36話 白煙
「うん、美味いな」
飲食店街も人で溢れていたが、比較的空いていたラーメン店にぱっと入り、二人で昼食をとっていた。
「秋山さん、この後の流れは?」
「夕方まで巡回して、交番に戻って交代だ。湊が死んじまう」
アニオンモールの営業時間は21時までだが、非番が出動している交番組は17時で撤収する。
残り三時間ちょっとだ。
ラーメンを食べ終えた二人は、従業員通路から詰所に一度戻り、服を着替えて再びフロアに戻った。
相変わらず人が多い。
人ごみ縫うように通路を移動していき、くまなく巡回する。
そして、建物中央に位置する巨大な吹き抜けに到達した。
四階から一階までを貫いており、覗き込むと一階フロアを埋め尽くす買い物客が見える。
みな、買い物袋を持って楽しそうに歩いている。
「紺野、行くぞ」
「はい」
秋山に呼ばれ、ガラスの柵から手を離し、振り返った時だった。
__ボン!!
一階で何かが破裂するような音が聞こえ、賑やかな声はあっという間に悲鳴へと変わる。
「どうした!!」
秋山が慌てて柵から下を覗き込む。
逃げ惑う人々の中心から、もうもうと白い煙が立ち込めている。
同時に、
「!!…この匂い!!」
あの時感じた匂いだった。
鼻の奥を刺すような刺激臭。
それは勇一だけでなく、秋山にも届く。
「催涙ガスだ!」
煙は四階にも立ち昇ってきて、周囲の人たちも咳き込んだりと、不調を訴え始める。
防犯サイレンが鳴り始めた。
「紺野!詰所にガスマスクを取りに行くぞ!!…って、おい?!何やってんだ?!」
秋山の目に飛び込んできたのは、柵に足をかけ、乗り越えようとしている勇一の姿。
周りの客も警察官のまさかの行動にどよめいている。
「待て!やめろ!!」
「大丈夫です。ガスとか瘴気の類は無効化できるので」
と言うと、ひらりと飛び降りてしまった。
「キャァァァァァァァ!!!」
「おい!警官が落ちたぞ!!!」
四階フロアから悲鳴が上がる。
「紺野!!……あれ?」
慌てて下を覗き込んだ秋山だが、一階フロアに転落した警察官の姿はなく、ただ人々が逃げ惑っているだけだった。
「あんのやろぉぉ……!」
怒りで頭の血管がプチプチと弾けそうになるが、大きく息を吐き、落ち着く。
「皆さん!催涙ガスが撒かれました!!吹き抜けから離れて!!上の階へ登るか、なるべく奥の方へ!!」
ひとまず飛び降りた勇一は置いといて、避難誘導を開始した。
従業員通用口も開放され、続々と買い物客が逃げ込んで行く。
四階フロアは発生源から遠いこともあってか、さほど混乱はなかった。
ただ、一階からは絶え間なく悲鳴が聞こえてきており、凄惨な光景が広がっていることだろう。
(…紺野、犯人は任せたぞ)
秋山は階下に消えていった後輩を思いつつ、自らの役目に専念した。
___
降り立った先は想像以上に酷い有様だった。
喉や顔を押さえて倒れる人、苦しさにもがき苦しむ人、激しく嘔吐している人。
至る所に負傷者がいた。
吹き抜け広場の真ん中には、破裂して穴が空いたボンベのような缶がいくつも転がっている。
「動ける人は外へ!!急いで!」
未だガスが濃く漂っているため、救助や避難誘導の手が回っていない。
瘴気の類を体内で浄化できる勇一には催涙ガスが効かないため、手段は別として、誰よりも早く駆けつけることが出来た。
勇一の呼びかけに反応した人々が、ふらふらとした足取りで出入り口に向かって行く。
また、動けない重傷者は勇一が両腕に抱え、二人ずつピストン輸送した。
運び出して玄関外の日陰に一人ずつ並べて寝かせるのだが、その数はゆうに三十人を超え、今連れてきた若い女性で三十四人目。
その中には、小学生くらいの子供まで含まれている。
目的はわからないが、休日昼間の人が多い時間帯を狙った無差別な犯行だ。
寝かされた数十名の重傷者に対しては、客として訪れていた医療従事者たちが有志で集まって応急処置を行っている。
遠くから救急車やパトカー、消防車のサイレンが聞こえてきた。
何台も連なって建物裏の搬入スペースへ入って行く。
二階も相当な被害があったようで、一階から要救助者の姿がなくなっても、まだ大勢の人が外に逃れてきた。
勇一は店内に戻る。
フル稼働している換気扇と、開け放たれた窓により催涙ガスの類はほぼ消え、従業員たちが状況確認でフロアに出てきていた。
「…!山根さん!」
「紺野か。久しぶりだな。相変わらずお前は事件に遭遇する確率が高いな」
ガスが落ち着いたことで玄関から入ってきた鑑識課員たちの中に、見知った顔があった。
中央署鑑識課の「インテリ丸眼鏡」こと山根巡査部長だ。
「まったく…何てことしやがる…」
被害者の数は優に三桁を超えるらしい。
撒かれたのが毒ガスではなく通常の催涙ガスだったことは、不幸中の幸いか。
「犯人は必ず私が見つけます。まだ何か仕掛けてくる可能性がありますので、山根さんもお気をつけて」
「ふ。お前がそう言うなら、犯人はすぐ見つかるような気がするな。そっちは頼んだぞ」
山根は他の鑑識官たちと共に、ボンベの残骸の確認のためフロア中央へ向かっていった。
「さて……と。何から始めようかな」
「まずは謝罪からですねぇ。紺野君」
「あ、秋山さん…」
腰に手を当て、一息ついた勇一の肩がミシミシと音を立てて掴まれた。
恐る恐る振り返った勇一の目に、久しく見ていなかった般若顔の秋山が飛び込んできた。
「~’%&…!!’$%☆#ω……!!%)’&W#%!!!!……!!!」
怒り狂った秋山は顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げているが、もはや何を言っているのか聞き取れない。
「%)’&W#!#!!くぁwせdrftgyふじこ!!!!!」
「大変に申し訳ございませんでした」
勇一は腰を九十度に折り、秋山の怒声が落ち着くまでひたすら受け流していた。
詳しく知らないが、鑑識官たちは「いつもの光景だ」と苦笑いで眺めている。
「……ったく。お前は頑丈で大丈夫かもしれんが、下の人にぶつかったら怪我じゃ済まねぇぞ。急いでいきたい気持ちはわかるが、気をつけろ。一般人の目もあるんだからな」
「はい。軽率でした。すみません」
一通り怒りエネルギーを放出した秋山の声が聞き取れるようになってきた。
そこですかさず、再び腰を折って謝罪をすると、何とか許してもらえたようだ。
「で?目星はついてんの?」
「なんとなく…ですが。実はさっき六階に行くときにすれ違った人から刺激臭がしたんです。中華料理を食べたんだろう。と、特に気に留めずに流してしまいました。これは私の失態です」
あの時感じた匂い。
今思えば、どこかで催涙ガスの試し撃ちをしてきたのかもしれない。
「そんなの、結果が出なきゃわからねぇだろ。ほんとに中華食ってきただけの人かもしれないしな。まだ何もわからないうちから自分を責めるな」
鼻が利きすぎるのも困ったもんだな。と秋山は笑う。
「俺は状況確認と打ち合わせに詰所に行くから、お前は俺が戻ってくるまでに犯人見つけとけ。そしたらさっき飛び降りたことは許してやる」
「まだ許してくれてなかったんですね…」
秋山は後ろ手にひらひらと手を振りながら、従業員通路に消えて行った。
「……よし」
勇一の目が黄金色の輝きを放つ。
(……絶対に見つけ出す)
勇一の思念感知と探知スキルが、逃げ隠れる犯人を追って放たれた__。
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