71話 真理の鍵団(9)
伯爵の管理していた魔導書ごと偽アルケインは燃え尽きた。その焼け焦げた跡から、魔法陣が不気味に浮かび上がり、人型のシルエットが出現する。シルエットの正体が徐々にあらわになっていく。それは赤銅色の身体をもち、針のような尻尾があり、四つの目をぎょろぎょろと動かしていた。どこかサソリを思わせる姿だ。
間違いない。魔族だ。かつて戦った腐毒公爵の異名をもつ魔族、グリマルディと似た恐ろしい気配。それがレインの感覚を刺激させ、本能的に理解させるに至った。目の前の怪物は人類の敵と言ってもいい危険な存在であると。
「ようやく封印から解放されたよ。長かった……私は赤銅魔蠍アンタレス。お前たちには感謝しよう」
「自己紹介ありがとう。君が真理の鍵の書なんて偽の情報で人を操り、魔導書の封印を解かせた犯人。そういう解釈でいいのかい」
カイルの言葉を聞いたアンタレスは大仰にパチパチと手を叩いた。
「素晴らしい。説明せずとも理解できているとはね。そうだよ。アルケイン……ああ本名はダールなんだがね。こいつは私の『魂』を封じた魔導書を管理していた一族だ。彼には魔法の才能が一切無くてね、それを酷く嘆いていたようだ。ちょっとそそのかして力を与えたらコロッと操れたよ」
「ついでに聞いておきたい。僕の名前を勝手に使ったのは誰のアイデアなんだ。魔族、君のせいでいいのか?」
「ああ。それはダールだよ。ずっと憧れていたようだからね。まさかそれが封印を解くのに一役買ってくれるとは私も想像していなかったよ」
魔族アンタレスはゲイツ伯爵の方を向くと、軽やかに一礼した。
「そうそう。お前にも感謝せねばな。おかげで思惑通り『肉体』を封じた魔導書の封印も解くことができた」
「……それは私の本意ではない。まさか『魂』の魔導書の封印まで解かれていたとは知らなかったが……」
「ああ。私の魂と肉体、この二冊を管理する一族は、お互いのことを知らないのが面倒だった。片方が奪われても、もう片方の情報が渡らないようにするためと聞いたが……まぁ、そこは真理の鍵団を使って、調べることができたがね」
伯爵は苦い顔をしていた。バンビーナも動揺しているのか、身体を震わせながら呟くように言った。
「では……私たち真理の鍵団は……この怪物に騙されていたというの……?」
「そうだな。でもダール同様に役に立ってくれたよ。人間ごときとはいえ、そればかりは感謝している」
レインは鞘から凍結剣グラキエスを抜き、戦闘態勢に入った。封印が解けて魔族が復活したらレインとカイルでそいつを倒す。そういう約束だ。カイルが決めたことではあるが、危険な魔族を放っておくわけもない。アンタレスは尻尾をしきりに動かしながら呟いた。
「やる気か? 構わないが……少し待て。復活したばかりで腹が減った。栄養補給が先だな」
レインは何を悠長なことを言いだすのかと思って怪訝な顔をする。アンタレスの針のような尻尾が伸びたかと思うと、やや離れた位置にいたバンビーナの胸に尻尾が突き刺さった。尻尾はどくどくと脈打ち、バンビーナの身体がからからに干乾びていく。
「あ……ああ。あああ~~~~」
「うぅん。いい声だ。栄養補給をするならやはり女に限るな。美味いぞ。もっと吸わせてくれ」
ずりゅ、と尻尾を引き抜かれると、尻尾はくねくねと動きながら次の獲物を探すように動いた。リザが青褪めた顔で「ひっ」と声を漏らして、レインのマントの裾を掴みながら後ろに隠れる。
「アルケイン様……申し訳ありません、ご無事ですか……な、なんだこれは!?」
聞き慣れない声が響く。魔族アンタレスとレインたちの睨み合いの渦中に飛び込んできたのは、偽アルケインことダールの弟子。ウォルシュとロゴスだった。ウォルシュは拘束しておいたはずだが、仲間と一緒のあたり、あの後に助けてもらったのだろう。タイミングの悪すぎる登場にレインが叫ぶ。
「こっちに近づかないでください! すぐに逃げて!!」
「ふむ。男か。まあいいだろう、餌にはちょうど良さそうだ」
アンタレスの尻尾が素早く動き、ウォルシュの胸に突き刺さった。ウォルシュが瞬く間に干乾びていく。最早、黙って見ているわけにもいかない。敵の実力は未知数だが、レインは構わず凍結剣を振りかぶって突撃した。
「私の栄養補給を邪魔するとは。いい度胸だな」
凍結剣に魔力を込めて、吹雪を発生させる。レイン自身も手を焼かされた魔法攻撃だ。普通に浴びればすぐさま氷漬けになるだろう。だが、アンタレスは手から火炎を放ち、あっさりと吹雪を相殺してしまった。続けて尻尾を鞭のように振るい、レインはそれを凍結剣で受ける。
見た目には軽い一撃のように思えたかもしれない。だが鈍器で殴りつけられたような重い衝撃があり、レインは後方の壁まで吹っ飛ばされるはめになった。凍結剣が聖水晶の刀身でよかった。普通の剣なら絶対に叩き折れていただろう。
「う……うわああ~~~~!!」
ロゴスは叫び声を発しながら逃げ出したが、アンタレスがそれを許すはずもない。背中から尻尾を突き刺し、その身体を味わうように啜り、からからに干乾びさせてしまった。
「ふむ……まぁこんなところか。腹も膨れたことだし、そろそろ始めるとするか?」
「随分な余裕だね。魔族っていうのはみんな君のように自信家なのかい?」
「さあな。だが人間ごときより魔族の方が上位の存在だと思っているのは確かだろう」
次の瞬間、アンタレスを360度包囲するかのごとく風の刃が吹き荒れた。いつかレインも食らった記憶がある。風魔法、ミストラルエッジである。さらに駄目押しとばかりに、上から蓋をするかのごとく、空気による圧力の衝撃が降ってくる。これも風魔法のひとつ、エアハンマーだ。避ける隙間はどこにもない。
それに対してアンタレスは、避けるそぶりも防御するそぶりもなかった。ノーガードでこの魔法の飽和攻撃を食らった。風魔法が激しく命中し、堆積していた土埃がぶわりと舞ってアンタレスの姿を覆い隠す。レインは吹き飛ばされた痛みを堪えながらよろよろとカイルの近くへと歩み寄る。
「……やったのか? カイル……?」
「信じがたいことだけど、この手応え……まったく効いてないな。なるほど、これが封印されていた理由か」
アンタレスは無傷だった。あれほどの魔法を食らって、まったくのダメージがないなどありえない。何かの特別な理由があるはずなのだ。レインのそんな疑問を解消してくれたのは他でもないアンタレスだった。
「魔法は効かないよ。私は魔法に強力な耐性があってね。物理攻撃以外では傷を負わないんだ」
魔法耐性。一部の魔物などが持つ固有の能力だ。その名称通り、魔法が効きにくくなるのだが、まさか魔法をほぼ無効化するほどの耐性持ちがいるとは知らなかった。
封印されていた理由もこれで理解できる。シャルム公国は魔法使いの国。冒険者や兵士の多くも魔法を習得しており、そんな国において魔法が効かないアンタレスはまさに天敵と言える存在だ。だからアンタレスと戦ったであろう者はこの魔族を倒せず、封印という措置を選んだのではないだろうか。
「次はこちらの番だ。私も魔法を披露してやろう。人間などには絶対に到達できない、魔族の圧倒的な力を……!」
アンタレスが腕を前に伸ばして手を合わせると、両腕に魔法陣が浮かぶ。地響きがして、この地下室全体が大きく揺れだすと、アンタレスの魔力が激しく膨れ上がっていく。この現象。レインはこれを知っている。カイルと戦ったときに似たようなことが起きた。そのカイルが納得したように呟く。
「これは……古代魔法か……魔族だものな。使えて当然か……!」
「今の人間はそう呼んでいるのか。これは元々魔族の技術だよ」
合わせた手から細長い炎が形成される。やや反りのあるこの形状は誰もがよく知る武器の形。弓だ。弓を引き絞るように片手を後ろに引くと、炎の弦と炎の矢が出現した。あれはやばい、とレインの本能が告げる。見たことのない炎魔法だが、とてつもなく危険なことだけは理解できる。
「とくと味わえ。ケーニッヒ・フレアプファイル」
「避けろーーーーーーっ!!!!」
気がついたらレインは叫んでいた。炎の弦を手放したアンタレスから高速で矢が放たれた。リザやカイルが素早く横に飛んでいたのはともかくとして、戦い慣れなどしているはずもないゲイツ伯爵は明らかに反応が遅れていた。レインは伯爵の身体を掴んで、コンマ数秒遅れて回避する。
幸運なことに炎の矢が直撃した者は誰もいなかった。しかしその余波でも十分な威力があり、爆発さながらの火炎がレインたちに襲いかかる。レインは魔法を弾くマントで身を覆いながらゲイツ伯爵を守った。地下室が崩落しなかったのが奇跡なほどであり、着弾した壁面には大穴が穿たれていた。




