27話 思い出
『うぁぁぁぁ!!私も連れて行けぇぇぇぇ!!』
「だから無理だって何度も言ってるだろ…」
六畳一間のワンルーム。
部屋の真ん中で転げまわる黒猫を、カバンに荷物を詰めながらあきれ顔で勇一が宥めている。
明日から勇一達地域課員半数と生活安全課員半数の約四十人に加え、他署交流で参加する十人は、数年に一度の署員旅行で二泊三日の沖縄の旅に出る。
そして、三日間のお留守番を宣告されたシノアが、自分も連れて行けと全力で駄々をこねているという構図だ。
「だいたい、団体行動で猫を連れて歩くのは無理だ。あきらめろ」
『猫じゃなければ良いのか?』
「何を言って…」
勇一が言い終わる前に、
「ボフ!」と音を立ててシノアが黒い霧に包まれる。
また一糸纏わぬ姿で出てくるのではないかと目を背けた勇一だったが、霧が晴れて目の前にいたのは人間の姿ではなく黒っぽいヤモリのような爬虫類だった。
『これでどうだ!?胸ポケットに入ってたら大丈夫だろ!』
ファッション誌の上で、何か小さいのが腰に手を当ててふんぞり返っている。
「そんな姿にもなれるんだな」
『爬虫類姿は魔族の学校で必修だから、魔族なら誰でもなれるぞ!他は自分の好きな姿を練習してってとこかな。ちなみに私はあと二種類変身を残している』
ヤモリシノアは得意げに、小さい手で二本指を作って見せた。
そして懇願するような目で勇一をじっと見つめる。
「はぁ……………。向こうではずっとその姿でいるんだぞ」
ついに観念した勇一は、両手を挙げて降参のポーズをとる。
『やった!!勇一大好き!!!』
大きさからは想像できないほどの跳躍で顔面に飛び掛かってきたシノアをひょいと避けると、勢いそのままに窓にベチと衝突して落下した。
『なんで避けるのさ!!!』
「トカゲは苦手なんだよ」
『この高貴な姿をトカゲだと!?訂正しろ!取り消せ!』
ギャーギャーとわめきながら足元にまとわりついてくる。
心底鬱陶しそうに勇一が足で払うと『あぁっ』と、部屋の隅に飛んで行った。
「…いいか、絶対にその姿をキープしろ。わかったか。守らなかったら沖縄の海に捨てて帰るからな」
『あい……』
勇一の背筋が凍り付くほどの冷たい声音に、鼻の頭を押さえながら弱々しく返事をする。
「はぁ………」
(何事もなければ良いんだけど…)
一抹の不安を抱えながらも、沖縄行きの便は朝イチしかなく集合時間が早いため、シノアが猫の姿に戻り丸くなったのを確認すると、早々に眠りについた。
___
翌朝。
笹野瀬梅太郎空港に集合した一行はつつがなく荷物預けと保安検査を終え、出発ロビーで搭乗時刻を待っていた。
勇一は白いワイシャツとスラックスで行こうとしたが、先日無理やり秋山にショッピングに連れていかれて全身コーディネートされたため、いつもよりお洒落な服装だ。
月桂樹のブランドマークがあしらわれているポロシャツの胸ポケットには、ヤモリ姿のシノアを忍ばせている。
こちらも発見されることなく通過できた。
ロビーのベンチでは売店で買ったビールを片手に談笑している者も数名いる。
日頃は職務規定にがんじがらめにされ、常に一般市民の視線を意識して過ごしているが、この日は少しだけ仕事のことを忘れて魂の開放を各々楽しんでいるようだ。
ほどなくして登場開始のアナウンスがなされ、乗り込む。
『勇一勇一。こんなものが本当に飛ぶのか?飛行術式が組まれていないぞ』
座席についてシートベルトを締めたタイミングで、胸ポケットからシノアがこそこそと話しかけてきた。
「(俺も初めてなんだ。飛行術式どころか防護障壁すらもない。なんて無防備な…)」
『周りを見てみろ。みんな落ち着いてるけど、不安じゃないのか?』
勇一が探知スキルを展開してみると、乗客は約160名ほど。
二~三人程から不安や恐怖の感情が読み取れたが、その他大勢の抱いている感情は「楽しみ」だった。
「(どうやら楽しみを感じている人が大半のようだ)」
『楽しみ?!一体こいつらの頭はどうなってるんだ…』
「(まぁ、俺たち二人がいればこの機体が何者かに攻撃されても守れるだろう。気を抜くなよ)」
『あぁ、わかった』
二人で謎の取り決めを結んだ直後、機体がゆっくりと駐機場を離れ始める。
滑走路まではさほど離れていないため、すぐに離陸待機位置まで到着する。
<皆様、離陸いたします。改めてシートベルトのご確認をお願いします>
アナウンスの直後、エンジンが唸りを上げ、ガタガタと振動が伝わってくる。
『お、おぉぉ…』
ブレーキが解放され、一気に加速。
同時に正面からのGで座席に押さえつけられる。
胸ポケットも押し付けられて、ヤモリのシルエットがくっきりと浮かんでいる。
ふわり。
十秒か二十秒ほどだろうか。
滑走路を疾走した飛行機が地面を離れ、空に舞い上がる。
『すごい!飛行術式を使わずに本当に飛んだぞ!』
「(なるほど、横に生えている長い板が空気を捉えて浮き上がっているんだな)」
勇一の目には翼の上下を流れる空気の動きが見えている。
これがあれば元の世界でもっと手軽に長距離の移動ができただろうに。
などと、ふと魔王討伐の旅路を思い出す。
あの世界にも飛行船は当然あった。
しかし、それは非常に高度な飛行術式を組み込んで飛行する代物だったため、一般庶民が乗船するなど夢のまた夢。
貴族ですら馬車で陸路や、船で海路を行く場合がほとんどだ。
もちろん勇一は乗ったことはないし、シノアもこの反応を見るに初めての経験だろう。
シノアは胸ポケットからわずかに顔を出し、窓から見える景色に目を輝かせている。
しかし、魔王を討伐するために、あの長旅を徒歩や馬車でしていたのだなと思うと、今の状況が面白くてつい笑ってしまいそうになる。
(なんで魔王が胸ポケットにいるんだろう…)
窓の外に目をやり、ぼんやりと人のめぐりあわせについて考えながら、那覇空港に到着するまで、流れて行く外の景色を眺め続けていた。
___
「暑い!!!!!!!」
刺すような日差しを浴び、秋山が悲鳴を上げた。
那覇空港ターミナルからバス乗り場に出た一行を亜熱帯の気温が包む。
笹野瀬市は夜に涼しさを感じる日もあるというのに、さすがは南の島だ。
まだ海水浴も楽しめるようで、飛行機から見えた砂浜にはビーチパラソルがいくつも見えた。
宿泊先のホテルには宿泊者専用のプライベートビーチもあり、それを楽しみにしているメンバーもいるだろう。
女性署員たちが日焼け止めがどうとか、水着がどうのという話で盛りあがっている。
バスに乗り三十分ほど走ると、海側の席に座っている面々から「わぁっ」と声が上がる。
窓の外には、笹野瀬港とはまるで違う色の海が広がっていた。
『こんな綺麗な海、初めて見た…』
恐らくおどろおどろしい色の海しか見たことがなかったであろうシノアは、わめくでも歓声を上げるでもなく、ヤモリ姿だから表情はわからないが、何か物思いにふけっているような、そんな雰囲気でキラキラと太陽光を反射する海を眺めていた。
『私も普通に産まれていたら、こんな海を見れたのだろうか』
海を見たまま、ポツリとつぶやいた。
「(少なくとも、人として産まれた俺が見たことのある海は、こんなに綺麗ではなかったかな。あぁ、お前のせいと言いたいわけじゃないぞ?)」
瘴気に毒され、異形の魔物が泳ぎ回る海で海水浴をしようなどという酔狂な人物はいなかった。
いやそもそも、海水浴という概念すらなかったかもしれない。
『そうか……。今、どうなってるんだろうな』
「(さぁな)」
少ししんみりした空気が二人の間に流れ始めた時、バスが最初の目的地に到着した。
この島には、かつて戦火によっておびただしい数の島民が犠牲になった暗い過去がある。
今回、幼い頃に戦火を生き延びた人から話を聴くというプログラムが設定されており、ホテルに向かう前に当時住民たちが避難のために身を寄せた「ガマ」と呼ばれる洞窟を訪れた。
案内人は齢九十歳を迎える老翁とツアー会社の男性の二人。
翁は知名武二郎と名乗った。
渡されたヘルメットを被り、指示に従って足を踏み入れる。
「『??!!』」ゾワッ
「(これは…)」
『何とも……』
大きく開いた入口から一歩足を踏み入れた瞬間に、背筋が凍るほどの残留思念が流れ込んでくる。
悲しみ、怒り、苦痛、恐怖、憎しみ。
「おぇっ……」
一人の若い巡査は嗚咽が止まらなくなっている。
探知スキルを持たない一般人でも感じるほど、ありとあらゆる負の感情が一行に重くのしかかった。
「気分が悪くなった方は無理をせずに外の空気を吸いに行ってください。ここは、そういう場所です」
入り口から十メートルほど進み、少し天井が高くなった場所で立ち止まった翁が優しい口調で促す。
その言葉に従い、彼を含む四人が入口へ引き返して行った。
そのタイミングを見計らい、再び翁が口を開く。
「私の家族は、ここで死にました__」
およそ三十分程だろうか。
翁はゆっくりと噛み締めるように自らの体験を語った。
当時わずか九歳。
幼い子供が経験するにはあまりにも重すぎる過去だった。
(平和に見えていたが、この世界にも国同士の争いがあるのだな)
わずか八十年前。
この美しい国で恐ろしい悲劇が起きていた。
当時を知る人も高齢となり、年々その生涯を終え、数を減らしていっている。
「__そうして、私は今ここで生きているのです。母と姉が、命を…命を賭して私を守ってくれたのです…」
翁の話が終わる。
最後は涙を浮かべながらの話で、我々の中にもハンカチで目元を拭う仕草をするものが何人もいた。
翁は、母と七歳年上の姉と三人でこの洞窟に身を潜めていた。
他にも大勢の島民や兵士が身を寄せていたらしい。
そしてある日、敵兵が投げ込んだ爆弾から守るために母と姉が少年に覆い被さり、爆風に晒された二人は命を落とした。
(そうか、負の感情の他に僅かに混ざっているこの想いは、愛か……)
そう気づいた瞬間、ふわりと優しい風が勇一の前髪を揺らした。
「!」
風が吹いてきた方を見ると、優しく微笑みを浮かべ、翁に寄り添うように立つ二人の女性の姿がはっきりと目に映った。
翁の語りを頷きながら聴いているように見える。
「あの時はまだ私は幼かったものでして、母と姉の形見を持ち帰ることができなかったのです。何度も探しにきましたが見つけられず、こんなお爺さんになってしまいました。それが心残りです」
その言葉を聞いた二人は、袖を引っ張るような仕草をし、必死で奥の方を指さしている。
当然翁には見えないし、腕を引っ張られている感触もないだろう。
だが、何かを訴えている二人を勇一の目ははっきりと捉えていた。
口元は「武二郎!」と、名を呼ぶように動いている。
「では、外に出ましょう__」
「待ってください!」
「?」
外に出るよう促した翁を勇一が制止した。
周りの一同も少しざわつく。
「どうされました?」
「知名さん。貴方はこの洞窟の、どこにいたのですか?」
「どこって……そこですが」
勇一の問いの意味を掴みきれぬまま、翁は少し奥の壁際の地面を指差す。
すると、母親と姉と思しき二人が「違ーう!」と言わんばかりに首をブンブンと振り、別の場所を指し示している。
「いいえ、違います」
「な、何を言って…」
勇一の言葉の意味がわからず戸惑う翁に構わず、翁が示した場所とは反対側の壁際に向かい、地面を指差す。
「ここを、掘ってみてください」
「し、しかし………。いえ、わかりました。良いですか?」
翁がツアー会社の男性に一声かけると、男性は黙って頷いた。
それを見た翁が、勇一が示した地面を手で掘る。
意外と柔らかく、すんなりと掘れている。
二十センチほど掘ったところで、何かが指に触れた。
「…!!」
土の中から出てきたのは、赤い小さな布切れだった。
よく見ると桜柄が刺繍されているようだ。
「これは…。姉の、姉の下駄の鼻緒です…!!」
曰く、当時姉が履いていた薩摩下駄に母が刺繍した鼻緒を付けており、洞窟に避難する時は下駄から外して運動靴を留めるために使っていたそうだ。
鼻緒をギュッと握りおでこに当て、しばらく瞑目したのち、翁は鼻を啜りながら再び掘り始めた。
そしてすぐ、また何かを見つけた。
翁が拾い上げたのは、カバーが割れた腕時計。
国民学校の教師だった母親は、当時の女性としては珍しく時計をいつも身につけていたらしい。
「母ちゃん……。そうか、逆だったのか…どうりで見つからないわけだ…」
時計と鼻緒をそっと地面に並べて置き、手を付いて顔を近づける。
「姉ちゃん……母ちゃん……ありがとう、ありがとう……」
翁の目から涙が溢れ、地面にいくつものシミを作った。
当の2人は笑いながら背中をさすっている。
長い時を経て、ようやく再開できたようだ。
警察官一同も涙腺が崩壊しており、秋山に至っては「ちょっと無理」とハンカチで目を押さえながら出て行ってしまった。
「失礼、お見苦しいところをお見せしました。あの、お若い方。お名前を是非」
十分ほどだろうか。
ひとしきり涙を流した翁が勇一の方へ向き直った。
「紺野勇一と申します。お母様とお姉様は、何と言うか、スマートでかっこいい女性ですね。洋服が良く似合っています」
洞窟の奥を見ながらそう返答した勇一に、翁は目をまん丸にして驚いたが、すぐに優しい微笑みに戻り、静かに頷いた。
そして、そのやりとりが終わった直後、母親と姉の身体がキラキラと流れる星のように空へと少しずつ舞い上がり始めた。
<武二郎!!>
「!!!」
姉の声が届いたのだろうか。
翁はバッ!と後方に振り返ったが、何も見えなかったようだ。
しかし、懐かしむような、愛しむような表情で、二人の姿が消えるまで虚空を眺め続けていた__
____
「あーーーもうほんと、泣かせすぎだよ紺野君」
「痛いんですけど」
場面は再びバスの中。
何故か隣に座ってきた陽菜にバンバンと肩を叩かれ、勇一は実にウザそうに窓の外を眺めている。
陽菜の目元は真っ赤になっており、いつもより丁寧に仕上げている化粧が少し崩れてしまっていた。
「でも、よくあそこに遺品が埋まってるってわかったね。霊感あるの?」
「霊感、というものはよくわかりませんが、まぁそうですね。色々見えました」
「えっ」
それ絶対霊感あるやつじゃん。
と、勇一の隣を選んでしまったことを陽菜は少し後悔する。
「まぁ……でも良かったね、おじいちゃん。お母さんとお姉さんの遺品が見つかって」
「えぇ、これで悔いを残さず余生を楽しめると思います」
「そうだね」
最初に出会った時の翁は優しさも有れど、とにかく重苦しい分に気を身に纏っていたが、別れの時には憑き物が落ちたような、幾分か晴れやかな表情をしていた。
あの大戦を生き延びた人たちの中には「自分だけ生き残った」という、ある種の呪いのような思いに苛まれている人が少なくない。
彼もきっとその一人だったのだろう。
「悲しみは消えないけど、思い出が帰ってきた…というところでしょうか」
「おっ、いいこと言うね。今夜ホテルのラウンジで一杯おごってあげようか?」
「…遠慮しておきます」
なんでだよ!!と吠える陽菜を無視し、シートに体重を預けて目を閉じる。
「(おい)」
『……なんでしょう?』
洞窟に入ったあたりから、胸ポケットにいるヤモリがやたら静かなのが良い加減気になり声をかけると、謎にぎこちない声が返ってきた。
「(何かあったのか?まさかアンデットが怖いとか言わないよな魔王の癖に)」
『違うわ!……あの洞窟に入ってから魔力がとんでもなく回復して…その、あの老人の体験を聞きながら魔力がグングン回復していくのが、なんとなく気まずかったというか、なんというか…』
シノアはごにょごにょと消え入りそうな声で言う。
あの洞窟の中には、八十年を経てもなお濃密な負の感情が漂っていた。
負の感情を魔力に変換する魔族にとって、この世界では絶好の魔力回復スポットだっただろう。
「(なんだ、そんなことを気にしていたのか)」
『そりゃ…私だって冷徹無情なわけではないし…』
「(と、思っていたけどなぁ)」
『ぐっ…』
しばらく過ごすうちに、勇一が思ったことがある。
こいつは本当にあの魔王サザナなのか?と。
強大な魔法で住民もろとも街を一つ消し飛ばすこともあった冷酷な魔王。
だが、近くで見ているとどうも考えとか行動が人間臭いというか、あの姿とリンクしない。
(___まさか、な)
シノアは魔力が全回復したのに、気まずさが勝って居心地が悪そうにポケットの中で丸くなっている。
今後チャンスがあれば、頭の端っこに引っかかった違和感の正体を探りたい。
勇一の中で解き明かすべき事象がもう一つ増えた。
(紺野勇一、シノア。お前たちは一体何に巻き込まれてるんだ…?)
西日に照らされ、オレンジ色に輝いているホテルが見えてきた。
勇一は思考を切り替える。
違和感のことはしばし忘れて、せっかくの旅行を楽しもう。
(シノアも少しは元の姿に戻らせてあげようか…)
どことなくしょんぼりしている相方。
口には出さないが、少しは元気になってくれると良いのだが。
バスは一本道をひた走る__
_______
皆さん飛行機は平気ですか?
私は超苦手です。
通路側の席でずっと寝ています。
以前、沖縄に行った時にガマに入る機会がありまして、一歩入った瞬間に本当に空気が変わるのを感じました。
体験談を聞けるうちにもう一度行きたいなと思っています。




