第1話 王太子との婚約
アーデス王国の王太子であるアヴァーク殿下との婚約は、私にとって大きなものだった。
次期国王である彼の妻になるということは、次期王妃ということである。この国を背負う責任あるその地位に就くことは、中々に緊張するものだった。
私の家であるバルティス侯爵家も、それなりの家ではあるが、やはり王妃と比べると霞んでしまうというものだ。
私に務められるものだろうか。少々不安はあるものの、それでも私は前向きに考えていた。家のためにも、この婚約は重大なものだ。
「アヴァーク殿下、これからよろしくお願い致します」
「ファルリア嬢、それはこちらの台詞だ。あなたには期待している。アーデス王国の次期王妃として、俺を支えてくれ」
アヴァーク殿下とは、そこまで顔を合わせたことがある訳ではない。
貴族として、当然挨拶したことはあるが、こうして面と向かって話すのはいつ振りのことだろうか。
彼という人のことは、よく理解しておかなければならない。私は妻として、彼を支えていかなければならないのだから。
アヴァーク殿下は、王太子として立派に務めていると、社交界でも評判だ。そんな彼の評判に傷をつけないように、私も頑張らなければならないだろうか。
「次期王妃として、ですか。それは中々、重圧があるものですね……」
「重圧か。確かにそういうものなのかもしれないな」
「アヴァーク殿下は、次期国王という地位に対して、どういった心持ちでいらっしゃるのでしょうか? 参考までに聞かせていただけませんか?」
「なるほど……」
私はとりあえず、アヴァーク殿下に聞いてみることにした。
こういったことを一人で悩んでいても、答えなんて出る訳もない。それならいっそのこと、アヴァーク殿下に聞いておく方が良いと思った。
私の質問に対して、アヴァーク殿下は考えるような仕草を見せる。悩んでいるようだ。答えづらい質問だっただろうか。
「俺としては、そう重く捉えるようなものではないと思っている。しかしそれは、俺が生まれた時から王太子でいるからなのだろうな」
「そうですね……そういうものなのかもしれません」
「それならば、あなたの不安は俺が解消するとしよう。何も心配はいらない。俺に任せておけば良い。そう言っておくとしよう」
「アヴァーク殿下……ありがとうございます。なんとも心強いお言葉です」
アヴァーク殿下の言葉に、私は安心することができた。
彼は評判通り、立派な王太子殿下であるらしい。そういうことなら、心配はいらないということだろうか。
だが、彼に任せっきりという訳にもいかない。やはり、私も努めなければならないだろう。
アヴァーク殿下のお陰で、決意を固めることはできた。次期王妃という役目に、私は大義を見出すのだった。
◇◇◇
アヴァーク殿下とこれからのことを話し合った後、私は王城の廊下を歩いていた。
とりあえず、次期王妃としての心構えはできたといえる。アヴァーク殿下を支える。その大義に私は、決意を燃やしていた。
「……ファルリア?」
「……あら?」
そんな私は、話しかけてきた声に少し驚くことになった。
声のした方向に、私は視線を向ける。するとそこには、私の友人がいた。
彼女はセレリナ、シルヴァール伯爵家の令嬢である。幼い頃からの友人で、親友とも呼べる存在だ。
「セレリナ、あなたも王城に来ていたのね?」
「ええ、少し用事があってね。ファルリアの方は、アヴァーク殿下との婚約で来ているのかしら?」
「まあ、わかるわよね」
私とアヴァーク殿下の婚約は、既に発表されている。セレリナの耳にも、既に入っているようだ。
後で手紙でも出そうと思っていたけれど、手間が省けた。直接話す方が手紙よりも良い訳だし、そのことについてセレリナに話しておくべきか。
「色々と驚いたものだけれど、それでもアヴァーク殿下との婚約は光栄に思っているわ。次期王妃として務める覚悟のようなものも、少しだけ決められたし……」
「次期王妃……そうよね、アヴァーク殿下は王太子だものね。おめでとう、ファルリア」
「ありがとう、セレリナ……そうだわ、セレリナの方はどうなのかしら? あなたの方にも、何か縁談なのがあったのではないの?」
自分のことを話した後、私はセレリナのことを思い出した。
彼女の婚約の話などは、まだ耳に入ってきていない。しかし、何か水面下で進んでいるのではないかと、私は予想していた。
セレリナが王城にいることも、それに関係しているような気がする。もしかして、彼女にもかなりの縁談が舞い込んできたのではなかろうか。
「察しが良いわね、ファルリアは……私にも縁談があったわ。相手はエルディオ殿下との婚約の話がね」
「エルディオ殿下と?」
「まあ、そういう反応になるわよね。だって彼は……」
セレリナの言葉に、私は驚くことになった。
エルディオ殿下は、王家の一人である。ただ彼は、つい最近見つかった王族である。
というのも、エルディオ殿下は国王様が愛人との間にできた子らしい。それが判明するまで、彼は平民として暮らしてきたという。
「正直な所、重たいものだわ。彼のような人と婚約することになるなんて、思ってはいなかったもの」
「それは……そうよね。複雑な立場にある人だもの。色々と考えてしまうことは、仕方ないことだと思うわ」
「国王様は、どうやら彼にシルヴァール伯爵の地位を与えたいようね。でも、それは本当に正しいものなのかしら? お父様も了承しているけれど、私は納得できないわ」
セレリナは、ゆっくりと首を横に振った。
エルディオ殿下という特殊な事情がある王子との結婚に、あまり乗り気ではないようだ。
ただ私は、少しだけセレリナの態度に思う所があった。エルディオ殿下のことを語る彼女からは、嫌なものが感じられたからだ。
セレリナのそのような態度は、初めて見るものであった。だから私は、少し面食らってしまったのかもしれない。
◇◇◇
セレリナと別れた後、私はぼんやりと王城の廊下を歩いていた。
友人のエルディオ殿下を語る態度というものは、あまり良いものではなかった。それに私は、少なからずショックを受けてしまったのだ。
あの侮蔑するような態度は、私に向けられたものではないにしても、嫌なものだった。セレリナがあんな風になるなんて、思ってもいなかったことである。
「当事者となると、あのように思うものなのかしら……?」
エルディオ殿下は、確かに複雑な立場にあるといえる。その彼と婚約するということは、やはり重たいものということだろうか。
当事者ではない私などは、何とでも言えるということかもしれない。私とて、エルディオ殿下と婚約するとなったら、あんな風な態度にあるのだろうか。
「……おい」
「……」
「待て、聞こえていないのか?」
「……え?」
考え込んでいた私は、自らに呼びかけにすぐに応えられなかった。
とりあえず私は、足を止める。そして、額から少し汗を流しながら、声の方向に視線を移す。
声の主が誰であるかは、見当がついていた。それが思った通りの人であったため、私はそれなりに焦ることになった。
「イルドール殿下……」
「……君は、ファルリア嬢だな?」
目の前にいるのは、イルドール殿下であった。
彼はこの国の第二王子だ。彼は私に対して、鋭い視線を向けてきている。
どうやら私は、彼の機嫌を損ねるようなことをしてしまったらしい。心当たりはある。先程私は、イルドール殿下の言葉を聞き流してしまっていたから。
「イルドール殿下、あの……」
「……俯いて歩いていたら、危ないだろう? 前を見て歩いてもらいたいものなのだ」
「あ、はい。申し訳ありませんでした……」
イルドール殿下に指摘されて、私は何も言い返す言葉がなかった。
言うまでもなく、考え事をしながら俯いて歩くのは良くない。誰かにぶつかりかねないのだから。
もしかしたら、イルドール殿下が私を躱してくれたのだろうか。もしそうだとしたら、重ねて申し訳ない。
「……何を考え込んでいたのだ?」
「え? あ、その……」
イルドール殿下は、王家の中でも怖い印象がある。アヴァーク殿下などと比べると、冷たいなどと言われることも多い。
だから私は、少し委縮してしまっていた。だが、これではいけないだろう。次期王妃となる私が、イルドール殿下を怖がっていていいはずがない。
「……兄上のことか?」
「え?」
「君はアヴァーク兄上と婚約している。そのことで、何か悩んでいるのではないか? あの兄上のことだ、あり得ないはなしではないな……」
「それは……」
イルドール殿下は、ゆっくりとため息をついた。
それを見ながら私は、疑問を覚えることになった。何か、アヴァーク殿下に対して懸念でもあるというのだろうか。
「イルドール殿下、少し聞いてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「アヴァーク殿下に、何かがあるのでしょうか?」
「む……?」
私は、疑問をイルドール殿下に投げかけてみることにした。
すると、彼は面食らったような反応をする。私の質問が、予想外のものだったということだろうか。
「あの、私の悩みというものは、アヴァーク殿下のことで悩んでいたという訳では、ないんです」
「なるほど……」
「しかし、イルドール殿下がそう思ったということは、何かそう思う理由があるということですよね? 私が知らないようなことを……」
「ふむ……」
私の言葉に、イルドール殿下はばつが悪そうな顔をしていた。
彼の表情からは、しまったという感情が読み取れる。自らの勘違いを悟ったからか、彼は頭を抱えている。
「つまり僕は、余計なことを言ってしまった訳だな?」
「余計なこと、そうでしょうか? イルドール殿下が何かを知っているというならば、それを教えていただくことは、私にとって有意義なものかと思いますが」
「……それは確かに道理といえるか」
イルドール殿下は、今度は苦笑いを浮かべていた。
やはり彼は、アヴァーク殿下に関する何かを知っている。それはできることならば、知っておきたい所だ。
しかし、教えてもらえるものなのだろうか。それは恐らく、大きな秘密であるのだろうし、王家としては隠したいことかもしれない。
「俯いて歩いていた時は、どうかと思っていたが、流石と言っておこうか、ファルリア嬢」
「流石? それは、どういう意味でしょうか?」
「あなたは、父上が見込んだだけあるということだ。今の君の言葉からは、それが感じられた。だから僕も、君に教えよう。兄上には、困った所があってね?」
イルドール殿下は、教えてくれるつもりになったようだ。
彼は少し、楽しそうにも見える。私に見所を見出してくれた、ということだろうか。
しかし、私が国王様から評価されているなんて驚きだ。そのようなことは、お父様からも聞いていないのだが。
「困った所、ですか? それは一体、何なのでしょうか?」
「父上と同じと言えば、わかるだろうか。忌々しいことではあるが、アヴァーク兄上はひどく女癖が悪いのだ」
「それは……」
「信じられないことかもしれないが、これは事実だ。今までは、王家の権力もあって揉み消すことができていたが、これからどうなるかはわからないものだな」
イルドール殿下から告げられた事実に、私は考えることになった。
彼の女癖が悪いというのは、私としては当然困るものだ。王妃となる立場としては、死活問題だといえる。
とはいえ、そのような話は今まで一度も聞いたことはない。イルドール殿下のことを、どこまで信じていいものだろうか。
「まあ、何かあったら力を貸すこともやぶさかではない。君は見所があるようだからな」
イルドール殿下は、そう言って私の横を通り過ぎていた。
それを聞きながら私は、彼の言葉の真偽を考えるのだった。
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