32話 デルヴォ迷宮(1)
アズラ森林は暗く澱みのある森だった。木々に生えている葉がいくつにも重なって太陽の光を遮り、天気の悪い日にはうっすらと霧も出ていっそう暗さが増してくる。こういう陰気な場所には魔物が住み着きやすい。
実際、この森を通るなら、最近は人狼が出るから気をつけろと村人に言われた。人狼。ワーウルフのことだ。人間に化ける能力を持ち、人間の言葉も流暢に話せる。そんな能力を持っているのはなぜか。人間を好んで食う魔物だからだ。人間に化けて油断させ、近づき、その喉笛に噛みついて食い殺す。
レインとリザはそんな森林を早足で通り抜けようとしたが、途中でぬかるみにはまっている馬車を見つけた。商人の馬車らしく、困り果てていたようなので、レインとリザは手伝って馬車を押し出してあげた。商人はお礼に次の街まで送りましょうと言ってくれたので、お言葉に甘えることにした。
森は深く、それでいて広大だ。一日で到底通り抜けられる距離ではない。必然的に森で一夜過ごすことになった。助けた商人に夕食としてスープを振舞われたので、レインたちはそれを飲んだ。
スープを飲んだ直後、レインとリザに変化が起きる。崩れ落ちるように倒れてしまい、寝息を立て始めた。二人の様子を確認した商人は犬歯を剥いてその身体を変貌させていく。膨張する身体に衣服が破れ、毛皮で覆われたその真の姿があらわになっていく。
「やっぱり、貴方の正体はワーウルフだったんですね」
地面に倒れていたレインが片目を開けて商人に化けていたワーウルフの姿を確認すると、ゆっくり立ち上がる。ワーウルフは獲物が起きていたことに動揺したのか、本能的なものなのか、一歩後退りしてレインとの距離を保った。
「な、なぜ……スヤリ草の入ったスープを飲んで眠ったんじゃあ……」
「味がちょっと変だったんですぐ分かったっすよ。後はこの森に人狼がでるって話だったんでピンと来たっす。だからスープを飲んで寝たフリをして確かめたんすよ。そういうことっすよね、兄貴?」
「何も言わずに合わせてくれたリザには助かったよ。まあ、そういうことです」
スヤリ草は即効性の睡眠薬に使われる植物で、こういう薄暗い森に自生していることが多い。ただ上手く調合しないと特有の苦味が出るので、このワーウルフの作り方はあまり上手くなかったということになる。
「……バレちまったんならしょうがねぇ。こうなったら力ずくで俺の餌になってもら……!?」
ワーウルフがすべての言葉を紡ぐことはなかった。それより先に剣を抜いたレインが一振りで首を斬り落としたからだ。宙を舞った狼の頭部が夜の闇へと吸い込まれて消えていく。
「さすが兄貴っすね。ワーウルフって結構強い魔物だと思うんすけど……」
「地域によってピンキリだよ。少なくともこのワーウルフはそんなに強くないと思う」
「森に住み着いてるワーウルフって一体だけだったんすかね。聞いてた話によると、たくさんいてもおかしくない気が……」
なんて話をしていると、リザがびくっと身体を震わせ、周囲を見渡した。リザの鋭敏な感覚が森に潜む魔物の気配を察知したのだろう。姿こそ見えないが、レインですらなんとなく分かるくらいだ。五体か、六体か。正確な数こそ判別できないが確かにいる。
レインとワーウルフの間で膠着状態が続いた。おそらく数秒程度の長さだったが、張り詰めた空気と緊張感がその短い時を何倍にも引き延ばしているような感覚がした。先に動いたのはワーウルフたちである。激しい鳴き声と共に、一斉に襲いかかってくる。
まずは左右から一体ずつ攻めてきた。挟撃だ。レインは右手に剣を一本握っている。先程のワーウルフと同じ程度の強さだと仮定すれば、レインはこのワーウルフもおそらく一撃で殺すことができる。だが武器がひとつしかない以上、どちらかしか攻撃できない。一方を攻撃すれば一方を倒せなくなり、生き残った片割れがレインを殺すことになるだろう。
「召喚」
だがそんなことは召喚魔法の使えるレインにとって大した問題じゃない。魔法陣が浮かび上がり、左手で二本目の剣を握り締める。右側から襲ってくるワーウルフの頭をまず縦一直線の軌道で真っ二つに裂き、少し遅れて左側から襲ってきたワーウルフを横薙ぎの一閃で斬り捨てる。
「グゥゥゥゥゥッ!!」
夜の闇の中から鳴き声だけを漏らし、がさがさと草むらの中を移動する音がする。足音からして、残り三体といったところだ。三体目のワーウルフはレインの背後から奇襲をしかけた。地を這う低い姿勢で素早く接近し、鋭い牙で噛み殺す気だ。レインは振り返りもせず、左手の剣で脇の下から背後へと突く。正確な刺突が頭を貫通した。
剣から左手を離し、その間に正面から肉薄してきた四体目のワーウルフを真正面から右手の剣で切り伏せる。五体目は踵を返して逃げ出したので、レインは持っていた剣を投擲した。投げつけた剣は背中から心臓に突き刺さり、ワーウルフの命を奪うに至った。
「兄貴、まだ一体残ってるっす」
リザが言うならそうなのだろう。最後の一体は諸手を挙げて降参のポーズをしながら、のそりのそりと歩み出てきた。奇妙な個体だ。どことなく魔物らしくないというか、魔物が放つ特有の凶暴さや殺気を感じない。
「いや~。やるね兄さん。強いじゃないの。おっと、俺まで殺さないでくれよ。これは世を忍ぶ仮の姿なんだ」
「……変なワーウルフだね……悪いけれど、逃がす気はないよ」
「ああ! もったいぶってすまなかった、俺はこう見えて人間なんだ! ギルドの依頼でさ、ワーウルフが森に何体潜んでるのか知るためにあいつらと同じ姿に化けてたんだよ! 今戻るからちょっと待っててくれ!」
ワーウルフが人間の姿になるところを見ても、その話を信じられるのかは微妙な気がしたが、レインは黙って見守ることにした。獰猛な人狼の姿がみるみる人間に変化していく。
背はレインより少し低い。飄々とした顔つきの男性で、粗末な服の上から高級そうな狼の毛皮のコートを羽織っている。腰には幾つものポーチを提げた革のベルトを巻いていた。首にかけているのは冒険者の印だ。金色である。男の顔を見た瞬間、リザが「あっ!」と大きな声を出した。
「久しぶりだな、リザ。良い仲間を見つけたみたいじゃないか。元気にしてたか?」
「し……師匠。何でこんなところに……!?」
「さっきも言っただろ。依頼だよ。最近この森に住み着いたワーウルフを全部倒してくれ~って依頼を受けてたんだよ。まあその手間は省けたけどな」
置いてけぼり状態のレインを見て、リザに師匠と呼ばれた男が名乗る。
「申し遅れた。俺の名前はロキ。一応リザの師匠で、いわゆる金級冒険者ってやつだ。よろしくな」
◆
ロキがアズラ森林に来たのは昨日のことだ。森林に潜むワーウルフをすべて討伐してほしい、という依頼だったのだが、総数が分からなかった。だから道に迷った旅人のふりをしてワーウルフを誘い出し、返り討ちにして成り代わった。
そう、ロキは変身魔法が得意なのだ。見た目だけならどんな生き物にでも化けられる。無生物にはなれない。生き物であるなら、自分より遥かに小さい小動物でも、遥かに大きい竜にでも化けられる。
変身魔法で化けてワーウルフたちに接触すると、全部で何体か慎重に数えた。自分を含めて六体。隙を見て倒す予定だったが、それより早くにレインが片付けてしまったので、結局ロキは戦わずして依頼を達成してしまったのである。
アズラ森林を抜けた先にあるマルゴットの街を目指しながら、三人は歩いた。ロキが依頼を受けたのもマルゴットの街だったらしい。レインたちもそこを目指している。この街は王国北部の各迷宮に繋がる中継地点のような街であり、冒険者がたくさん集まる。
「それにしても、リザも遂に仲間を組んだのか。二、三年は迷宮案内で稼ぐのかと思ってたけどな」
「そのつもりだったんすけど、出会ってしまったっす……理想の兄貴に……」
「まぁ一緒にいたいと思える奴に出会えるのは良いことだ。仲間がいると楽しいしな」
かつてサントリナの村を通った際に、ロキの話を少しだけ聞いたことがある気がする。どんな人物なのかとは思ったが、まさか本当に出会うことになるとは思わなかった。旅は何があるか分からないものだ。
「ともかく街に良い酒場があるから、そこで一杯やろう。俺が奢るよ」
「師匠、兄貴は酒飲まないっす。まだ17歳なんで」
「あ……やっぱりそうだったのか? 若いなぁ。まぁいいや。じゃあ俺だけ一杯やるか!」
アズラ森林を抜けてしばらくすると、マルゴットの街が見えてきた。




