間話 firefly
「んあー。くそ。マジで蛍見に行くのか?昨日知り合ったばっかの子と?」
祭り会場だった小学校跡から少し道を登ると、谷滝池という溜池がある。
その池の堤から山道に入ると、集落の象徴である滝を見ることができる。
そこから続く清流に、蛍がまだ飛んでいるそうだ。
祭りの翌日。
谷口は山下と前田の計らいで、梨花と共に蛍を見に行くことになり、日没直前の郵便局前で梨花を待っているところだ。
集合時間まであと十五分。
なんとなく手持ち無沙汰でソワソワしている。
(うーん、タバコがあれば退屈凌ぎになるんだけど)
谷口は学生時代にタバコを嗜んでいたが、大学を卒業して警察学校入校の際にスッパリと辞めた。
吸いたくなることはなかったが、こういう時にタバコがあれば、と禁煙以来初めて思った。
「連絡先を聞いておけばよかったかな」
口約束が基本なこの集落に慣れており、つい梨花の連絡先を聞き忘れていたのだ。
「来なかったらどうしよう」
もしすっぽかされたら前田家に連絡すれば良いかな?
などと不安に駆られたが、どうやら杞憂に終わりそうだ。
「谷口さーん!」
坂の下から小走りで登ってくる梨花の姿が見えた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって…」
「いや、まだ待ち合わせ時間になってないから、いいよ。走らなくてもよかったのに」
待ち合わせ時刻まであと五分ある。
今時珍しい律儀な子だなと、内心感心した。
昨日の浴衣姿と違い、動きやすそうな長ズボンと薄手の長袖。
快活そうな梨花によく似合っている。
「ここから十五分くらい歩くから、行こうか?」
「はい!」
二人はまず谷滝池を目指して歩き始めた。
道中では、谷口と前田夫妻の出会いの話が梨花にヒットしたらしく、かなり会話が弾んだ。
「……で、最終的にお互いにあなた誰?ってなってさ」
「あはは!おばあちゃん昔から結構強引なんですよ!昨日も浴衣は着たくないって言ったんですけど、どうしてもって…」
昨日の浴衣は、佳代が無理矢理着せたようだった。
彼女の強引さに関してはこの二年弱で嫌というほど味わったから、何も言うことはない。
「えー、でもいいじゃん。似合ってたし、浴衣」
「あ…ありがとう…ございます…」
つい思ったことをそのまま口に出してしまった谷口。
梨花は顔を真っ赤にしてモゴモゴとお礼を言うと、すっかり黙ってしまった。
若干気まずい空気が流れたが、タイミング良く谷滝池堤にたどり着いた。
「あそこの浅瀬で一昨年白鳥を飼ってたんだよ」
「へぇ、今はもういなくなっちゃったんですか?」
池の隅に石組みの浅瀬があり、そこに小屋を浮かべて、迷い込んで傷ついた白鳥を保護していた。
タッキーと呼ばれて親しまれていたが、ある日忽然と姿を消してしまった。
傷が癒えて飛べるようになり、故郷へ戻って行ったのだと村人たちは推測した。
「さて。ここからちょっと藪に入るから」
谷口はリュックから取り出した蚊取り線香に火をつけ、携行ホルダーをベルトにぶら下げた。
「か、蚊取り線香!?虫よけスプレーじゃないんですね」
「甘いな。ここいらの蚊は虫よけスプレーだけで防げるほどヤワじゃない。蚊取り線香でけん制しつつ虫よけスプレーを最後の砦にするんだ」
そう言いながら、谷口は身体中に虫よけスプレーを大量に吹きかけた。
「…ゴッホゲッホ!!ガホッ!」
当然の如く、激しくむせる。
「…と゛う゛そ゛」
涙目で虫よけスプレーを手渡してくる谷口の姿がツボに入ってしまったのか、梨花はおなかを抱えて笑っている。
「ちょ…まっ……谷口さん…それは反則」
梨花は息が苦しそうなほど笑っている。
「息止めとけよ~」
そんな梨花に、谷口は容赦なく虫よけスプレーを吹きかけた。
「えっ、まっ!ケホ!ゴホッ」
「わははははは!」
「もぉ!!!」
スプレーの煙を払おうと、むせながら手をわたわたさせている梨花は、何とも小動物チックで可愛らしい。
「こんなにかける必要ありますか?!」
「蚊だけじゃなくて、一番怖いのはマダニだからね。ここはイノシシもいるから草むらにマダニがたくさんいるんだよ」
マダニは草葉の裏にくっついて獣が通るのを待ち構えている。
刺されると痛いだけでなく、様々な感染症を引き起こす危険性があるため厄介だ。
虫よけスプレーを服の上から大量にかけておけば、ある程度マダニがくっついてくるのを防ぐことができる。
「じゃあ行こうか」
蚊取り線香の芳香を漂わせながら、二人は滝へ続く山道へ入って行く。
すでにあたりは真っ暗で、谷口が点灯させているヘッドライトが道を照らすのみ。
<ギャァァ!!!>ガサガサ
草木が茂る道を歩いていると、突然横の林から狸が二匹、大きな声で鳴きながら飛び出してきた。
「キャァァァァァァァァ!!!」
「うぉ。狸か。びっくりしたぁ」
梨花は驚き、絶叫して谷口の腕にしがみついた。
谷口は日頃の訓練の賜物(?)か、平然としているが、
「あの、梨花さん。あまりくっつかれると歩きにくいんだけど」
「…………」
震えている梨花にしがみつかれ、顔に熱を帯びるのを感じた。
離そうとしても、がっちりと掴まれていて離れないため、やむを得ずそのまま進む。
考えてみれば、谷口は慣れているが、若い女性にとって真っ暗な山道はたぶん普通に怖い。
しがみついていた梨花はいつの間にか腕から離れたが、手を繋いで歩く形になっている。
やがて、水の音が聞こえ始めた。
沢に出ると木々が開け、月明かりで周りがよく見えるようになった。
「このあたりかなぁ?」
「月明かりに照らされて、川が綺麗ですね」
谷口は、蛍の光を見つけるためにヘッドライトを消した。
「わっ」
ライトを消すと、木々の間から満天の星空が見えた。
「このあたりは県内でも有数の星空が見える場所なんだ。って、普段住んでる場所もそんなに離れてないから知ってるか」
山下の受け売りで紹介しようと思ったが、梨花は半分地元民みたいなものだから釈迦に説法か、と頬を掻く。
「いえ、あまり意識して見たことがなかったので。すごい。めっちゃ綺麗…」
「………っ」
月明かりでかすかに見える梨花の目は、確かに星空に負けないくらい輝いている。
心の底から綺麗だと感動しているのだろう。
「さ、さーて!蛍はどこかな!?」
つい、梨花の頬に触れてしまいそうになってしまったが、何とか抑えることに成功。
ごまかすように強引に本来の目的にシフトする。
二人で川岸に生えている草木に目を凝らすが、蛍らしき姿は見えない。
「これはじーさんたちにハメられたかな?」
「かもですね~。でも、この星空が見れたから満足ですっ!」
一時間程経っても蛍の姿が見えないため、あきらめて帰ることにした。
「んっ」
「えっ、あっ…はい」
再び山道に入るところで、谷口は手を差し出した。
感覚としては、また狸に驚いて腕に引っ付かれるくらいならという程度だったが、梨花にそっと手を取られ、つい意識してしまう。
(うわ、ナチュラルに何やってんだ俺…)
今更離すわけにもいかないので、照れ隠しのようにくるりと振り返って手を引いて歩きだす。
すると、
「谷口さん!ライト消して!」
「?」
突然梨花が声を上げ、よくわかっていないが、ライトを消した。
「見て!あそこ!」
「あっ!」
茂みの中、微かに黄緑の光が見えた。
そっと近づいてみると、蛍が二匹、身を寄せ合うように葉っぱの陰にとまっていた。
一匹しか光っていないことを見るに、番なのだろう。
「季節外れなのに出会えてよかったなぁ。似た者同士ってことか?」
時季外れに一匹寂しく鳴いているセミを見ると何ともさみしい気持ちになるが、無事相手を見つけることができた二匹を見ると、ほっこりする。
「あれ…?でも、この子たちの子供も結局季節外れになるんじゃ…」
「それは…まぁあれだよ。多分また似た者同士で出会えるさ」
願わくば、この二匹から生まれる子供も無事伴侶を見つけることができますようにと祈りながらしばらく眺め、その場を後にした。
どちらともなく自然に手をつなぎ、山道を戻る。
結局、集合した郵便局前までずっとつないだままだった。
「谷口さんは、異動とかあるんですか?」
「うーん。駐在員は長いとは言うけど、こればっかりはねぇ。できればシゲさんが引退して新しい駐在員が来たら、俺がしてもらったように面倒を見てあげたいなとは思ってるよ」
生活基盤があるため、駐在員の着任期間は他の交番員と比べて長い傾向にあるが、異動を命じられればそんなことは関係ない。
「そっか…。また遊びに来ていいですか?」
「えっ?うん、もちろん。年寄り連中の相手ばっかでさ。年が近い子が遊びに来てくれたら老化が遅れそう」
「あはは。なんですかそれ~」
それじゃあまた。
と、梨花は小さく手を振って家の方へ歩いて行った。
谷口も、夏の暑さとは違う熱を帯びた手を握り、ポケットに突っ込んで歩き出した。
満天の星空の下、このぬくもりが冷めないように。
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「あいつら上手くいったかねぇ?」
「さぁなぁ。でもシゲさん、今の時期に蛍が見れるもんなんだねぇ。長いこと住んでるけど知らなかったよ」
「あはは!そんなの嘘に決まってるでしょ!今の時期に蛍がいたら奇跡だよ」
「なんだ嘘か。まぁ、星空くらいは見れただろうよ」
<みししっぴ>というネオンが光るスナック。
若者の色恋沙汰をつまみに、おじさんたちの酒は進む。
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※肩書や場面は違えど、ほぼ実話




