学園へ
「殿下、少しよろしいでしょうか」
夕食を終えた頃、父上の使いが部屋を訪れた。執務室に来るように、とのことだった。何事かと思いながら向かうと、机の上には、いつもの水晶が置かれていた。
「座れ」
珍しく、対面の椅子を勧められた。腰を下ろすと、父上は少し間を置いてから、切り出した。
「お前を、来年から学園に通わせようと思う」
「学園に?」
突然の話に、俺は少し面食らった。学園の存在自体は知っていたけれど、自分がそこに通うことになるとは、正直あまり考えたことがなかった。竜人の生涯は長い。だからか、学園も何歳から通う、とかではなくこのくらいになったら、とけっこう適当なのだ。
「王族の子弟が、学園に通うのは珍しいことじゃない。それは知っているな」
「まあ、知識としては」
「お前くらいの歳になれば、そろそろ頃合いだろう」
淡々とした言い方だった。でも、続けて発せられた言葉には、いつもとは違う響きがあった。
「俺は、お前くらいの年齢では、既に立太子していた。友人と呼べる相手も、ろくに作る暇がなかった。今思えば、それが良かったとは、正直思えん」
初めて聞く話だった。父上が、自分の過去について、こんなふうに語るのは。
「政務を学ぶことと、人との繋がりを学ぶことは、別のものだ。俺は、後者を疎かにしすぎた。お前には、同じ轍を踏んでほしくない」
「父上でも、そんなふうに考えることがあるんだな」
「意外か」
「……まあ、少しは」
素直にそう言うと、父上は微かに苦笑した。この人のこういう表情を見られるようになったのも、随分と最近のことだ。
「お前には、俺のような後悔をしてほしくない。学園という場所で、身分に囚われない繋がりを持つのも、悪くない経験になるはずだ」
その言葉に、俺はしばらく黙り込んだ。星の水晶をきっかけに知った、父上の若い頃の話を思い出す。政務に追われ、気晴らしすら満足に持てなかったという寂しさ。今、目の前にいるこの人は同じ寂しさを俺に味わわせたくないんだろう。
「……分かった。行ってみる」
思いのほか、すんなりと言葉が出た。
「護衛については、学園内はそちらの警備体制に委ねることになる。だが、帰省の際の送り迎えは、引き続きコンラートに任せる」
「え、学園の中までは、ついてきてくれないのか」
思わず、コンラートの方を見た。
「学園には学園の警備がございます。俺が四六時中張り付いていては、かえって目立ちすぎることになりますので」
「学園に身分の垣根はないから、学生としての時間くらいは、羽を伸ばしてこい。それに、帰る場所があるということは、忘れずにいてほしい」
父上がそう続けた言葉に、俺は少し驚いた。四六時中コンラートが傍にいるものだと、勝手に思い込んでいた。それに、寂しいような、でも新鮮なような、妙な感覚があった。
いつの間にか部屋の隅に控えていたコンラートが、静かに頷いた。その姿を見て、俺はなんとなく安堵した。知らない環境に飛び込むことに、不安がなかったわけじゃない。それでも、帰る時にはコンラートが迎えに来てくれる。そう思うと、案外やっていけそうな気がした。
執務室を出た後、廊下を歩きながら、コンラートが小さく口を開いた。
「学園生活、楽しみですか」
「正直、まだ実感が湧かない。でも……悪くない気はする」
自分でも、意外な感覚だった。前の自分なら、新しい環境に放り込まれることに、もっと身構えていたと思う。誰にも期待されない場所の方が楽だと、そう思っていたはずだった。
今は、少しだけ違う。期待されることを、恐れなくなっている自分がいる。
出立の準備は、来年の入学に向けて進められた。学園での生活に必要な道具を揃え、近侍のリヒトからは「殿下がいらっしゃらない間、寂しくなります」と、しんみりした顔で言われた。
「お前も、たまには城下に息抜きに出ろよ。俺のことばかり気にかけてないで」
「もったいないお言葉です。ですが、殿下がお戻りになる日を、楽しみにしております」
リヒトらしい、律儀な返事だった。
バルトからは「くれぐれも、羽目を外しすぎませんように」と、からかい半分の忠告をもらった。
「羽目って、俺がそんなことするように見えるか」
「殿下は、変わられました。良くも悪くも、その分、柔軟になられたということです。学園という新しい場所で、どんな殿下になられるか、年寄りとしては楽しみでもあり、少々心配でもあります」
「妙な言い方するなよ」
軽口を叩き合いながらも、バルトの目は、どこか温かかった。この城で出会った人たちの顔を、俺は改めて思い浮かべた。誰も彼も期待できないと思っていた頃には、想像もできなかった繋がりだった。
登校の前日、俺は最後にもう一度、あの中庭に足を運んだ。父上と部屋で星を見上げた夜のことを、ふと思い出す。
夜風は、あの頃と同じように少し冷たかった。空を見上げると、竜人国自慢の、近く感じる星々が変わらず瞬いている。
振り返れば、随分と遠くまで来た気がする。ひねくれて、誰も信用できずにいたあの頃の自分から、少しずつ、色々なものを積み重ねてきた。父上との関係も、コンラートとの絆も。誰にも期待されない場所が一番楽だと思っていた自分は、もういない。
それでも、まだ知らないことばかりだ。学園でどんな日々が待っているのか、断片的な記憶にすら、はっきりとした答えはない。あの物語の中で、この先どんな展開が待っているのか。暴君への道を本当に避けられるのか。不安がないと言えば、嘘になる。
それでも、と思う。
一人で抱えていた頃とは違う。帰る場所には、ぎこちないながらも、歩み寄ってくれる父上がいる。城に残る、リヒトやバルトのような人たちもいる。そして、帰るたびに、コンラートが迎えに来てくれる。
その事実が、随分と心強かった。
「殿下、そろそろお戻りください。明日は早いですから」
背後から聞き慣れた声がかかる。振り返ると、いつも通りの、変わらない距離でコンラートが立っていた。
「ああ、分かってる」
夜空を見上げてから、俺は踵を返した。隣を歩くコンラートの横顔を、なんとなく見上げる。
「明日は、学園まで送ってくれるんだろ」
「はい。その後、帰省の際には、必ずお迎えに上がります」
「……ずっと傍にいるわけじゃないのは、正直ちょっと寂しいけどな」
柄にもなく、そんな本音が零れた。
「それでも、俺は変わらず殿下の護衛です。帰る場所で、いつでもお待ちしております」
いつもと変わらない、生真面目な返事。それでも、その声に、確かな頼もしさを感じた。
新しい章の始まりが、すぐそこまで来ていた。




