に入った。城内にはまだ魔物が何体かいたが、アンジュがすべて倒した。
攫われた子どもたちはすぐ見つかった。全員で三人おり、まだ何もされていなかったらしい。レインたちはすぐに城から離れて下山し、ふもとの村まで連れて帰った。
何気なく村で〈絆の指輪〉を使ったのだが、驚くことに指輪はクーラント山脈の方角を指し示していた。山脈には北側から登って、南側にあるふもとの村へ下りたので、リザは山脈のどこかにいるということになる。
気になって村人にリザのことを聞いたりした。村人は口を揃えてそんな幼い冒険者は見ていないという。レインの脳裏にある予想が浮かんだ。リザはもしかしたら、サティエンドラ戦で見せたあの獣の状態のままなのではないかと。あのときリザは少々暴走していたように見える。その状態が続いていたのだとしたら、未だ人里に来ない理由も分かる。
レインは魔力切れ寸前だったため、回復するまで一日ほど村に滞在した。子どもを助けてくれたお礼に無料で空き家を貸してくれた。その日の夜のことである。部屋にアンジュが突然やってきた。
「夜遅くにすみません。あの……レイン様。少しお話があって来たんです。お時間よろしいですか?」
「アンジュ。もちろんいいよ。何か用でもあるの?」
寝室はベッドしかない部屋なので、レインは居間に移動してアンジュを椅子に座らせ、お茶を淹れた。空き家は旅人がよく使うらしく、食器一式や茶葉が常備されていた。ティーカップをアンジュの方に置くと、レインも机を挟んだ向かいの椅子に座る。
「それで……話っていうのは?」
「はい。レイン様に謝っておきたかったんです。レイン様の事情も知らず、勇者であることを押しつけてしまったみたいで……」
そのことか。と思った。たしかに勇者と呼ばれるとむず痒いし、本物の勇者だという誤解を与えるので呼ばれたくないのが本心だ。でも謝られるほどのことでもない。口にはしないが嬉しい気持ちもほんの少しだけある。むしろレインの方が申し訳ない気持ちになってアンジュに頭を下げた。
「俺の方こそごめん。そんなに気にしなくていいんだ。ただ誤解を招くのが嫌で……」
「いいんです。私は勇者様に憧れるあまり、レイン様のお気持ちを考えていませんでした。それに勇者などというのは称号に過ぎません。レイン様が勇者である自覚を持つかどうかに拘泥するのは愚かです。私は本質を見誤っていました」
「は……はぁ……? そうなんだ……?」
「そうです。大切なのは勇者という称号ではなく、その心の在り方なのです。心に、行動に、慈愛と勇気があれば勇者足り得るのです。私は魔族フェルミオンとの戦いでそう確信しました」
いかん。なにか別の方向であらぬ誤解を受けている。果たしてあの戦いにそんな要素があっただろうか。レインの体験した戦いとアンジュの体験した戦いにかなりの違いがあるような気がする。人間の主観とは恐ろしいものだ。
「そう……なんだ? 俺は普通に戦ってただけなんだけど……」
「いえ! フェルミオンの魔法で雪崩が起きたとき、レイン様は攻撃を中断して私とモーラン様を守ってくださいました! 死の危険も顧みずに! 誰にでもできることではありません!」
「いや……それはまぁ、俺の中では助けられる計算だったからだよ……それに俺たちは仲間で戦ってるんじゃないか。相手は魔族だよ。とても手強い相手だ。仲間が一人でも欠けたら勝てるかどうか分からないし……」
それに仲間も助けられないのに攫われた子どもを助けられるわけがない、とも思う。少なくともレインはどんな状況でも犠牲を前提に戦う気はなかった。それがハイトの教えでもある。
他人を犠牲にして戦うぐらいなら、最初から挑まないか、そうでもなければさっさと逃げてしまえと教わった。冒険者の戦いにおいて、犠牲を必要とするのは実力不足だからというのがハイトの理屈だ。
「レイン様の中では当然のことだったのですね。でも私にとっては救いだったのです。レイン様のその心の在り方が、私は好きです」
アンジュの顔は引き締まっており至って真面目だった。真面目な顔でそんなことを言うのか。
面と向かって好きなどと言われると、どうしても照れくさくなってしまう。反面、嬉しいのも事実だ。
「それはありがとう……でも、俺たちはもう仲間だ。助け合うのが仲間だから……やっぱり普通のことだよ」
「そのことですがレイン様。ひとつ我儘を言わせてください。私を……勇者とその従者の神殿騎士ではなく、冒険者レインの仲間として、改めてパーティーに入れて欲しいのです」
「……そんなことでいいのなら。むしろそっちの方が嬉しいくらいだよ」
アンジュは引き締まった顔を綻ばせ、満面の笑みを作った。
いつも真面目な顔をしているので、こんな表情もできるのか、と内心で驚いた。
「ありがとうございます! ここから先は聖女マリー様の命令だけでなく、一人の冒険者として同行させていただきます!」
「その、以前にも言ったけど……危険な旅になるよ。魔族と戦う機会も増えると思う。そういう手強い相手とも俺たちは戦う必要がある」
「大丈夫です! 私も精一杯戦いますので! 絶対に勝ちましょう!」
「そ、そうだね……やる気十分なのはいいことだ。じゃあ……これも渡しておくよ」
懐を探ると、あった。残っていた〈絆の指輪〉だ。製作者のロージーから四人分もらっていたので、まだ一個余りがあったのだ。レインはそれを手に乗せてアンジュに見せた。
「仲間はみんな持ってるんだ。アンジュはいつまで同行するか分からなかったから迷ったんだけど、渡しておくよ」
「あの……レイン様。もうひとつだけお願いしてもよろしいでしょうか?」
「どうしたの?」
「レイン様が……私の指にはめてください。構いませんか?」
そう言ってアンジュが左手を差し出した。言われるがまま、レインはその通りにした。




