第2話 驚くべき光景
イルドール殿下との話を終えた私は、アヴァーク殿下の元へと向かっていた。
イルドール殿下が言っていたことの真偽は、確かめておきたい所だ。
とはいえ、アヴァーク殿下の元に行って、それがわかるものなのだろうか。しかし、動かずにはいられなかった。ともあれ、彼と話してみよう。
「しかし、アヴァーク殿下は一体、どこへ……あら?」
そもそも宛てもなく歩くのは無理があったか。そう思いながら周囲を見渡していた私は、ある人を見つけることになった。
そこにいるのは、エルディオ殿下である。彼は物陰から、様子を伺っているようだ。それは明らかに変というか、怪しいものである。
「……エルディオ殿下?」
「え? あなたは……確か、ファルリア嬢でしたね?」
「ええ、ファルリアと申します。アヴァーク殿下と婚約させていただいています」
「アヴァーク兄上と……そ、そうでしたね?」
エルディオ殿下は、私の言葉に表情を歪めていた。
彼もまた、ばつが悪そうな表情だ。一体、どうしたというのだろうか。
そういえば、エルディオ殿下は何を見ていたのだろうか。それは気になる所だ。そう思って私が一歩踏み出そうとすると、彼が立ちはだかってきた。
「エルディオ殿下? どういうつもりですか?」
「ファルリア嬢、どうか少しお待ちください。なんというか、この先に踏み込む前に、一つ覚悟をしておいた方が良いと思うのです」
「覚悟、ですか? なるほど、何かあるということですね?」
「そうですね……はい、あるんです。とても、嘆かわしいことがありまして」
「嘆かわしいこと、ですか……」
エルディオ殿下は、私を必死に止めてきた。
それだけ彼の目の前で起こっていることは、衝撃的なことということだろうか。
そういうことならば、私も覚悟を決めるとしよう。なんとなく、予想できるものではあることだし。
「恐らく、アヴァーク殿下のことですよね?」
「……どうして、それを?」
「事前に色々と、聞いてきましたから。イルドール殿下から」
「イルドール兄上から、なるほど……しかし、ことはそれだけではないのです」
「それは……」
エルディオ殿下の様子に、私は少し疑問を覚えることになった。
言葉からして、アヴァーク殿下の女癖の悪さというものが発揮されていると考えるべきではあるだろう。
しかしそれだけではないとなると、考えさせられる。一体、何が起こっているのだろうか。
「……何はともあれ、見てみなければ、始まりませんね?」
「それはそうですが……」
「失礼します」
私はエルディオ殿下の横から、彼が見ていた方向を見てみる。
するとそこには、確かに驚くべき光景があった。そこにいるのは、アヴァーク殿下である。彼は一人の女性を抱き締めている。
その女性とは、セレリナであった。
エルディオ殿下が、何故あれ程まで私を引き留めたのか、それはよくわかった。
目の前にある光景は、信じたいものではない。私の婚約者が、私の親友を抱き締めているなんて。
覚悟していなければ、どうなっていたことだろうか。今でもくらくらするくらいだ。駄目になっていたかもしれない。
「セレリナ嬢、あなたには同情している。エルディオとの婚約の話は、確かに不幸なものだといえるだろう」
「そうですね……まさか、妾の子、それも平民との間にできた子と婚約させられるなんて、思ってもいませんでした。まあ、それでも王子には変わりないのでしょうが」
「俺はあいつのことを、弟などとは思っていないさ」
アヴァーク殿下の言葉に、私はエルディオ殿下の方を見る。
すると彼は、苦笑いを返してきた。悲しそうではあるが、特に驚いているようには見えない。アヴァーク殿下のその一面を、彼は知っていたということだろうか。
「父上は、なんとも愚かなものであった。平民との間に子をなすとは……しかし、あなたの婚約が破談になると残念だ。こうして、あなたと会えなくなるのだからな」
「それは……」
「あなたも知っているだろう。俺は、ファルリア嬢と婚約することになったんだ。彼女はそれなりに優秀なのかもしれないが、面白みはない。はっきりと言って、つまらない女だ」
アヴァーク殿下は、エルディオ殿下に続いて私にもひどいことを言ってきた。
これが彼の本性だったのか。知らなかった、アヴァーク殿下は評判の良い王子であると思っていたのに。
「つまらない女、ですか……そうですね。ファルリアはきっと、そう思うような女でしょう」
「あなたもそう思っているのか?」
「もちろんです。侯爵家の令嬢だからといって、いつも威張っている彼女のことが、私は嫌いでした。いつも私を見下していて……」
アヴァーク殿下へのセレリナの返答は、本当に信じられないものであった。
親友である彼女が、私を罵っているその様には、動揺を隠せない。いや、そもそも親友だと思っていたのは、私だけということだろうか。
私は、ゆっくりと唾を飲みこんだ。心が痛く、そして苦しい。こんな光景を見ることになるなんて、思ってもいなかった。
「ファルリア嬢、大丈夫ですか?」
「ええ、エルディオ殿下……お陰様で、なんとか大丈夫です。あなたの方も、大丈夫なのですか?」
「ええ、僕は慣れていますから……しかし、これは困ったことになってしまいましたね?」
「そうですね……イルドール殿下の元に、行きませんか? 何かあったら力を貸してくれると、彼は言っていました」
「そうでしたか……」
アヴァーク殿下のことを聞いた後、イルドール殿下は「何かあったら力を貸す」と言ってくれていた。
それを聞いた時には、話の真偽もわからなかったため懐疑的であった。だが、こうして実際にアヴァーク殿下の女癖の悪さを見たため、イルドール殿下のことは心から信頼できる。
彼ならばきっと、力を貸してくれることだろう。エルディオ殿下のことは少し心配ではあるが、彼とともにイルドール殿下を頼るべきだろう。
◇◇◇
私は、エルディオ殿下とともにイルドール殿下の元に来ていた。
急に訪ねて来た私達に対して、彼は表情を歪めている。少し不愉快そうに見えるのは、私の気のせいだろうか。
「イルドール殿下、困ったことがあったので力を貸していただきたいのですが……」
「……あれは、社交辞令のつもりだったのだがな」
「そうでしたか? しかし、一度言葉にした訳ですから、頼らせていただけませんか?」
「なるほど……まあ、確かに王家の次男が口約束とはいえ、それを破る訳にもいかないか」
色々と小言は言ったものの、イルドール殿下は私達を部屋に招いてくれた。
それから彼は、応対するためのスペースにある椅子に座る。私とエルディオ殿下は、とりあえずその正面の椅子に腰かけることにした。
「……エルディオ、君はどうしてここにいるんだ? ファルリア嬢の悩みというものは、概ね理解している。先程、話したばかりだからな」
「イルドール兄上、ファルリア嬢の悩みというものは、僕にも関係あることなのです」
「君に関係が……うん?」
単純に疑問だったのか、イルドール殿下は気軽な感じでエルディオ殿下に質問を投げかけてきた。
ただ彼は、弟からの返答に目を丸めている。その言葉から状況に思い至り、驚いているのだろうか。イルドール殿下は、私とエルディオ殿下を交互に見た。
「おいおい、待ってくれ。流石にそれは、僕も予想していなかったぞ? そんなことがあるものなのか?」
「残念ながら、そういうことです、兄上。アヴァーク兄上は、僕との婚約の話が出ているセレリナ嬢を抱き締めていました」
「……」
イルドール殿下は、天を仰いでいた。彼は頭を抱えているようだ。アヴァーク殿下の振る舞いは、考えるまでもなく王家の不祥事だからだろうか。
数秒そうしていたイルドール殿下は、改めて私達の方を向いた。彼の視線は、こちらに向いている。私とセレリナ嬢の関係を知っているのかもしれない。
「セレリナは、私にとっては親友です……いいえ、親友だったと言った方が良いでしょうか」
「ああ、確かに友人関係は把握している。しかし、妙なものだな。いくらなんでも、親友の婚約者に抱きしめられて、受け入れるものか?」
「彼女は、私のことを罵っていました。私達の仲に、友情はなかったのかもしれません」
「……どうなっているんだ?」
私の言葉にイルドール殿下は、再度天を仰いでいた。
冷徹などと評されることもある彼だが、思っていたよりもずっと感情は豊かなようだ。
いや、そうなるのも無理はないだろうか。今、私達に起こっている問題というのは深刻なものであり、また数奇なものなのだから。
「兄上が、セレリナ嬢と関係を持ったという事実は、由々しきものだな……まさか、弟の婚約者候補にまで手を出すとは思っていなかった」
「イルドール兄上、セレリナ嬢は僕に対して不満を持っていました。妾の子である僕は、自らの婚約者に相応しくないと、考えていたようです」
「それで、アヴァーク兄上に口説かれて、いい気になっているという訳か」
イルドール殿下は、エルディオ殿下の言葉にため息をついた。
彼はまた、考えるような仕草を見せる。今回の件についてどう取り計らうべきか、悩んでいるということだろう。
それは私にとっても、大いに関係してくることだ。ここは一つ、意見を述べておくべきだろうか。
「イルドール殿下、少しよろしいでしょうか?」
「ファルリア嬢、何かね?」
「アヴァーク殿下との婚約について、このままでも本当に良いものなのでしょうか? 彼は確実に、今後問題を起こすと思うのですが……」
「ふむ……」
アヴァーク殿下は、婚約相手としてあまりにも適切ではなかった。
私のことを低く見ており、他の女性と関係を持とうとする彼を、妻として支えるなんて、はっきりと言って嫌である。
ただ問題は、彼が王太子であるということだった。その地位などから、お父様は破談など認めてくれはしないかもしれない。
「僕としても、兄上の立ち振る舞いは大いに問題だと思っている。婚約が決まれば、落ち着くものだと思っていたが、そうでもないらしいしな」
「むしろ、悪化しているとさえ言えますね。アヴァーク兄上は、結婚などを嫌がっているようにも思えます」
「まあ、兄上はそういう人間だったという訳なのだろう。このことは、父上などにも知らせておかねかばならないな」
イルドール殿下の言葉に、私は少しだけ考えることになった。
アヴァーク殿下の振る舞いについて、国王様はどう判断するものだろうか。
仮にその振る舞いが裁かれるというならば、彼との婚約を維持しておく意味はないのかもしれない。次期国王というアヴァーク殿下の立ち位置が、覆るかもしれない訳だし。
もちろん、それでも彼は王族ということにはなるので、婚約について一定の価値はあるとも考えられる。
とはいえ、平然と浮気しようとする人だ。一体、どこまで信用できるものか。
「……イルドール殿下、今回の件で私はひどく憤りを覚えています。王家の方々に対して、このようなことを言うのは非常に心苦しいものではありますが、何か補償していただかなければならないと思っています」
「まあ、あなたの立場からすれば、そうなるものだろうな」
「バルティス侯爵家には、それなりの力があります。今回のことを揉み消そうなどとするならば、然るべき対応も必要になるかと……」
「そのつもりはないさ。僕としても、これは好機ともいえるからな」
「好機、ですか……」
イルドール殿下は、私の言葉に笑みを浮かべていた。
ただそれは、あまり明るい笑みではない。好機などと言っているのに、嬉しそうには見えない。
彼としても、期待していたのだろうか。立派な兄としてのアヴァーク殿下を。結局の所、彼も兄に裏切られてしまった訳ではあるが。
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