31話 海魔将
四人が食事を楽しんでいた居酒屋の前には、幹線道路を挟んで海水浴場が続いている。
その砂浜で、海の方を見ながら勇一とシノアは並び立っていた。
「やはりシノアも感じたか?」
「あれほど濃い魔力波は流石にね」
あの瞬間、二人に恐ろしく濃密な魔力波が届いた。
しかも、それは紛れもなく<時空間魔法>によるもの。
シノアが目の前にいることこそが、それ以外の何者かがこの世界に干渉してきている証拠に他ならない。
そして、それは突如として顕現した。
月に照らされた海面上。
氷が割れるような音と共に、空間に亀裂が走った。
周囲には海を眺めているカップルが数多くいるが、当然あの亀裂は見えていない。
このままでは、大勢の人が危険に晒される可能性がある。
(しかし、こんなのどうやって伝えたら…!)
「__傀儡の鉄鎖」
勇一が考えあぐねていると、シノアが魔法を展開した。
彼女を中心に漆黒の鎖が四方八方に駆け巡り、周囲の人々に巻き付き霧散する。
すると、まるで何かに操られているかのように、皆ふらふらと砂浜を離れていった。
(あぁ…この魔法は…)
かつて魔王サザナと対峙してきた中で、厄介だった魔法トップ5に入る。
倒したはずの敵が動き出し、再び攻撃を仕掛けてくるのだ。
しかも対象を破壊するか術者が解除しない限り、動き続ける。
「まさかその魔法に助けられるとはな」
「物は使いよう、ってとこだ」
何にせよ、おかげで砂浜や周辺から人影はなくなった。
改めて二人は、正面で広がり続けている空間の亀裂に目を向けた。
亀裂の広がりが収まったところで、ズルリと巨大な影が海面に向けて滑り落ち、落下に伴って生じた波が砂浜に押し寄せる。
更に、小さな影が後に続くようにいくつも落ちてきた。
カエルとアンコウを足して二で割ったような風貌で二足歩行の異形。
かつて暮らしていたあの世界で、初級冒険者の経験値稼ぎにうってつけだった魔物。
数百のメコダッチの群れが、砂浜に向け泳いでくる。
徐々に、あの独特な臭気も漂ってきた。
メコダッチの後ろにはクジラのような巨大な魔物が控えており、頭部には人影。
近づくにつれ、その姿が徐々に鮮明になってきた。
真っ黒な長髪に、一束入ったブルーのメッシュが目立つ長身の男。
肌は透き通るように白く、尖った両耳が人間のそれとは違うことを静かに主張する。
「カファル……!」
シノアが苦虫を噛み潰したような表情で彼の名を呟いた。
その声が聞こえたのか、男が手に持っている杖をトンと軽く鳴らすと、メコダッチたちは動きを止め、こちらの様子を伺うように立ち尽くした。
「懐かしい魔力を辿って遠路はるばるきてみたら、先程の魔法。どうやらアタリだったみたいですねぇ。私の知っているお姿とはずいぶんかけ離れていますが」
穏やかだが、威圧感のある凛とした声。
勇一の額に一筋の冷や汗が流れる。
魔王軍と何年も戦っていたが、見たことがない魔族だ。
(なんだこの威圧感は。これじゃまるで…)
魔王と変わらないじゃないか。
と、思った瞬間。
ふわり。
と、魔族の男はメコダッチたちの少し前の砂浜に降り立った。
「カファル!!何をしに来た!」
「何を、ですか。これは面白いことをお聞きになられますね魔王様」
シノアの問いにカファルは口元に手を当てて上品に笑っているが、口角は気味が悪いほどにぐにゃりと上がっている。
「あぁ……これは失礼」
「…?」
カファルは一層醜悪な笑みを浮かべる。
「元魔王でしたねぇ」
「貴様っ…!」
なるほど、これが以前シノアが言っていた魔族のならわしというやつだろう。
下は常に上の寝首を掻く機会を伺っているというわけだ。
「もちろん、貴女が討たれたと聞いたとき、それはそれは驚きましたとも。先代を上回る魔力量を持ち、強力な数多の魔法も一級品。あの魔王サザナ様がまさか討たれようとは…!」
大仰に身振り手振りを交えながら、カファルは語り始める。
「あぁ…サザナ様が討たれてしまった。これで、これで……」
顔を覆う手の指の間から見えている目は、嗤いで弧を描いている。
「これで、弱腰魔王の統治がようやく終わるとね…!!!」
「ッ……!!」
シノアはカファルのその言葉に、爪が食い込んで血がにじむほどこぶしを握り締めた。
勇一にとっても聞きたくない言葉だった。
「終わって……いないのか?」
「んん?おやおやおやおや。これはこれは。貴方は…なんと、人間ですか」
口をはさんだ勇一の方へグルリと顔を向け、品定めをするようにジロジロと視線を投げかけてくる。
「質問に応えろ…。魔王が討たれた後、世界はどうなったんだ?」
「口の利き方に気をつけろ下等種。ふん、まぁ良い。今夜は気分が良いから教えてやろう」
シノアに対する丁寧な口調とはうって変わり、高圧的な態度で勇一に対面したカファル。
「都合よく勇者が相討ちになったからなぁ、ずいぶんと楽だったよ。サザナも最後の最後に、ようやく役に立ってくれた」
そこまで聞けば、十分だった。
「カファル……。貴様の魔力では時空間魔法など扱えないはずだ。どうやって、ここまで来た…?」
シノアの声は震えている。
「あぁ、魔力ですか。えぇーと、そうですね、人間を一万匹ほど使ったら十分でしたよ」
カファルはにこやかに、実に明るくあっさりと言い放った。
「いち……まん、にん……」
血の気が引いた。
「シノア…アレは、何者だ?」
「海魔将カファル。私の指揮下に入っていない軍団の将軍だ。普段表に出てくることはほとんどないから、勇一は対峙したことはないと思う」
魔王軍には魔王が直接指揮する本隊の他に、各属性に秀でた魔力を持った魔将が統べる軍団があるらしい。
それぞれの魔将は、本隊で魔王の直下に君臨していた四天王を上回るほどの力を有している。
そして、その魔将が率いる軍団は各々自由に行動しており、本隊がピンチだからといって援軍には来ないし、求めに応じることもほぼない。
便宜上、魔王をトップとして統治下には入っているが、「国王と領主」というよりも、「他国の国王同士」という関係に近い。
つまり、隙あらば王座を狙っている連中というわけだ。
「そうか……俺は、何も知らなかったのか」
こんな連中を野放しにしていたなんて。
大将首を取れば終わると思っていたなんて。
自分の命と引き換えに世界に平和をもたらしたなんて。
勘違いも甚だしい。
それに__
「弱腰魔王とはどういうことだ…?」
勇一は再びカファルに問う。
「言葉の通りだ。人間どもの王国の一つや二つ、簡単に葬れる魔力を持ちながら、不殺だ、外交だ、話し合いで解決だ。などと甘っちょろいことを。そんな者に我々魔将が従うとでも思っているのか」
この世界でシノアと遭遇して以来、勇一が抱いていた違和感の正体は、どうやらこれだったらしい。
唇を噛みしめ、悔しさに震えてうつむいているシノアに顔を向けると、それに気づいたシノアと視線が交ざる。
「こっちが本当のお前だったんだな」
「………っ」
左右で異なる色の大きな瞳が、ジワリと潤む。
事故そのものではなく、渋滞を発生させるショボい呪文。
全額ではなく、ちょっとだけおつりをくすねるみみっちい転移魔方陣。
ホームレスの男性に感謝し、庇う。
いたずらを仕掛けた時の笑顔。
初めての酒に酔いつぶれた姿___
それらは全て本当のシノア。
彼女自身、ただの可愛らしい魔族の女の子だ。
漆黒の鎧にその姿を塗りつぶされ、口調を変え、人類に仇なす宿敵として魔法を振るったあの姿こそが偽りなのだ。
勇一の瞳が、黄金色の輝きを放ち始める。
さらに、体内で渦巻いていた魔力が、白く輝き可視化されるほど濃密に練り上げられ、勇一の身体を包み込んだ。
「これは……聖気?!お前、ただの人間じゃないな?」
カファルは、突然目の前の人物から膨大な魔力が放出されたのを見ると、警戒するように身構えた。
「俺は……」
勇一は、シノアの肩を軽くポンと叩くと、一歩前に出た。
「魔王と相討ちになった勇者だ……!」
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次回 海魔将vs勇者
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