RESTART・1
「ホラアナグマは、長い間人類と洞窟の奪い合いを繰り広げてきたそうです」
丹波がそう言っていた。
ならば、やはり荷物を取り戻すべきではなかったのか。
「僕が一番恐れているのは、荷物を追ってついてきた熊が住みやすい洞窟の奪取に目的を変えることです。そうなればあらかじめここに住みついている僕たちを問答無用で排除しようとするでしょう」
ドンドン! ドンドン!
岩の向こうで激しい音がする。腕に振動がずっと響いている。俺は人間がギリギリ通れる細さの脇道に入り込んで、バリケードの代わりに岩を全身で押さえ込んでいる。
攻防はずっと続いている。狭いところに逃げ込んだら大丈夫だと思っていたが、獲物が逃げ込んだとなると追撃は執拗だった。
あの大きさの熊は入れないとは思うが、腕なら余裕で入る。あの手でひと掻きされたらもう終わりだ。
全力で身体を岩に押しつけ、体重をかける。
と、小石を踏んだ。
不意に足許が滑り、手許の注意が逸れた。その一瞬をついて、ぐっと押し込まれる。
悲鳴を上げながら押し返すが、鳥のような手と鋭い爪がこちらに挟まっていて、痛みと怒りで岩をこじあけようとしている。
鳥のような手?
思った瞬間、一気に押し込まれた。
悪い予感は的中する。
鳥だ。
人よりも大きく鋭い爪とくちばしを持つ――鳥に近い生物。
「恐竜のほうか……!」
恐竜は鳥だというが、暗闇で目は見えるのだろうか。イチかバチかで灯りを消して狭い洞窟をひた走る。
せめて氷の上ならよかったのに。洞窟の中ではスニーカーなのでただ走るしかないが、普通の人間の時速では逃げ切れない。
恐竜は迷わず俺を追ってきた。
舌打ちをする。
ジュラシックパーク。
そうジュラシックパークで言ってなかったっけ? 恐竜は動かないものは見えないって。
イチかバチか止まって息を殺してみては?
――駄目だ! やめろ死ぬ。ラプトルはまさに、あの映画で「恐竜なのに止まっているものも見える凶悪な肉食獣」だったじゃないか。
でももう――
考えながら走っていたら、地面に突き出した岩につまづいて思い切り転んだ。
痛みに耐えて立ち上がるが、一瞬視界が霞んだ弾みに迫りくる爪を避けきれず、頬に熱が走る。引っかかれた。痛い。
逃げたい。助かりたい。
でも野生動物に背中を見せるのは厳禁だと聞いている。
まっすぐに顔を上げて恐竜を睨みつける。すると琥珀色の瞳と目が合った。
その瞳の色に既視感があった。ぞっと背筋を寒気が走る
爬虫類めいた細い瞳孔がさらに細まる。獲物を追い込んでニヤリと笑うように。
「ま、待て……待て……」
恐竜に人の言葉が解るはずもないのに俺は尻餅をついたままじりじりと退がりながら両手を前に広げてなだめる。
その手に熱が走った。
「……ぐ……っ!」
目を細めながら見ると、鋭い鉤爪が掌を貫通して爪先がきらめいている。その先からぽたぽたと血が滴り落ちた。
俺は必死で恐竜の足を握り返す。血の引いた指先が冷たい。
顔が急激に迫り来る。
はッと避けた。ばらばらと岩が砕けて落ちてきた。噛みつこうとしてすんでのところを避けられた恐竜が口を開いて俺を見た。
その後のことは覚えていない。怒りに任せて無茶苦茶に転がされた。爪がかすめる。牙が顔の側の岩に刺さる。
逃げているうちに、俺が避けられるギリギリを狙われているような気がしてきた。
喰われる、というよりは、殺される、と思った。
恐竜は俺をいたぶっていた。食糧というよりは食えるおもちゃだった。身体中が血塗れになっても俺は生きていた。
「りゅうせい……たすけて、りゅうせい……」
今際の際になって、確実に助けに来てくれるはずの後輩の名前が口を突いて出た。
すると、恐竜はにたりと目を細めて笑うのだ。琥珀色の瞳を。
「あーあ、ずっと信じてたんですね、俺のこと」
恐竜の口から出た声に、俺は目を見開いた。
ぐっと手を押し返されて岩に縫い止められる。
「好意だけで優しくされているって、無邪気に信じてたんですか?」
もう一方の手の鉤爪が助走をつけるように振り上げられた。ぐしゃ、と頭の中から音がする。




