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4話 廃病院にて踊る

十二月も半ばに差し掛かったころ。


街はすっかり冬の装いで、どこからかクリスマスソングが聞こえてくるようになった。


そんな街も深夜になればすっかり賑わいを潜め、人通りの少ない道を冷たい風が吹きすさぶのみ。


__時刻は午前2時。


当番勤務に就いている二人は交代で仮眠を終え、ややのんびりした時間を過ごしていた。


「あーーーーーー。寒い。寒いなぁ。そうは思わんかね紺野君」

「いえ、全く」

「なんなんだよお前はよぉ!!!扉閉めてもいいだろ?!」

「だめですよ、扉が閉まっていると入りづらいから開けておくように。と本部から通達があったばかりじゃないですか」


ストーブはあれど、外とほとんど変わらない気温の中、二人は先日発生しスピード解決した付きまとい事案についての報告書をまとめていた。


持っていたペンをデスクに叩きつけて吠える秋山に勇一は呆れ顔だ。


しかし、秋山の気持ちもわからないでもない。

外の気温は一桁台に冷え込んでいるというのに、交番の扉は全開。


秋山は防寒着を着ながらガタガタと震えている。


「てか、なんでお前そんな平然としてんだよ。外の気温五度だぞ」

「昔から寒さには強い方でして」


そんな秋山に対し、勇一は防寒着無しで黙々と仕事をしている。


寒さに強いとは言ったが、普通にしていると当然寒い。


実は、ひそかに身体強化スキルで血液循環を少しだけ早め、体を温めているのだ。


この状態で防寒着を着ると、むしろ暑い。


元の世界では、このスキルを使って真冬に上裸で草原へと繰り出す冒険者が何人かいて、勇一は懐かしむように少し口角を上げた。


「市民の安全の前に、これじゃ俺たちが風邪ひいちまう…」


鼻を鳴らしながら、秋山が体を温めようとストーブの上に置いたヤカンから湯吞にお茶を汲む。


『中央署通信指令より 駅前交番各位 不審者情報通報有 現場へ急行せよ』


一口目を口にしようとしたその時、無線が静寂な夜の終わりを告げた。

 

「おっ、来なすった。身体動かせるし丁度よかった」

「パトカー回してきます」


勇一が鍵を持って出て行く。

駅前交番には駐車場がなく、パトカーは近くの駐車場に停めてある。


秋山が交番の戸締りをしていると、赤色灯が室内にチラついてきた。


「__お待たせしました」

「サンキュ。じゃ、お前は助手席な」


一部例外はあるが、二名でパトカーに乗車するときは、経験豊富な上級者が助手席で周囲の監視を行う場合が多い。


しかし、秋山は常に自分で運転するタイプだ。


曰く「他人の運転は酔うから。特にお前」だそうだ。


「ベルトよし、ミラーよし。と、じゃ行くか」

「お願いします」


きちんと指差し確認をし、ゆっくりと発進する。

他人の運転を受け付けないだけあって、さすがの安全運転だ。


「現場はそんなに遠くねぇから今のうちにポータルで詳しい状況確認しとけよ」

「了解です」


勇一は車載端末で情報を確認する。



現場・・・旧山崎医科大学総合病院跡

通報者・・・近隣住民(女)60代

内容・・・旧館から人の声と足音や

     音楽が聞こえてきて眠れない 

     調査警戒希望 立会ナシ 



現場は交番からパトカーで五分ほどの総合病院跡地。


この病院は市内有数の超大型総合病院として長年地域医療を支えてきたが、建物の老朽化に伴い、すぐ近くの小学校跡地に新築移転したばかり。


今旧館は、解体に向け足場を組み始めている。

通報は旧館のすぐ隣のマンションからだった。


「まぁ、おおかた肝試しのガキか廃墟マニアだろうな」


勇一が読み上げた情報を聴き、秋山はそう分析した。

まだ廃墟というまで荒れてはいないが、廃病院というものはどうしてもそういう連中の興味を引く。


情報分析もほどほどに、早くも旧館裏玄関前の車寄せに到着し、パトカーから降りる。


「さっっっっむ!!」


車から降りた瞬間、冷たい北風が身体を刺した。

急いで防寒着を着る秋山がふと横を見ると、相変わらず未防寒の勇一があきれたような視線を送ってくる。


「待て、黙れ。何も言うな。今何か言われたら俺の中で何かが弾けるから」

「何も言いませんが…」

「あああ!やめろぉ!その目をやめろぉ!!」

「わかりました。わかりましたから行きますよ。中に入れば多少ましかもしれません」


スーパーでの一件以来、秋山は勇一にだらしない一面をよく見せるようになった。


完璧な上司を無理に演じることはやめたらしい。


それでも優秀な警察官であることは間違いないのだが。


二人は玄関へ足早に向かう。

自動ドア横のガラス扉は、鍵穴に近い箇所が割られて解錠状態になっていた。


「建造物侵入に器物損壊も追加ですかね」

「誰がやったかわからないから、立件は難しいかもな」


勇一がドアを押すと、ギィィィと油の切れた音が響く。

中は少々埃っぽくはあるが、まだ病院独特のあの匂いが漂っていた。


入口のすぐ右に守衛室、左は待合室か総合受付だったであろう広い空間になっていた。


「よし。これなら動けそうだ」

「できれば寒くても動いていただきたいものですが」

「何か言ったか?」

「何も?」


思った通り、気温は外よりマシだった。

寒さが和らぎいつもの調子に戻りつつある秋山と、ライト片手に奥へ進む。


(………!……!!)


「何か聞こえるな」

「複数人の話し声と足音、リズミカルな音楽が聞こえますね」

「耳良すぎて生き辛そうだなお前」

「……」


階段室の前に差し掛かった時、かすかに人の話し声のようなものが聞こえてきた。


上の階から響いてきているようだ。


「行くぞ。案外この世の人間じゃなかったりしてな」

「いえ、アンデット系の気配は感じないので、生きている人間でしょう」

「アンデットって。お前ゲームのやりすぎじゃねぇか?」


(そうだった、この国ではアンデットを幽霊と言うんだった)


つい昔の癖が出てしまったが、ゲームのやりすぎだと流され特に追及されず、勇一は密かに胸をなでおろした。


階段を登っていくにつれて徐々に音が大きくなる。


勇一がこの階だと言い、階段室から四階フロアへ出た。


入院病棟だろうか。

長い廊下に同じデザインの引戸がずらりと並んでいる。


その奥から三番目。

中から音楽と男女の歓声、タップダンスのような音が漏れまくっている部屋の前に立った二人は、顔を見合わせる。


「おかしいですね」

「あぁ、まずライトが見えてるはずなのに静かにならないし、何よりこんだけ騒いでたらさすがに振動を感じるはずだが」


ドアをライトで照らされたら、中にいる人物は外に誰か来たことを察知して逃走を図るものだが、音楽やダンスの音が響き続けている。


加えて、激しく靴底を床にぶつける音が聞こえるのにもかかわらず、二人が立っている床には何の振動もない。


「振動どころか心音や呼吸音も聞こえませんね」

「それは聞こえなくて正常」


いいからとにかく入ってみよう。


という秋山の提案に勇一がドアに手をかけて勢いよく開くと、秋山が部屋に飛び込んだ。


「警察だ!全員動くな!!……って」

「誰もいませんね」


やはり、室内には誰もいなかった。


「なんだこのスピーカーは?」


ベッドが撤去された病室の真ん中に置かれたスピーカーから、男女の騒ぐ声やステップの音、ヒップホップが爆音で流れている。


「…とりあえず音を止めましょうか」


勇一が光っている電源マークに触れると、


「ブツッ...!」


という短い音を立ててスピーカーは静かになった。


勇一がふと顔を上げると、窓のすぐ向こうには隣のマンションのベランダが見える。


これでは確かに騒音が気になるわけだ。


「一体誰が何の目的でこんな…?」

「…秋山さん。目立つものに気を取られ、肝心なものを見落としたかもしれません」

「どういう…?」


秋山の問いかけに反応する間もなく、勇一は探知スキルを全開にした。

瞳が一瞬だけ黄金色の輝きを放つ。


大通りを通る車や人、配管を駆け回るネズミ、排水溝に犇く例の虫たち、病院内外の気配が勇一の中に流れ込んでくる。


「…見つけた!」


今いる場所から三つ上の階でコソコソと動く、二足歩行の生命反応を捉えた。


「何かわかったのか?」

「はい。上に行きましょう。誰かが不審な行動をしています」


もはや秋山は勇一の勘に疑問を抱くことはない。


勇一が怪しいと言ったら怪しいのだ。

と、受け入れて従う。


「わかった、逃げられる前に行こう」


勇一は短く頷いて階段室へと駆け出し、秋山も後を追う。


「対象は七階にいます。私はここから上がるので秋山さんは奥の階段からお願いします」

「挟み撃ちか。わかった。また後でな」


二手に分かれて不審者のもとへ向かう。

勇一は身体強化で目の前の階段を爆走し、一瞬で七階に到達すると、廊下の様子を伺う。


(目視できないが、いるな…)


ライトを消しているのだろうか。

廊下に不審者の姿はない。


気配のする方向へ廊下を進むと、反対側から息を切らす声と階段を駆け上がる音がした。


(これは秋山さん。となると)


当然不審者も二人が階段を駆け上がる音は聞こえていただろう。


何者かが接近してくるにもかかわらず、呑気に廊下を歩いているような間抜けではないことは百も承知だ。


「…はぁっはぁっ…お前、早っ……」


息を乱した秋山が近づいてくる。

いくら鍛えているとはいえ、三十歳で階段爆走は普通にキツい。


深呼吸して息を整え、状況を確認する。


「それで、不審者は?」

「はい。この部屋にいますね」


勇一が秋山を待っていたのは病室の前。

ここに不審者がいるというのだ。


秋山は、お前が行けと合図した。

勇一は首肯し、ゆっくりとスライドドアを開ける。


「警察です。いるのはわかっていますので、出てきてください」


当然、反応はない。


四階と違い、室内にはまだベッドなどの備品があり、身を隠すにはちょうど良い場所だった。


しかし、勇一の前では幼児相手のかくれんぼに等しい。


スタスタと迷いなく奥から二番目のベッドに向かい、失礼しますと声をかけたと思ったら、《《ひょい》》と。

本当に簡単にベッドをひっくり返した。


「!!!???」


ヤモリのようにベッドの裏にしがみついていた人物が、声にならない悲鳴を上げた。


「こんばんは。こんな時間に何をやっているのですか?」


全く悪気はないのだが、感情が抜け落ちた冷たい声音に聞こえたことだろう。


「あっあっあっ、あの。す、すみませんでしたぁぁ」


それを受けて不審人物(どうやら男性のようだ)は泣きそうな声で勇一の前に跪く。


まるで勇一が魔王にでも見えているかのような勢いで謝罪の言葉を繰り返している。


医療ベッドと成人男性。

軽く百キロを超える物を片手でひっくり返されたら、普通に怖い。


「はい、反省は伝わってるのでもう結構です。それで、ここで何を?」

「あの…あの。許してください」

「それを決めるのは私ではありません。ここで何を?」

「よし紺野。代わろう」


気の毒に思ったのか、秋山が交代を申し出た。

秋山も真面目で厳しい警官だが、勇一よりはマシなのだろう。


半べそをかきながら、秋山の方に向き直った男性が事の経緯を話し始める。


「俺、廃墟というか廃病院が好きで、家から近いし、鍵は開いてるってネットに書いてたから、その、興味本位で」

「なるほど。興味本位とはいえ立派な犯罪行為だし、物を壊せば器物損壊を問われる場合もある。軽はずみには入らないで欲しいな」

「はい…ごめんなさい」


男はここから少し離れたところの大学に通う学生らしい。


秋山の親しみやすい口調に、落ち着いて返事をするようになった。


「ま、あんまり言っちゃいけないけど、今回は場所が悪かったかな。こんな街中でデカい音出してたらそりゃ通報されるわ」

「音って…あの下の階で鳴ってた音楽ですか?」

「えっ?」

「えっ?」


どうやらこの男、下の病室の音楽とは無関係らしい。


「あっ。あれあなたじゃないのね?」

「はい、なんか音楽鳴ってるなーとは思いましたが…」


他にも自分みたいな人がいるのだな。

くらいに思って特に気にせず、上の階を見て回っていたところだったらしい。


「警備員とかもあれに気を取られて上には来ないと思ったけど、急に足音が近づいてきてびっくりしてしまって…」

「それに関しては、今日は運が悪かったとしか」

「秋山さんそれは言っちゃだめです」


駆けつけたのがこの二人でなかったら、下の階だけで終わっていた可能性は高い。


まさか当人も、探知スキルを使われるなど夢にも思っていなかっただろう。


秋山の「運が悪かった」という発言は、ある意味正しい。


「あの、ところで僕はこの後どうなるのでしょうか?」

「はい。建造物侵入の疑いがありますので、一度警察署へ同行いただきます」

「やっぱりそうですよね…。前科がついたり、大学辞めることになりますか?」

「それに関しては今の時点では何とも言えません」


勇一の回答に、男は肩を落とす。


当然このまま、


「はいさようなら。気をつけて帰ってね☆」


というわけにはいかない。


「紺野の言う通りなんだけど、とにかく誠実に正直に話すことが大事かな」


よほどの常習性や悪質性がなければ厳重注意で済む場合もある。


秋山のフォローに、男は再度反省を述べる。


「もう廃墟には入らないようにします」

「うん。是非そうしてくれ」

「秋山さんちょっといいですか?」


階段室へ向かおうとする二人を、勇一が呼び止めた。


「…何だよ」

「四階に人が戻ってきました。そちらを制圧してきますので、先にパトカーに乗っててください」

「「ぇ」」


そう言うと、二人を置き去りにして、ものすごいスピードで反対側の階段室の方へ走り去っていった。


「あの人、何者ですか?」

「…俺にもわからない」


目の前の信じがたい光景に、男はツッコまずにはいられなかった。


秋山はもう無理やり納得していたが、やはり一般人のストレートな疑問を聴くと、気持ちがブレる。


「走っていくとき、足音しませんでしたけど」

「……言うなッ!!」

「……はい」


二人は考えるのをやめた。


無言で階段を降りて一階へ。

裏に停めてあったパトカーに乗り込んだところで、秋山の無線が鳴った。


『秋山さん、紺野です』

『おー、お疲れ様。どうぞー』

『少年三名を補導したので、応援を手配してください』

『了解、応援が来るまで待機しとくわ』


別れてからまだ五分ほどだが、騒音の元凶が制圧されたようだ。


秋山が応援を要請すると、幸い近くを巡回中のパトカーがいて、二分ほどで着くらしい。


「…何も言うなよ?奴はちょっと特殊なんだ」

「……はい」


後部座席でぽかんとしていた男に秋山が釘を刺すと、コクコクと頷いた。


『紺野、すぐ来るらしいからもう降りてこい』

『了解。降ります』


ド派手な髪色の少年三人を引き連れ、勇一が玄関から出てきた。

彼らの目からは、一様にハイライトが失われている。


「近所の高校生のようです。一名煙草を所持、飲酒無し。玄関の破壊は否認しています」

「…わかった、おつかれ」


勇一が簡単に報告をしたところで、応援のパトカーが到着した。


「やぁ紺野君、いつもご苦労様」

「柳井部長、お手数おかけします」


到着したパトカーの助手席から降りてきたのは、地域課巡査部長の柳井誠やないまことだ。

柳井はずいぶん落ち着いた雰囲気だが、昔は交通機動隊でやり手の白バイ乗りだったらしい。

家庭都合で地域課へ異動して以来交機時代のギラツキは鳴りを潜め、独特の柔らかい雰囲気で部下たちから大変慕われている。


「秋山ぁ。お前のペアの子、すごいねぇ」

「ヤナさん、もう俺もなにがなんだか...」


柳井は秋山を労うと、少年たちに近づいていく。


「君たち。駄目だよ高校生がこんな時間に遊んでちゃ。タバコも吸っちゃって。何か悩みがあるなら警察署で聞くから、あっちのパトカーに乗ってくれる?」

「「「......!」」」コクコクコク


勇一と離れられるのがそんなに嬉しいのだろうか。

少年たちの目にハイライトが戻り、そそくさとパトカーに乗ってしまった。


「じゃ、先に行くね~。お疲れ様~」


柳井は助手席に戻ると、窓を開けて勇一と秋山に手を振る。

勇一は離れていくパトカーの運転席から突き刺さる視線を感じ取っていたが、気づかないふりをした。


「さて、秋山さん。私たちも行きましょうか」

「そうだな。細かいことは交番で聞かせてくれ」


三人が乗るパトカーも、中央署へ向けて発進。


廃病院における通報事案対応はひとまずの決着を迎えたのだった。



___



「あー寒い。本署はあったかくてよかったなぁ!!」

「確かに、交番に対してドアを開放しろという割に本署は暖房がしっかり効いているのは不平等を感じますね」


時刻は四時過ぎ。

確保した男を中央署に引き継いだあと、交番に戻ってきた。

寒い寒いと繰り返す秋山に、珍しく勇一も同調する。


「で、あのガキどもは何だったんだ?」


早速、秋山は補導した少年たちについて話を切り出した。


「はい、仲間で騒いでいたら赤色灯が見えて、あわてて窓から逃げ出してバルコニーに隠れていたようです。七階の彼を見つけた時に気配を近くに感じていましたが、外にいるので無関係だと思い込んでました」

「なるほどな。頃合いを見てスピーカーを回収しに行ったら、お前に見つかったわけか」

「ドアを開けたらまた窓から逃げようとしたので、全員一瞬で制圧しました」


あぁ、()()ね。

秋山は額に手を当て少年たちが味わった恐怖を思う。


廃病院で突然現れた警官に驚き、逃げようとしたら一瞬で捕まっている。

恐怖以外の何物でもない。

目からハイライトが消えるわけだ。


「なんとなく、あいつらもう二度と深夜徘徊しない気がするわ」

「それこそ警察官として使命を全うできたということです」


誇らしげに階級章に手を当て、背筋を伸ばす勇一。

まさにその通りだが、秋山は思わず苦笑いしてしまった。


「お前の現場対応もそうだが、署ではヤナさんがちゃんと訓諭してるだろうし、しっかり反省してくれるはずだ」


恐怖の後、柳井の厳しくも優しさに満ちた訓諭。

この落差は、非行少年たちに効果抜群だろう。


「紺野さ。ヤナさんと組んだ方が良いんじゃねぇか?」

「いえ。秋山さんの方が良いですね」


揶揄うつもりだったのに、少し面食らってしまう。


「そ、そうか。ヤナさんの方がお前の能力に合ってる気がするんだが。まぁ、なんと言うか、ありがとな」

「少し抜けたところがある方が上司としては良いですね。柳井部長は何を考えてるかわからない時があって少し苦手です」


馬鹿にされてるのか褒められてるのか。

よくわからなくなったが、勇一が柳井を苦手としているのは意外だった。


「へぇ、お前にも苦手な人間がいるんだな」

「私も人間ですから。柳井部長にもペアがいますし」


柳井にも教育係として、ペアを組んでいる新人巡査がいる。


「あぁ。なんて名前だったっけな」

「黒瀬です。黒瀬陽菜くろせひな。警察学校の同期です」

「あの剣道の。なんか、お前さっき睨まれてたけど何かあったのか?」

「さぁ。心当たりはないですね」


柳井のペア、黒瀬陽菜は勇一と警察学校同期の女性巡査だ。


彼女の訓練成績は座学も実技もずっと二位。

常に首席であり続けた勇一をライバル視しているようだ。


そして配属された現在も、勇一の活躍を勝手にぐぬぬして眠れぬ夜を過ごしている。


「ライバルが超人で黒瀬も可哀想に」

「優秀であることは間違いないと思うので、意地を張らず堂々としてれば良いと思います」

「それ本人に言ってないだろうな?」

「絡んできたら毎回言ってますけど」


あぁ……。

と、秋山は再び頭を抱えた。

これはライバル視ではなく、もはや敵視だ。


柳井と陽菜の配属先は笹野瀬駅北交番。

駅前交番とは直線距離で一キロほどだ。


大きな事案には合同で動くこともある。

早くも胃の奥がチクリと痛む秋山であった。


「夜が明けてきましたね」


あっという間に時が経ち、東の空が徐々に明るくなってきている。


「もうこんな時間か。朝飯何にすっかな」

「カレーパンの香りがしてきましたね。駅地下のパン屋で調達しましょう」

「まったくわからんけど。いいな、今日はカレーパンにしよう」

「はい。では開店までに報告書をまとめましょう。先日の付き纏い事案のもまだ出来てないですし」



事務処理というものは、どうしてこうも溜まっていくのか。

口には出さないが、多分二人とも同じことを考えながらペンを走らせる。


十五分後、寒さで秋山が発狂することになるのだが、これはまだちょっと先のお話。


柳井誠 41歳 身長172㎝

マイブームはクロスワード


黒瀬陽菜 23歳 身長160㎝

マイブームはベタの観察


最近ベタが産卵したと嬉しそうに柳井に報告してました。


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