変化の兆し①
暴君にはならない。
昨夜のうちに、俺はそう心に決めていた。しかし決めたはいいものの、具体的に何をどうすればいいのかは、正直よく分かっていなかった。
とりあえず、贅沢はよくない気がした。我儘放題に振る舞う王、という記憶の断片からして、原因は多分そのあたりにある。だから、まずは日々の生活から改めることにした。
「殿下、本日の朝食でございます」
テーブルに並べられたのは、いつも通りの豪華な朝食だった。焼きたてのパン、香草を利かせた肉料理、色とりどりの果物。見慣れた光景のはずなのに、今の俺には危険な誘惑に見えてくる。
「……パンだけでいい」
「は?」
給仕係が、聞き間違いかというような顔をした。
「パンだけでいいと言った。あとは、下げてくれ」
「し、しかし殿下、成長期に朝食を抜かれては――」
「抜くとは言ってない。パンは食べる。他が要らないだけだ」
押し問答の末、結局パンと一緒に、スープくらいは口にすることになった。給仕係は釈然としない顔のまま下がっていったけど、俺としては、これでいい。贅沢を慎むところから始めれば、暴君への道を外れられるはずだ。多分。
問題は、それだけじゃなかった。
その日の午後、庭の手入れをしている庭師の一人が、妙に人懐こい様子で話しかけてきた。
「殿下、こちらの薔薇、殿下のために特別に育てたものでございます。よろしければ、お部屋に飾られては」
深い緋色の薔薇だった。あの夜、記憶が蘇るきっかけになった花だ。それだけでも複雑な気分なのに、「殿下のために」という言葉に、俺は妙に身構えてしまった。
(これも、あれか? 気に入った男をはべらせる、みたいな展開の始まりだったりするのか?)
考えすぎだとは思う。庭師の彼は、多分ただ純粋に丹精込めて育てた花を褒めてほしいだけだろう。それなのに、俺はつい及び腰になってしまう。
「……いや、いい。庭に咲いてる方が、皆も見られるだろ」
「え、あ、はい。かしこまりました……」
庭師は困惑した様子で頭を下げた。悪いことをした気がしたけど、こういう小さな親切のひとつひとつが、何かの「フラグ」なんじゃないかと勘繰らずにはいられなかった。
夕方になると、今度は文官の一人が、見慣れない少年を連れてやってきた。
「殿下、こちらは新たに近侍見習いとして召し抱えることになりました、リヒトと申します。今後、殿下のお身の回りのお世話をさせていただきます」
紹介された少年は、深々と頭を下げた。整った顔立ちの、人当たりの良さそうな子だった。歳の頃は俺と同じくらいだろうか。
「殿下にお仕えできること、光栄に存じます」
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中で警報が鳴った。
(これだ。可愛い男子をはべらせるって、まさにこういう……)
「あー……いや、その……」
「殿下?」
「近侍は、間に合ってる。今のままでいい」
文官が驚いた顔をした。
「し、しかし殿下、これは陛下からのご指示で――」
「父上の?」
思わず声のトーンが変わった。父上が、俺のために新しい近侍を用意した。それは、単純に俺の身の回りの世話を気にかけてくれた結果なんだろうか。それとも、俺が知らないだけで、何か別の意図があるんだろうか。
考えれば考えるほど、分からなくなってくる。
「……分かった。よろしく頼む」
結局、断る理由も見当たらず、そう言うしかなかった。リヒトと名乗った少年は、ほっとしたように微笑んで、もう一度頭を下げた。別に彼が何か悪いことをしたわけじゃない。ただの新入りの近侍だ。分かってはいるのに、俺はその日一日、妙にリヒトの一挙一動を意識してしまっていた。
極めつけは、コンラートとの稽古の時間だった。
いつも通り、木剣を構えて向かい合う。だけど俺は、剣を構えながらも、内心そわそわしていた。
(もしかして、これも将来への伏線だったりするんじゃないか。稽古を通して筋肉がついて、攻め感が増して、男をはべらせて、最後にコンラートに――)
「殿下、集中していただかないと危険です」
コンラートの声で我に返った。次の瞬間、軽く払われた木剣が、あっさりと俺の手から吹っ飛んでいった。
「……悪い」
「珍しく素直ですね」
「うるさい」
地面に転がった木剣を拾いながら、俺はなんとも言えない気分になった。稽古で本気を出せないほど集中できなかった自分が、急に馬鹿らしく思えてくる。
コンラートは、いつも通りのコンラートだった。俺を試すような素振りも、下心があるような態度も、微塵も感じられない。ただ、生真面目に、俺の護衛と稽古の相手を務めているだけだ。
当たり前だ。あいつが、俺の知っている記憶通りに動くとは限らない。というより、記憶自体が断片的で、どこまで正しいのかも怪しいものだ。
それなのに、俺は今日一日、些細な出来事のひとつひとつに、勝手に意味を見出しては過敏に反応していた。
「殿下、今日はやけに変な動きをされていましたが」
「……別に」
「何かご心配事でも?」
コンラートが、めずらしく心配そうな顔でこちらを見てくる。その顔を見ていたら、なんだか毒気を抜かれてしまった。
「心配事っていうか……いや、なんでもない。忘れてくれ」
「そうですか。……何かあればいつでも仰ってください」
あっさりとそう言って、コンラートはまた木剣を構え直した。深く追及してこないところが、こいつらしいといえばこいつらしい。
こんな調子で、いちいち断片的な記憶に振り回されていたら、身が持たない。今日だけで、朝食を減らし、庭師の厚意を断り、新しい近侍を警戒し、稽古にも身が入らなかった。傍から見れば、ただの気まぐれで扱いにくい王子にしか見えないだろう。
もう少し、肩の力を抜いてもいいのかもしれない。断片的な記憶をいちいち真に受けて、周りの人間を疑ってかかるような真似は、それはそれで自分が嫌な人間になっていく気がした。
そう思いながらも、その日の夕食でも、俺はやっぱりデザートを遠慮してしまうのだった。




