間話 田舎の夏
「歩!!そっち持っててくれ!!」
「あいよ!」
県北部の咲作市。
山間に位置する八滝集落旧小学校跡のグラウンドは、夏祭りの準備でにぎわっていた。
普段人が少ないこの集落も、八月の帰省時期には虫取り網を持って走る子供たちの姿が見られるようになる。
配属二年目の巡査、谷口歩はやぐら組みに駆り出され、村の男衆と共に重い鉄骨を運んでいる所だ。
グラウンド内には、少数だが軽食の屋台も設営されている。
「はいはい、みんなそろそろ一休みしなさいな!熱中症になるよ!」
冷たいラムネが入ったバケツを持ってきたのは、集落婦人会のリーダー的存在である前田佳代。
「おぉ!こりゃありがてぇ!!」
設営隊は手を止め、佳代が地面に置いたバケツに群がった。
「歩、ほれ」
「ん、ありがとう」
佳代の旦那、通称前田のじーさんからラムネを受け取り、喉を鳴らす。
「あぁぁ、酒より美味ぇ…」
灼熱のグラウンドで、キンキンに冷えたラムネが体に沁み渡る。
「準備はこんなもんだな。歩、ご苦労さん」
準備がひと段落付いたため、各々畑仕事等に戻っていく。
谷口も駐在所へ一旦戻ることにしてバイクを走らせた。
すると、駐在所への道の途中で軽自動車が前輪を溝に落として停車しているのを見つけた。
溜まった落ち葉などで溝が見えなかったのだろう。
「こんにちは。脱輪ですか?お怪我はないですか?」
バイクを停めて運転席をノックすると、運転手は若い女性だった。
「よ、良かったぁ。電波が通じなくて、どうしようかと…」
脱輪したがどこにも連絡ができず途方に暮れていたところ、偶然谷口が通りかかったようだ。
「お怪我はなさそうでなによりです。うーん、このくらいなら…行けるか?」
谷口は落ちている前輪付近の落ち葉を取り払い、備え付けのジャッキをわずかに残った隙間から滑り込ませると、少しだけ前輪を持ち上げる。
そして、反対側の斜面に落ちている木の枝や丸太を拾ってきては前輪の下に敷き詰め、ついに前輪に届く高さまで積みあがった。
運転手の女性は運転席から降り、テキパキと動く谷口を見ている。
「ふぅ…。これでヨシ」
そして、慎重にジャッキを緩めると、パキパキと音を立てながら前輪が枝の上に乗った。
「車動かしても良いですか?」
「えっ、はい。どうぞ!」
谷口は運転席に座ると、ハンドルを右へ一杯にし、ゆっくりとアクセルを踏む。
「…!すごい!!」
すると、前輪が溝を乗り越えて道に戻った。
「下側にちょっと傷が入ってるけど、問題なく走れると思います!」
下回りもチェックした谷口が笑顔で女性に伝える。
「あああ、ありがとうございます!!えと、おいくらお支払いすれば良いですか?!」
女性は鞄から財布を取り出し、谷口にお金を渡そうとする。
「あはは!お金はいらないですよ!何事もなさそうでよかった。それでは」
その様子が面白くて、谷口は大笑い。
そして、サッと敬礼をしてバイクで走り去った。
「…今のは、ここの駐在さん?」
___
「シゲさんすんません。脱輪してる車を助けてたら遅くなりました」
「別にいいけど、何そのベタな言い訳」
駐在所のカウンターで新聞を読んでいるのはもう一人の駐在員、山下重敏。
二人はこの駐在所で共同生活をしている。
「マジっすよ。小学校から帰る途中で軽四が溝に落ちてたっす」
「へぇ、帰省してきた人かな?」
「県外ナンバーだったんで、そうでしょうね」
話をしながら、谷口はシャワーを浴びるために服を脱ぎ始める。
「あ!僕の洗濯物もカゴに入ってるから一緒に回して!」
「うーい」
階級で言うと、巡査と警部補。
二人の間にはかなりの隔たりがあるが、二年弱を共に過ごしているから、まるで親子のように親しい。
「シゲさん!!シャンプーとか使い切ったら補充しろっていつも言ってるでしょうが!!!」
「予備を浴室内に置いてたでしょ!!僕は使う量少ないんだから、減ってきたところで歩が入れてよ!!」
そう。
親子のように親しい。
_____
事務仕事をしていると、駐在所の前を通り過ぎて行く浴衣姿の人達がちらほらと見え始めた。
「歩、そろそろ行こうか」
小さい祭りとはいえ、トラブルが起きないとは限らない。
二人とも会場警備を行うため、戸締まりをして徒歩で会場に向かう。
会場は、多くの人でにぎわっていた。
恐らく年間を通して最もこの集落に人が集まる日だ。
集落の年寄連中はみな、孫やひ孫に手を引かれて顔を綻ばせている。
会場を巡回していると、「氷」と書かれた発泡スチロール容器を山積みにしたリアカーを引く前田の姿が谷口の目に留まった。
汗を拭きながら、坂道をゆっくりと登ってきている。
「じーさん、代わるよ」
見かねた谷口がリアカーのハンドルを握った。
「おぉ、歩。助かる…」
前田は素直に谷口にハンドルを譲ると、自分は後ろに回って押し始めた。
「じーさんも年なんだからあんま無茶したら駄目よ?」
「ははは。まだ元気なんだが、こう暑くちゃなぁ」
どうもこの人、二キロほど離れた商店からこの氷を引っ張って来たらしい。
人通りが多くて、車の運転が不安だったからリアカーで。
「全く…無茶するよほんとに。そういえば、じーさんとこは誰か帰ってきてんの?」
「ん?あぁ、孫が一人で来てるんだが、ばあさんが浴衣を着せるとか何とか言って部屋に篭っちまってな」
去年の祭りは特に誰も帰ってきている様子はなかったが、どうやら孫がいたらしい。
佳代さんが浴衣を着させているということは、
「孫娘か…」
「おう。お前にならやってもいいぞ」
「誰がもらうか!」
二人が押すリアカーはようやく坂を上り切り、各屋台に氷を配ることができた。
「ふぅ、助かったよほんと。なんか食うか?」
「や、一応仕事中だから、気持ちだけもらっとくよ」
「お堅いねぇ警察官って奴は…」
昔は駐在員も一緒になって飲み食いしていたそうだが、今そんなことをしていたら一発で首が飛ぶ可能性もある。
「時代だよ、時代」
「何が時代だ。若造が生意気な」
SNSという監視の目もあるため、その辺は気を付けなければならない。
「おじいちゃん!」
「!」
二人で汗をぬぐっていると、誰かを呼ぶ声に前田が反応した。
例の孫娘とやらだろう。
「梨花!おぉ、よく似合ってるじゃないか」
「いっ!?」
声のした方を向くと、佳代と並んで駆け寄ってくる浴衣姿の女性。
まぎれもなく、あの脱輪していた車の運転手だ。
「あっ…!」
向こうもどうやら気付いたらしい。
「歩。紹介するよ。孫の梨「あの!先ほどはありがとうございました!!」
前田の紹介を遮って、梨花は谷口に深く頭を下げた。
「お?なんだなんだ?」
「梨花ちゃんを助けてくれた警察官って、やっぱり歩君だったのね!ありがとありがと!」
「痛い!佳代さん痛い!」
遅れて駆け寄ってきた佳代が、礼を言いながら谷口の肩をバシバシと叩く。
前田梨花。
私立咲作大学の三年生で、実家は県外だが、市内で一人暮らしをしているらしい。
さほど遠いわけではないので、この祖父母宅にちょくちょく遊びに来ているようだ。
「まさか前田のじ…前田さんのお孫さんとは。車は大丈夫でしたか?」
「はい!ちゃんと動きました!」
こうして無事お祭りに参加できていることから、大事に至らなくてよかったと、谷口はホッとした。
「安心しました。お祭り楽しんでくださいね」
これ以上は家族の時間に水を差すだけだと思い、その場を離れようとした。
「あのっ、お名前を…」
そんな谷口を、梨花が引き留めた。
「あ、あぁ、失礼しました。八滝駐在所の谷口です。前田さんにはいつもお世話になっています」
谷口は丁寧に名乗ると、踵を返して会場巡回に戻っていった。
「谷口…歩さん」
後ろ姿を見送りながら、梨花はぽつりとつぶやいた。
「…ありゃ相当緊張してやがったな」
「歩君も可愛いところあるじゃないの」
老夫婦の会話は若い二人に届かず、祭りの雑踏に消えていった。
___
『まもなく盆踊りが始まりますので、皆様どうぞやぐらの周りにお集まりください』
祭りのクライマックスを告げるアナウンスが流れた。
ぞろぞろと真ん中に集まっていく群衆を眺めながら、谷口の鼓動は未だ少し早かった。
(いや、前田のじーさんの孫、めっちゃタイプ…!)
どうやら梨花は、小動物系の女性が好みの谷口に直球ど真ん中を叩きこんできたらしい。
最初に遭遇した時も少し思っていたが、あの時は職務最優先だったため、若干フィルターがかかっていた。
(いきなり浴衣姿は反則だろ。緊張で何も喋れなかった。変なこと言ってないよな?俺)
この顔の熱さはきっと夏の暑さのせいだ。
そう思い込ませようとするも、梨花の姿が頭から離れない。
「くっそ。こんな事初めてだ…」
概ね参加者たちがやぐらの周辺に集まったところで、手招きしている山下が見えた。
「シゲさん。なんですか?」
「僕たちも一緒に踊ろう」
「えっ」
ぐい。と山下に手を引かれ、谷口も盆踊りの輪に加わった。
「え、あの、仕事中」
「いいのいいの。住民との交流。これも立派な仕事さ」
そう言うと、山下は楽しそうに手を振って踊り始めた。
谷口も見よう見まねで、踊ってみる。
視界の端に、祖父母と楽しそうに踊る梨花の姿が映り、また心臓が跳ねた。
「歩。実は近くにまだ蛍が見れる小川があるんだ」
「……何の話っすか?」
「これが終わったら僕らも終業だからさ、行っておいでよ」
山下は、梨花の方を視線で指し、にやりと笑った。
「いやっ!?…なんっ?!」
ボッっと谷口の顔が赤くなる。
「田舎駐在と言っても、あんまりベテラン警部補を舐めないことだね」
「シゲさぁん…勘弁してくださいよもぉ…」
巡回中も、チラチラと無意識に梨花を目で追ってしまっていたようだ。
この観察力。
のほほんとしているが、やはり山下も警察官ということだ。
「漢見せろよ、歩」
グッとサムズアップしてからは、黙って踊り続ける山下。
「はぁぁぁぁ…マジかぁ……」
このままずっと終わらなければ良いのに。
という谷口の願いむなしく、盆踊りは終わりを迎えた。
田舎の夏。
虫の声と、樹液の匂い。
満天の星空。
人々の笑い声とともに、夜は更けて行く。
前田梨花 二十一歳
幼児教育学科で勉強中。




