第3話 王太子の本性
父の説得というものは、中々に骨が折れるものだった。
イルドール殿下から預かった書類がなければ、決して納得はしてくれなかっただろう。
ただ、最終的にはなんとか受け入れてくれた。
それは、私を思ってくれての部分もあるのだと思う。アヴァーク殿下に裏切られ、また親友だと思っていたセレリナまで失った私に、父は同情してくれていた。
その心の傷は、未だに癒えているとは言い難い。
とはいえ、あまり考え込んでいても仕方ないといえる。私は今、私にできることをしなければならないのだから。
「ファルリア嬢、またよく来てくれたな?」
「ええ、アヴァーク殿下、先日はどうもありがとうございました」
「俺は特に、何かをしたという訳でもないさ。しかし、今日はどうしたんだ? こんなに短い間に俺を訪ねて来るとは、思っていなかったぞ?」
アヴァーク殿下は、急な私の訪問を受け入れてくれた。
そういった部分の対応は、寛大な王太子に思える。彼は取り繕うことに関しては、中々に上手いということかもしれない。
それに騙される所であった。このまま結婚していれば、私はきっともっとひどい形で、裏切られることになっていただろう。
「アヴァーク殿下、お伝えしたいことがあります」
「何だ?」
「あなたとの婚約を破棄したいのです」
「……なんだと?」
私の決定的な一言に、アヴァーク殿下はその表情を変えた。
彼のその険しい表情からは、人当たりの良さなどは感じられない。それが彼の本性なのだろうか。
いや、婚約破棄などと言われれば、誰であってもそういった顔になるものだ。これに関して彼を批判するのは、お門違いといえる。
「あなたとの婚約を破棄すると言ったのです。私が、何も知らないと思っていらっしゃるのですか?」
「何を言っているんだ? 俺との婚約を破棄するなんて、そんなことがあり得るものか。次期王妃の地位を捨てるというのか?」
「次期王妃なんてこちらから願い下げです。王太子様には別に想い人がいらっしゃるでしょう?」
「何? いや、それは……」
私からの質問に、アヴァーク殿下は視線をそらした。
それから、彼の目が泳ぐ。考えているのだろうか。私がどこまで知っているのかということを。
「あなたが何を言っているのか、俺には理解できないな」
「そうですか? それならば、名前を言って差し上げましょうか? セレリナと言えば、わかるものでしょうか?」
「……」
誤魔化そうとしたアヴァーク殿下だったが、私が名前を出すと黙ってしまった。
それは最早、言い返すことができなかったからだろう。彼は目を瞑り、ゆっくりとため息をつく。
「……それが何か問題か?」
そしてアヴァーク殿下は、口を開いた。
ひどく開き直ったその様は、なんともあくどいものである。これこそ正真正銘、彼の本性といいうことなのだろう。
「問題か、問題でないかと言われれば、大いに問題かと思いますが……」
「お前の尺度で、物事を語るな。俺を誰だと思っている? この国の王太子であるアヴァークだぞ? この国で最も偉大な存在、それが俺だ」
「……」
アヴァーク殿下の態度は、一変していた。
紳士的で誠実な印象だった彼が、今はひどく傲慢な王子に見える。
女癖が悪いなどと聞いていたが、それ以上だったようだ。彼の性格は、良いものではない。
「俺の妻になるのならば、そのくらいのことは許容してもらいたいものだな? 一体どうして、俺が我慢しなければならないんだ。普段から色々と、我慢しているというのに……」
「我慢ができているようには、思えませんが……」
「人当たりの良い王太子を演じるのも、疲れるということだ。そういった疲れを癒せる存在が、必要なんだよ。お前などには、それは務まらないが」
アヴァーク殿下は、私のことをかなり見下しているようだった。
王太子という地位を誇示して威張る彼は、なんとも矮小な存在に思えてしまう。
こうも器が小さい人だったなんて、思ってもいなかった。彼に一時でも敬意を抱いていたことが、最早腹立たしい。
「務まらないなら務まらないなりにしろということだ。お前は俺のお飾りの妻として、いればいいだけだったんだ。それで充分に甘い汁は吸えるというのに、婚約破棄するなど大馬鹿者じゃないか」
「……」
「いや、実際に大馬鹿者か。セレリナからよく話は聞いている。彼女の思いも、まったく気付いていないようなお前が、冷静な判断をするなど無理な話か」
アヴァーク殿下は、とにかくこちらを煽ってきた。
王太子とは思えないその粗暴な口振りには参ってしまう。彼からの罵倒を受け止めるにも、忍耐は必要だった。
ただここは、耐えなければならない。打ちのめされてもいけないし、反論するのも得策ではない。私はただ冷静に、事実を突きつけなければ。
「大馬鹿者で結構です、アヴァーク殿下。私の判断が愚かだというならば、それでよろしいではありませんか。ともあれ、あなたとの婚約は破棄させてもらいます」
「……っ!」
私の淡々とした言葉に、アヴァーク殿下はその表情を歪めていた。
煽りに乗らなかったことは、彼にとっては気に入らないことだったらしい。それがその所作からはよくわかった。
アヴァーク殿下は、短気でもあるようだ。それも少しのことで、機嫌を損ねるらしい。
本当に、彼は次期国王の器ではなかった。少なくとも、私はアヴァーク殿下が玉座に座るに相応しい人物であるとは思えない。
「後悔することになるぞ?」
「さて、それはどうでしょうか?」
「……ちっ!」
半ば負け惜しみのようにアヴァーク殿下が吐き捨てた言葉に、私は再度冷静に返答する。
それによって彼は、大きく舌打ちした。その悔しそうな表情を見ていると、少し気分がいい。
だが、ここで笑う訳にもいかなかった。私は淡々としていなければならない。アヴァーク殿下との口論などという無駄なことは、避けるべきことだったから。
そのため私は、彼に背中を向けて部屋から出た。これでとりあえず、彼との婚約はなくなったといえる。
「アヴァーク兄上と話はついたのか?」
「イルドール殿下……」
アヴァーク殿下との話を終えてから王城の廊下を歩いていた私に、イルドール殿下が話しかけてきた。
今度は以前のように偶然という訳ではなく、待ち構えていたのだろう。彼とは今回の一件において、協力関係にあるから。
「……話がついたのかどうかは、よくわかりません。それでも、婚約破棄するとは言えましたから、今の私にとってはそれで充分です」
「君は中々に、強い人だな?」
「そうでしょうか?」
「そう思うさ。今の状況は、充分に苦境であるといえるのだからな。それでもめげない精神力があるのは、立派なものだろう」
イルドール殿下は、私に対して賞賛の言葉を口にした。
彼から評価してもらえるのは、とても嬉しい。とはいえ、イルドール殿下は皮肉屋めいた所もあるので、本当に素直に賞賛してもらえているのか、少し不安である。
「次期王妃として父上が選んだことは、理解できるな。しかし、父上は肝心の国王選びを間違えたと言える」
「……確かに、アヴァーク殿下は失礼ながら王の素質があるとは思えませんね。彼はなんとも、傲慢でした」
「傲慢?」
「自分がこの国で最も偉大な存在、などと言っていましたよ」
「……兄上がそんなことを言っていたのか」
私の言葉に、イルドール殿下は目を丸めていた。
その反応に、私は驚いてしまう。つい先程見たアヴァーク殿下の本性を、彼は知らなかったというのか。
てっきり知っているものだと思っていた。だがもしかしたら、女癖が悪い所くらしか、把握していないのだろうか。
「知らなかったのですか? アヴァーク殿下がそういう人だということを……」
「……まさか、そこまでとは僕も思っていなかったさ。アヴァーク兄上は、性根から腐っていたということか。益々許せなくなってきた」
イルドール殿下は、案外知らないことも多いらしい。
アヴァーク殿下は、弟達の前でも取り繕うことができていた、ということだろうか。
いや、エルディオ殿下はアヴァーク殿下の振る舞いに特に驚いていなかった。彼の前では、取り繕えてはいなかったということか。
「……イルドール殿下は、自らが王位に相応しいとお考えなのですか?」
「む?」
「アヴァーク殿下とのことを好機と仰っていたではありませんか。それは自分が王位に、ということなのでしょう?」
「……いや、僕としてはもっと王位に相応しい者がいると思っている。自分に、などとは考えていないさ。場合によっては、それもあり得る話だがな」
「そうなのですか……」
私はふと、疑問に思ったことをイルドール殿下に問い掛けてみた。
その質問に対する答えは、少し意外なものだった。私はてっきり、彼が王位を狙っていると思っていたのだが。
ただ、彼の言葉には逆に好感が持てた。少なくとも、アヴァーク殿下のように次期国王になって当然と言われるよりは、ずっといい。今の私には、そう思えた。
◇◇◇
私はイルドール殿下とともに、客室に来ていた。
ここには、王族が集まっている。エルディオ殿下、それから第一王女であるウェルーナ姫も一緒だ。
「アヴァークお兄様が、浮気をしていると聞いた時には、さして驚きなどはありませんでした」
「……そうなのですか?」
「ええ、兄弟の間では有名なことでしたからね。アヴァークお兄様の女好きは。はっきりと言って、軽蔑していました」
ウェルーナ姫は、辛辣な言葉を口にしていた。
彼女の鋭い視線に、私は少し怯んでしまう。その怒りというものは、もちろんアヴァーク殿下に向けたものなのだろうが、それでも怖かった。
「アヴァークお兄様のエルディオに対する態度にも、私としては不服でした。エルディオはもちろん、複雑な境遇にはありますが、その怒りを本人に向けるのは無駄なことです」
「ウェルーナ姉上、それは……」
「根本の原因であるはずのお父様に対して、アヴァークお兄様は何も仰いません。結局の所、王位を譲ってもらうために媚を売っていたのでしょうかね?」
ウェルーナ姫は、アヴァーク殿下のことをひどく嫌っているようだった。
それに私は、驚いている。隣に座っているイルドール殿下も、同じ反応だ。
いや、どうして彼と私が同じ反応なのだろうか。第二王子であるならば、その辺の事情には詳しいだろうし。
「……イルドールお兄様は、何を驚いていらっしゃるのですか?」
「む……?」
「ファルリア嬢に向けての説明のつもりでしたのに、驚かれていることに私は驚きを隠せないのですが……」
私が気になっていたことは、ウェルーナ姫が指摘してくれた。
それにイルドール殿下は、微妙な顔をする。彼としても、それを知らなかったことは情けないなどと思っているのだろうか。
「兄上の女癖の悪さは知っていたさ。しかし、そこまであくどいものとは思っていなかった」
「……イルドールお兄様もイルドールお兄様で、少し抜けていますね。まあ、アヴァークお兄様などよりはもちろんマシだとは思いますが、心配になってきます」
「それについては、返す言葉もないものだな……」
イルドール殿下は、しっかりしているものだと思っていた。
なんというか、策士というような雰囲気であるのに。私は、少し笑みを浮かべてしまう。イルドール殿下のことが、少しおかしかったからだ。
「……何を笑っているんだ、ファルリア嬢?」
「え? ああ、イルドール殿下は愉快な人だと思いまして……」
「……そういう時には、少しは取り繕うものだろうに。はっきりと言わないでくれ」
イルドール殿下は、頭を抱えていた。やはり彼は、愉快な人ということなのだろう。
しかし、気になる所だ。ウェルーナ姫も、今回の一件でイルドール殿下が次期国王の地位に就くと思っている。
ただ当の本人は、その気がないそうだ。それなら一体、誰を王位に据えるつもりなのだろうか。
その答えとして考えられるのは、目の前にいる二人だ。せっかくだし、疑問を投げかけてみても良いのかもしれない。
「イルドール殿下は、どうされるおつもりなのですか?」
「それは、何に対する質問か、計りかねるな」
「王位についてです。何か考えがおありなのでしょう?」
「そのことか……いや、それはそうだが」
私の質問に、イルドール殿下の視線は動いた。
それを追ってみると、エルディオ殿下に辿り着く。どうやらイルドール殿下の言う王位に相応しい者とは、彼であるようだ。
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