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ゆうがいじけん・1

 俺のバッグは最初に恐竜と遭遇した付近1kmくらいのところで発見された。

 食料を探しに行った丹波の報告で俺は胸を撫でおろす。


「よかった。これで俺も外に出られるようになる」


 ずっと欝々としていたのだ。

 流星と丹波はなぜか氷河期の世界で目覚めたときにそばに手持ち品のみならず貨物室に預けたはずのキャリーバッグ一式までもが傍に落ちていたのだという。そこで彼らは初めからスケート靴を履いていたわけだが、俺だけはいきなり恐竜から逃げるしかない状況だったので、飛行機で履いていたスニーカーのままなのだった。


 ひとりだけ洞窟の中で火を起こしたり掃除をしたりしながら待っているしかない状況はつらかった。ここでもまた、ふたりの足手まといみたいで。


 だからスケート靴の入った荷物が見つかったと聞いたときは踊り出したいくらい嬉しかった。ここ一番の朗報だった。


 ただ、――――その荷物は、丹波がひとりで持ち帰るのをためらう状態であったという。


「き、気が利かねーーー!」


 ぽかりと丹波の頭をはたいて流星が言った。


「破れてても燃えててもいいから、見つけたんなら持ってこいよな! なんでスケート靴無くて困ってる勝山さんが自分であそこまで歩いて確認に行かなきゃいけないワケ!?」


 流星は「あーもういい!」と頭をくしゃくしゃに掻き、それから俺を元気づけるように「オレが行ってきますから安心してください」と笑顔でぐっと指を突き出す。


 そんな流星に、丹波がぼそりと「やめたほうがいいですよー」と言った。


「はア!? なんでだよ!?」


 詰め寄る流星に、丹波は心底嫌そうに顔をしかめ、暗い声でつぶやいた。


「ワンゲル部ヒグマ事件って知ってます?」


   ◇◇◇


「聞かなきゃよかった……」


 有名な熊害のエピソードを臨場感たっぷりに語られた流星はげんなりと肩を落としていた。


 登山部の学生がうっかりヒグマと荷物の奪い合いになってしまい、あわてて下山しようとするも行く先々で熊は一行を追い続け、テントを張れば襲われ、恐怖のあまりパーティーにはぐれた学生が鬼気迫る日記を残して遺体になって発見された事件だ。

 熊は一度獲得したもへの執着が深く、奪われた荷物などを取り返そうとすると根に持って奪い返しに来るのだ――という教訓としてよく語られる。


 俺は顎に手を当て、考える。

 俺の荷物に深い爪の痕。


「ただ、俺が恐竜から逃げた後で残されていたものなんだから、この爪痕は恐竜だと思うんだよな。丹波、恐竜も食べ物の入った荷物に執着する癖があるのか?」


 丹波はうーんと考えて、首を傾げる。


「そもそも襲われる人類がいなかったんだから絶対とは言い切れません。けど、聞いたことないなあ。一度取られた荷物は追ってくるからあきらめろっていうのは熊特有の習性のような気がしますね」


 とはいえ、周りにまだラプトルがいる可能性は高いので、爪痕を見て荷物を回収せずに帰ってきた丹波の判断をまずは褒める。荷物を取った瞬間に襲ってくる可能性は充分にあった。できるだけ周りから気配を消してその場を離れた判断は正しい。


「はい。しかもラプトルって基本的に群れで狩る恐竜ですからね。勝山さんが襲われたとき単独だったのは、たまたま運が良かっただけなんです。万が一ひとりでラプトルに囲まれたら一瞬ですよ」


 言いながら丹波は自分の首をはねるジェスチャをした。ぞっとしない話だ。


 できたら俺だってわざわざ大型生物の爪痕のあるところになんか行きたくない。

 しかし今後のことを考えれば、靴だけでも回収したい。状況を見て荷物は置いていくとしてもそっと靴と携帯電話だけ抜き取れないだろうか。


 そう意志を伝えると、流星が俺をひとりでは行かせられないと駄々をこね出し、丹波もそれに同意し、俺としてもスニーカーでひとり1kmの雪原を歩くのは自殺行為すぎるので、ありがたくふたりに護衛してもらいながら荷物を確認に行くことになった。


   ◇◇◇


 流星と丹波に左右を警護してもらいながら、バッグを検める。

 なるほど、現代では想像もできない巨大な爪痕だ。熊ならツキノワグマの10倍はデカい。ちょっとありえないだろう。

 だけど。だからこそ。爪痕を見て荷物を持ち帰らずに置いておいた丹波の判断は正しい。

 この世界には熊の10倍ものサイズの獣が実在していて、そいつはこの荷物のあった周囲をテリトリーとして徘徊しているということなのだから。


 眉をしかめながら思い切ってファスナーを開く。

 中身は持ってきたままの状態で整然と詰め込まれていた。爪を一閃して引き裂いてみたものの、食べ物が見当たらなかったのでそのまま立ち去ったのかもしれない。


 ため息をつきながらバッグを見下ろす。


 荷物を持ち帰るのは、少し抵抗があった。

 しかしやはりスケート靴は、欲しい。無いと困る。


 思い切って靴と携帯電話を引きずり出して携帯をポケットに入れ、雪の上に座り込む。

 無言で紐を解き、靴のベロを手のひらで広げ、足を入れる。キツいくらいに紐を締め上げる。いつもの動作でスケート靴を履いているうちに、気持ちが落ち着いてくる。

 いいぞ。落ち着け勝山。落ち着いたところでもう一度バッグと周囲の状態を見て、他の物の確保を考えよう。


 さて、俺はバッグに何を入れていた?

 サバイバルに最低限必要なものは?


 緊張を解くために白い息を長く吐いた。


 その瞬間、ふっと空が翳った。獣臭い風が鼻を突く。


 ここに来てからいつも吹雪だ。晴れても雪催いのように空は重い。いつでも赤灰色にくすんでいて見通しの悪い日が多かった。今日は珍しく空が青くて見晴らしが良かったからバッグを探しに来たというのに、残念なことだ。

天気の急変もこの地では珍しくないこととはいえ、急すぎる。


 舌打ちしながら空を振り仰ぐ。瞬間、総毛立った。


 赤鋼のような剛毛、地面を踏みしめる爪は一本一本が黒鉄の剣のようにデカく鋭い。

 そいつが二本足で立ち上がり、咆哮を上げていた。

 空が翳ったのは、怪獣のように大きなその獣の影に俺たちが入ったからなのだった。


 まさか、と額を冷汗が垂れる。

 唸る口が鋭い牙を剥き出す。臭気の強い唾液が雨のように降り注ぐ。


 人間より強く恐ろしい動物というものの前に立つと本能的に身体がすくむのだと、祖父に聞いた。その生き物に、これはよく似ている。



「クマだーーーーーーーーーー!?」

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