ぎこちない歩み寄り①
「殿下、これを執務室にお届けいただけますか。陛下が、殿下の稽古の進捗を確認したいと仰っておりまして」
教育係にそう頼まれたのは、稽古の記録をまとめた書類だった。いつもなら、こういう雑用は近侍か文官の仕事だ。わざわざ俺に頼んでくるのも珍しい。
「父上が?」
「はい。近頃、殿下のご様子をよく気にかけていらっしゃいます」
半信半疑のまま、俺はコンラートを連れて執務室へと向かった。
「父上が俺の稽古を気にかけてるなんて、初耳だな」
「陛下は、ご自分から積極的にお話しになる方ではありませんので」
「知ってる。だから初耳だって言ってるんだよ」
軽口を叩きながら歩いていると、コンラートが少し声を落として続けた。
「以前、陛下の私室にお伺いした際、殿下の剣の稽古について、教官に細かく質問されているのをお見かけしたことがあります」
「……初めて聞いたぞ、それ」
「申し上げる機会がなかったので」
なんでもないことのように言われて、俺は少し複雑な気分になった。俺の知らないところで、父上が俺のことを気にかけていたらしい、という話が出てくるなんて。今まで、そんな素振りは欠片も見せなかったくせに。
執務室に着く頃には、なんとなく胸がざわついていた。
扉をノックすると、返事の代わりに「入れ」という短い声が返ってきた。中に入ると、父上は書類の山に囲まれて、いつも通り険しい顔で何かに目を通していた。
「稽古の記録を、お届けに参りました」
「そこに置け」
顔も上げずに、そう言われる。いつも通りだ。案の定、というべきか。俺は言われた通り、机の端に書類を置こうとして――ふと、机の上に広げられていた別の書類が目に入った。
それは、俺の名前が書かれた書類の束だった。
「……これは?」
思わず声が出た。父上は一瞬、しまったという顔をしたけれど、隠すには遅かったらしい。
「見るな」
「見るなって言われても、目に入ったし」
我慢できずに手を伸ばすと、意外にも父上は止めなかった。諦めたようなため息だけが聞こえた。
中身は、俺に関する報告書のようなものだった。日々の食事の記録、体調、稽古の様子。近頃の食事量の変化についての記述もあった。それだけじゃない。近侍のリヒトを選んだ理由についてのメモ書きまであった。「殿下と歳が近く、過度に萎縮しない性格であることを重視」と、几帳面な字で書かれている。
さらにめくると、護衛の配置についての記述もあった。「コンラートを護衛に任命した件、殿下との相性、良好と見受けられる。継続して任にあたらせること」そんな一文まで見つけて、俺は思わずコンラートの方を振り返った。
「……お前がずっと俺の護衛でいるのは、父上がこのように書き記していたからだったのか」
「初耳です」
コンラートも驚いた顔をしていた。二人して顔を見合わせる形になり、なんとも言えない空気が流れる。
言葉を失っていると、父上が咳払いをした。
「王族の安全と健康を把握するのは、当然の務めだ」
「……これ、全部、父上が直接見てるのか」
「文官がまとめたものを、確認している。それだけだ」
素っ気ない言い方だった。でも、その報告書の余白には、几帳面な字で細かい書き込みがいくつもあった。食事量が減った時期には「原因を確認せよ」、稽古の成果については「よくやっている、褒めてやってほしい」――そんな、直接俺には決して言わないような言葉が、そこかしこに残されていた。
胸の奥が、じんと熱くなった。
「褒めてやってほしいって、誰かに頼んでたのか。俺には、一言も」
「……」
父上は、答えなかった。代わりに、少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
その仕草を見て、なんとなく分かった。この人は、本当に不器用なんだ。
部屋を出た後、廊下でコンラートが小さく口を開いた。
「陛下は、不器用な方ですから」
「知ってる。というか、今日、思い知った」
「昔から、あのような方だと伺っております。政務に忙殺される中でも、殿下のことは常に気にかけていらっしゃると」
「なんで、直接言わないんだよ」
「それができれば、苦労はしていないのでしょう」
コンラートの言葉に、俺は思わず苦笑した。
「バルトが以前、話していたことがあります。陛下は即位されたのが早く、ご自身が若い頃から、弱みを見せることを許されない立場で過ごしてこられたと」
「バルトが?」
バルトロメイ――コンラートがまだ見習いだった頃から鍛えてきた、古参の騎士だ。今は現場に出ることは減り、若い騎士たちの指導役に回っていると聞く。コンラートが若くして護衛騎士に取り立てられた裏には、この人の推挙があったという話も小耳に挟んだことがある。
「はい。陛下の代替わりの頃から、この城で長く勤めておりますので」
初めて聞く話だった。父上が、どんなふうに育って、どんなふうに王になったのか。考えてみれば、俺はそんなことを気にしたことすら、今までなかった。
「そういえば、こんなこともあった」
ふと、思い出したことを口にしていた。
「小さいころの誕生の宴でさ。広間ではあんなに盛大に祝われたのに、二人きりになった途端、父上は『国としても、お前の成長を示すいい機会になった』って、それだけ言ったんだ。子供心に、ひどく冷めた気分になったのを覚えてる」
「……そのようなことが」
「あの時は、心底がっかりした。誕生日を祝ってもらったんじゃなくて、王子としての価値を確認されただけなんじゃないかって」
コンラートは黙って耳を傾けていた。
「今思えば、あの人なりに、精一杯だったのかもな。あの宴だって、随分と手間をかけて用意させていたはずだ。ただ、その手間のかけ方と、俺が欲しかった言葉が、噛み合ってなかっただけで」
「殿下……」
「なんだよ」
「いえ。少し、お変わりになったと思いまして」
その一言に、俺は少し照れくさくなって、話を切り上げるように咳払いをした。
言葉で伝える代わりに、書類の余白に本音を滲ませる。贈り物や待遇で、気持ちを示そうとする。不器用にもほどがある。それでも、確かにそこに、何かはあったんだと思う。今まで俺が、ちゃんと見ようとしていなかっただけで。
これまでの俺なら、こんな発見をしても、素直に受け取れなかったかもしれない。義務でやっているだけだと、斜に構えて片付けていたと思う。
でも、今は少しだけ、違う見方ができるようになっている気がした。
自室に戻る道すがら、俺はふと足を止めた。
「なあ、コンラート」
「はい」
「今度、父上に何か贈り物でもしてみようと思う。あの人が物で気持ちを示すタイプなら、俺も同じやり方で返してみてもいいかもしれない」
「良い考えだと思います」
「気の利いた物、何か知らないか」
「……それは、私よりバルトに聞かれた方がよろしいかと」
「頼りにならないな、お前」
「贈り物の趣味までは、鍛えておりませんので」
軽口を叩き合いながら、なんとなく足取りが軽くなっているのを感じた。




