43話 再会(2)
「魔王が死んで500年……人間と魔族の戦いは終わって、今は人間と人間が殺し合う時代になっちまった。悲しいよなあ。俺はもちろん、お前の両親も戦争に巻き込まれて死んだ。誰かが世の中を変えなくちゃいけない。そうは思わないか?」
「……確かに俺やアシェルの住む国はそうだったかもしれないけど……」
「そうだ。そういう国がたくさんあるってことを知らないとは言わせない。今は勇者が望まれる時代じゃない。優れた統治者が望まれる時代なんだよ」
「アシェル、君がそれになろうって言うのか」
「今のところはそのつもりだ。お前も知ってるだろ、俺はこれでも王族の血筋を引いてるんだぜ」
戦争で滅んでしまい今や存在していないが、アシェルはティアルト大陸に存在していた小国の王族だ。アシェルの故郷が滅んだのは彼が5歳くらいの頃の話だが、両親が死に、故郷が炎に飲み込まれ消えていく様は鮮明に覚えている、と聞いた記憶がある。
「人々のために平和な世界を実現する。それが今の俺の目的だ。師匠を殺したことはすまないと思ってる。ただレイン、俺はお前のことを弟分……いや、本当の弟だと思ってるんだ。できるなら、お前とは戦いたくない。だから俺に協力してくれ」
しばらくの沈黙があった。ひどく長い時間のように思われたが、現実の時間としては数瞬に満たない僅かな時だった。
「……俺も。アシェルのことは本当の兄さんのように思ってたよ。恥ずかしいから、言えなかったけど……」
「……そうか。そう言ってくれると本心から嬉しいぜ。じゃあ俺と一緒に……」
「でもその夢に協力することはできない。仲間にはならない」
レインは決意を込めた表情でアシェルを見た。アシェルは一瞬だけ呆気にとられた顔をしてから、その表情を引き締める。
「それは俺が師匠を殺したからか? レイン、それには誤解があったんだよ。師匠は俺が手に余る力を追い求めることに反対してた。勇者と呼ばれた人だからな。力に溺れるとでも思ってたんだろう。結局説得できなくて、師匠とは戦うはめになっちまったけど……殺すつもりは無かったんだ」
もちろん、それもある。それもあるが、見過ごせないことがある。
「違う。アシェルが変わったからだよ。だから……その言葉を信じることができない」
「俺が変わった? そうだな。少し変わったかもな……でも大した問題じゃないだろ? そんなこと」
「『人々のために平和な世界を実現する』ってアシェルは言ったけど、俺の知ってるアシェルはそんな人じゃない。アシェルは昔からよく言ってたじゃないか。俺は自分のことしか考えてない、いつでも自分のためにやりたいことをやる、って」
かつてのレインはアシェルのことを慕っていた。だから、アシェルの言動や性格はよく思い出せる。アシェルは他人のため、なんて聞こえの良いことを言うような人間ではなかった。むしろ逆だ。俺は自分のことしか考えてないし、師匠のように他人のことなんて考えられない。と。度々口にしていた。
だからと言って他者を見捨てるような真似もしなかったが、究極的には自分のことしか考えない、と語るような人間だった。そんな人間が堂々と世のため人のため、なんて偽善者みたいな言葉を口にするとしたら、何か理由があるに決まっている。
「アシェル……何を隠してるんだ? 師匠はきっとその隠し事を見抜いたんだ。だから戦うことになった……違うかな?」
レインの真っ直ぐな瞳を見て、アシェルは溜息を吐くと前髪をいじりながらこう言った。
「はぁー……駄目だな。俺にこういうのは向いてねぇや。でもレイン、お前と戦いたくないってのは本心だったんだぜ。弟だと思ってたってところもな。まぁ、さっきの口説き文句はお前の好きそうな言葉を並べただけだ。俺はやっぱり自分のことしか考えてない」
「……良かったら教えてくれないかな。師匠と何があったのか」
「俺はずっと世界が許せなくて嫌いだったんだよ。俺から大切なものを奪った世界が、な。何もかもぶっ壊してめちゃくちゃにしてやりたかった。だから……この世界に来た。師匠はそれを止めようとして戦いになった。そんだけさ」
その日のことはよく覚えている。拠点の宿屋に逗留していると、夜遅くに師匠のハイトとアシェルだけが外へと出て行った。レインは最初、そのことを不審とも思わずに部屋で寝ていたが、しばらくしてから外で大きな音が鳴った。
嫌な胸騒ぎがしてレインは宿から飛び出し、音のする方へと向かった。音は森から鳴り響いていた。森の中へ入ると、血まみれになって横たわるハイトがいた。レインが誰がやったのかとハイトに聞くと、アシェルと戦ったが負けた、とハイトは言った。ハイトはこうも言った。もしできることなら、アシェルを止めてあげて欲しいと。そう言い残してハイトは事切れた。
長らく、アシェルとハイトが殺し合うに至った理由はレインにとって謎だったが、欠けていた最後のピースが埋まる気分をレインは味わった。ハイトは師匠として、闇に堕ちようとしている弟子を止めたかったのだ。
「魔族として世界を滅ぼす。それがアシェルの目的なんだな」
「ああそうだ。その目。もう俺と敵対することを決めた目だな。ったく、しょうがねぇなぁ」
レインは剣を鞘から抜いて構えた。魔力は尽きていて万全ではない。最早、召喚魔法すら使うことのできない状態だ。それでも気力は十分に満ちている。かつて兄弟子だったこの男を、殺めてでも止める。それが師匠ハイトの望みであり、自分のやるべきことなのだと理解できたからだ。
「……やる気だってんなら、少し遊んでやるか。死んじまっても文句は言うなよ?」
肌が一気に粟立つ。凄まじいほどの殺気を叩きつけられてなお、レインの心は揺るがない。この戦い、勝機は限りなく薄い。まずレインが万全ではない。
魔力が尽きて用意していた対アシェル戦の切り札も使い物にならなくなってしまった。ただでさえレインとアシェルの実力には大きな差があるのに。その差はアシェルが人間を辞めたことでさらに開いているだろう。
だからレインも勝つ気はない。少しでもアシェルの手の内を引きずり出し、情報を得て元の世界に撤退する。魔界に住まう魔族がほとんどアシェルの配下というのが真実だとしたら最早レイン一人ではどうにもならない。
レインは一直線に突っ込むと、距離を詰めて剣を横一文字に振り抜く。アシェルはレインの攻撃に対して微動だにしない。見えない障壁がアシェルの周囲を覆っている。これはアシェルが得意としていた防御魔法だ。インビジブルフィールド。知覚できない障壁を張り、しかも鉄壁の防御力を誇る魔法である。
「おいおい。成長してねぇなぁ、レイン! お前の実力はこんなもんなのか?」
剣を引き、今度は上から。障壁で防がれる。ならば逆袈裟で斬りかかる。障壁で防がれる。分かり切っていたことだ。今のレインの斬撃ではアシェルの防御魔法に手も足も出ないことなど。それでも儚い抵抗を続けようとすると、アシェルは右手を前に突き出した。
それだけで剣が叩き折れ、レインの腹に何かが命中してその身体を大きく吹き飛ばす。洞窟のごつごつした地面を転がると、背中が何かに激突して静止した。危なかった。咄嗟に魔法を弾くマントで防御していなければ死んでいただろう。
それでも負傷は決して小さくない。レインは何かが込み上げてくる感覚がすると、激しく咳き込んで血を吐いた。内臓が損傷しているのだ。ポーションか、治癒魔法か、何かしらの回復手段を使わなければもうまともに戦うこともできない。
「もしかしてとは思ってたが、そりゃ師匠のマントか。そいつは魔法を弾くんだよなぁ。泣かせるぜ、形見ってわけだ」
今の攻撃魔法、衝撃波を発生させるだけの単純な攻撃魔法だと思うが、恐ろしく高度に練り上げられている。一切の無駄がなく、発動時に魔法陣の展開を省略していたのでタイミングも読めなかった。魔法陣の展開省略は賢者クラスの魔法使いでなければ不可能な芸当だ。
それを平然とやってのけるアシェルはやはり尋常な使い手ではない。手の内を引きずり出すことが目的だったが、それすら達成できそうにない。剣も折れた。召喚魔法はもう使えないので新しい武器も用意できない。
かといって逃げようにも、今更逃げ切れるだろうか。思考を巡らせていると、地面に刻まれている魔法陣が光を帯びた。それはまったくの偶然だった。レインが吹っ飛んだ位置には、転移した時に使った石碑と魔法陣が存在していたのである。
今、レインの背中に当たっているものが石碑なのだろう。石碑に触れたから、偶発的に転移魔法陣が起動したのだ。アシェルはわざとらしく指を鳴らして愉快そうに言った。
「あ~っと。レイン、お前、狙ってそこに吹っ飛んだのか? でも実力はよく分かった。取るに足らない相手だってことがな。今回は見逃すことにするよ。いずれ軍勢を引き連れてそっちへ戻る。その時に、また決着をつけようぜ」
魔法陣の眩い光に包まれたレインは、一瞬にして魔界から姿を消した。
◆
周囲が真っ白になったかと思うと、景色が戻ってくる。魔法陣の光が収まればそこにはデルヴォ迷宮の風景と、魔法陣の外側にいるリザたちの顔があった。負傷しているレインの様子を見て、リザたち三人は慌てた様子でレインに近寄る。
「兄貴、大丈夫っすか!? 意外と早く戻って来たと思ったっすけど、その怪我は……!?」
「向こうで……アシェルと戦った。この魔法陣は魔界に繋がってる……アシェルは……アシェルは……」
「レイン君、話すのは後にしましょう。今はこれを飲んで落ち着いて。少しは楽になると思うから」
そう言ってセシリーがポーションを飲ませてくれた。腹が痛くて吐きそうになったが、なんとか飲み干した。すると徐々に痛みが和らいでいくのを感じた。その様子を見守っていたライアンはふと石碑を見てこう言った。
「レインが無事に帰ってきたのはいいが、向こうで戦ったその兄弟子さんは追いかけてこないのか? レインがこんなになっちまうんじゃあ、もし襲われたらこの中の誰も勝てないぞ」
「それは……大丈夫です。気まぐれかもしれませんが、今回は見逃すと言っていました……」
「そうか。でも敵の言うことだ。いまいち俺には信用できな……」
そう言いつつライアンが石碑にポンと手を置くと、真ん中の罅に大きな亀裂が走って、横から真っ二つに割れてしまった。
「……嘘だろ」
「ちょっ……何してるのライアン……壊れちゃったじゃない」
「いや待て。俺じゃない。俺じゃないからな。この石碑が元から老朽化していたんだ。だってボロボロだったし……」
「誰がどう見ても貴方が壊したのよ。もうこの魔法陣は使い物にならないわ。素人でも分かる」
「あ、ある意味良かったんじゃないか? ほら……これでレインの兄弟子さんも追いかけてこれないわけだから」
ライアンの苦しい言い訳をセシリーは冷ややかな目で見ていた。よろよろとレインは立ち上がり、静かに呟く。
「アシェルはもう人間じゃない……人間の世界を滅ぼそうとする魔王でした。誰かが……止めないと」
それは自身がアシェルを止めるために戦うという誓いに他ならなかった。




