37話 悔
フルパワーで展開した探知スキルと思念感知が館内を駆け巡った。
怒り、悲しみ、焦り、不安、恐怖、痛み、苦しみ__
数千人規模のありとあらゆる感情が、一気に勇一の頭に流れ込んでくる。
「ぐっ……」
ぷつぷつと額に汗が浮き出てくる。
鼻血も出てきた。
しかし、勇一はスキルを切らなかった。
そして、滝のように流れ込んでくる感情の中に、ぽつりぽつりと。
__憎悪
___興奮
____愉悦
およそ、先程この場に広がっていた惨劇にそぐわない感情の波を捉えた。
「…!捉えた!!」
館内に張り巡らされていたスキルの波が一斉に方向を変え、感情の主を追った。
スキルの矛先が、五階にあるイベントホールへ集中する。
勇一はふらつく足に気合を入れなおすと、イベントホールに向け疾走した。
一階フロアにふわりと風が吹く。
風が吹いてきた方向に山根たち鑑識官が顔を向けると、床を清掃する職員たちの姿があるだけだった。
______
イベントホールは避難してきた人で混雑していた。
アニオンモールの職員たちが一人一人声をかけて確認作業をしている。
そのほかには数名の警察官と救急隊員。
各々が、課された職務に当たっている。
突然、ホール入口の両開きドアが大きな音を立てて開け放たれ、ざわついていた会場はシンと静まり、扉から入ってきた人物に注目が集まる。
勇一だ。
迷いなく人々の間を縫って歩き、パーカーを着て壁に背中を預けて座っている若い女性に声をかけた。
「こんにちは。具合はいかがですか?」
「えっ?あ、え、大丈夫です」
女性は突然話しかけられたものだから、少し戸惑った様子だ。
「事件発生時はどちらへ?」
「えっ、そこの本屋ですけど」
ホールの前には本屋がテナントとして入っており、そこで買い物をしている時に騒ぎを聞き、とりあえずホールに避難したという。
「なるほど。上着はどのタイミングで着替えられたのですか?」
「っ?!」
一瞬、驚きと焦りの表情を浮かべたのを、勇一は見逃さなかった。
「おや?おかしいですね。五階にいたのであれば、ほとんど催涙スプレーの影響は受けていないはずですよね?」
「…………」
返事はない。
「なぜ、貴女から催涙スプレーのような匂いがするのでしょう?あっ、もしかして六階でキツい中華でも食べてきました?」
逃げた。
女性は突然跳ね上がるように立ち上がると、一目散に出口目掛けて逃げた。
「やれやれ……」
勇一は追わなかった。
勇一が入ってきて女性に声をかけた時点で、被疑者確保のため二人の警察官がしっかり出口を固めていたからだ。
女性はあっけなく確保された。
しばらくもがいていたが、観念したのか、その内大人しくなった。
「被疑者確保ぉ__!!」
ホールに警察官の鬨の声が響くと、周囲の人々はようやく安堵の表情を浮かべた。
「14時56分…。ふぅ、終わったか…」
「紺野、お疲れ様!さすがだな」
腕時計をちらりと見て、額をぬぐって息を吐くと、集まってきた警察官や救急隊員たちから賞賛の言葉を受けた。
負傷者が大勢出てしまったし、一階ホールの片付けもそう簡単にはいかないだろう。
しかし、被疑者を確保したことで、ひとまず一連の騒動に終止符が打たれた。
と、思っていた。
_____
『次のニュースです。一昨日、アニオンモールにおいて発生した催涙スプレーによる無差別事件で逮捕された被疑者の女は、不当解雇された復讐のため事件を起こしたと供述していることが県警の発表によりわかりました。なお、この事件で一名が死亡、三十七名が重軽傷を負うなど、甚大な被害が出ております。また、この日は県警の防犯強化週間で多数の警察官が館内を___』
事件から二日後。
笹野瀬中央署各課には、沈痛な雰囲気が漂っていた。
地域課も朝礼で大勢が集まっているとは思えない程、静まり返っている。
あの日の事件で、催涙ガスから逃げ惑う人の波に巻き込まれた小学生が亡くなったのだ。
世間の非難の矛先は犯人だけでなく、あの日、数百人体制で館内をくまなく巡回していたにも関わらず事件を防ぐことができなかった笹野瀬中央警察署にも向けられた。
<無能乙>
<百人いても役に立たない笹野瀬警察>
<犯人確保だけは早かったな>
<警察官の怠慢で未来ある子供の命が失われた>
ネット上には、匿名で心ない言葉が多く書き込まれた。
そして、有名税と言って良いのだろうか。
__あの警察官、いるじゃん。
SNSに投稿された、当時の混乱のさなかを写した写真に勇一の姿が映っていた。
写真は、以前勇一が若者の救助の功績で受けたインタビューの切り抜き動画と共に、瞬く間に拡散された。
特定の対象を見つけた匿名の人々の興味関心とは恐ろしいもので、いつしか警察官の怠慢という話から、勇一が集中砲火を浴びる方向に切り替わっていた。
ネットの盛り上がりを受けて、報道陣が昇降口で勇一を待ち構えるほどだ。
「__ひとまず、紺野はしばらく本署勤務にしよう。秋山、いいか?」
「はい。そうした方が良いと思います。交番は世間の目が多すぎます」
朝礼で課長に提案された秋山は、二つ返事で了承する。
勇一が悪いわけではないのだが、半ば幽閉するような扱いをすることに一同若干の心苦しさを抱いているが、致し方ない。
「わかった。紺野、すまないがそういうことで頼む。来る時と帰るときは誰にも気づかれないように裏口から入ってきてくれ」
「わかりました」
「では、一同解散」
重苦しい雰囲気のまま朝礼は終わり、各自持ち場へと出動していく。
ひとまずやることのない勇一がデスクで虚空を眺めていると、秋山が近づいてきた。
「紺野、大丈夫か?」
「インターネットに何て書かれているかは見ていませんが、課長から聞いて大体想像がつきます」
普段から、スマホは電話とLEIN、フェザンサの試合のライブ配信でしか使わない勇一は、SNSに書かれていることを知らないらしい。
「防衛戦などで思わぬ結果に終わってしまった結果、勇者が市民に石を投げられることはよくありましたから、それはまったく気にしていません。気にするだけ無駄です」
「ゲームとごっちゃにするなっての…」
「__ですが」
飄々と答えた勇一に、またゲームの話かと呆れる秋山の言葉を遮る。
「私が…。私があの時、あの時感じた違和感に蓋をしていないれば、行動に移していれば。大勢の人が苦しんだり…子供が、死ぬことはなかったと思います。それは、話が別です。あの場でこの惨劇を防げたのは私だけだったと思います。そのチャンスの芽を、私は掴みそこねたのです」
「紺野……」
勇一は拳を固く握り、歯を食いしばって震えていた。
「そんなことはない」と言おうとした秋山だったが、その言葉では人一倍正義感の強い勇一の自責の念には何の慰めにもならないと悟り、肩に手を置き、
「ま、あんま抱え込むなよ?」
と、一言声をかけるだけに留めて交番へ出動する。
実は秋山にも似たような経験がある。
その時教育担当からかけられた言葉は「抱え込むな、大いに悩め」。
新人は多少悩むくらいが良い。
ほぼ完璧超人の勇一にはちょうど良い機会だろうと思った。
(……ま、大いに悩め。紺野勇一。これも警察官として必要な経験だ)
交番への道を、いつもと違って一人。
(世間と戦うのはお偉いさんたちの仕事だ。お前は、好きなだけ自分と向き合えば良い)
次朝礼で合った時、どんな顔をしているか。
ちょっとだけ楽しみにしながら、秋山は自転車を漕ぐ。
キラキラと朝日を反射しながら、ゆっくりと中央署から離れていった。
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