25話 警察猫?
翌朝。
独身寮から中央署に向かう一台の自転車。
しわ一つないワイシャツ姿の男が漕ぐ自転車のカゴには一匹の黒猫。
『おい勇一。この荷馬車以下の乗り心地は何とかならないか?』
路面の凹凸に合わせてカゴはがたがたと揺れ、猫の身体は微振動しながらゆさゆさと左右に振れている。
「市民の大切な税金で支給された自転車を荷馬車以下とは失礼な。気に入らないなら走ってついてくるか?」
『…いや、大丈夫』
流石に勇一の漕ぐ自転車についていくのは骨が折れる。
あきらめたように耳を折り、静かになった。
ほどなくして自転車は中央署の駐輪場に到着。
黒猫はカゴからひらりと躍り出ると、ぐいーと伸びをする。
『勇一、どこで待ってたらいい?』
「許可は取ってるから、一緒に来い」
余談だが、中央署の浅沼署長は大の猫好きだ。
自宅で三匹猫を飼っており、デスクの私物も何となく猫のシルエットが多い。
スタジアム警備後に猫を保護した旨、寮に連れて帰りたい旨を相談した際、あっさりと許可が下りたのはそのおかげかもしれない。
加えて、日中の面倒を見切れない旨も、
「連れて来れば?駅前交番に猫アレルギーの署員いないでしょ?」
という浅沼の一言で解決。
この短いやり取りの末、こうして猫を中央署に連れてくることが出来るようになった。
通路を歩く勇一の後ろを、黒猫がお行儀よく付いてくる。
署長が猫好きということもあってか、一部のアレルギーを持っている職員を除き、署内のほぼ全員が猫に対して非常に寛容だ。
特に女性職員にとっては、比較的容姿が整った勇一の後ろを猫がついて歩いている光景は、実に眼福だったことであろう。
ロッカールームに至るまでの間にすれ違った警察官は、一様に朗らかな笑みを黒猫に向けていた。
「秋山さん、おはようございます」
「おはよう。おぉなんだ、連れてきたのか」
既に着替え終わっていた秋山もまた、身をかがめて黒猫に手を差し出すが、警戒するように勇一の足の陰に隠れてしまった。
「あらら、恥ずかしいのか?」
「撫でられるのはあまり好かないようです」
少し残念そうな表情を浮かべたが、勇一が着替え終わるのを待ちながら黒猫を眺めている。
秋山もまた猫が好きなようだ。
「名前はつけたのか?」
「ただの黒猫で…イタッ!!」
話し終わる前に足首に爪を立てられた勇一は、黒猫の首根っこを掴んで顔の前に持ち上げる。
『なんだ?消し飛ばされたいのか?』
『シノアと呼べと言っただろ!!』
黒猫、改めシノアはシャーシャーと声を発しながら、勇一の眼前でジタバタしている。
「はぁ……。シノアと名付けました」
「シノアか。お前にしてはなかなか洒落た名前だな」
パッと手を離すと、シノアは身軽に勇一の足元に着地し、首筋の乱れた毛を整え始めた。
秋山はめげずに「シノア~こっちおいで~」としゃがんで声をかけているが、全く相手にされていない。
「朝礼行きますよ」
勇一は呆れ顔で言い放つと、ロッカールームを後にする。
慌てて追ってきた秋山とシノアとそろってホールで朝礼に出席し、交番へと向かった。
__
その日の交番は少し雰囲気が違った。
交番を訪れる市民はやや緊張気味の場合が多いのだが、今日はどの人もリラックスした様子で勇一ら警察官と会話している。
大変スムーズに相談事が解決し、いつもより多くの市民に対応できた。
要因としてはカウンターの上に鎮座している黒猫シノアの存在だろう。
かつて人間と敵対し、人々を恐怖のどん底に陥れた強大な魔王とは思えないほどのんびりとした様子である。
撫でようと手を伸ばされるとひらりと躱してはいるが。
__何にせよ、非常にスムーズに業務が進んだのは言うまでもない。
時間は進み、夜間勤務に突入し夜の巡回の時刻。
二人は交番にシノアを残して出ようとしたが、軽い身のこなしでするりと自転車のカゴに収まったシノアに「私も連れて行け」と言わんばかりの視線を送られた秋山が折れ、結局二人と一匹で巡回に出ることになった。
「今日はどこを回りますかね?」
「そうだな、用水路を北上して、北交番の手前から線路沿いの道を戻ろうか」
「了解です」
駅前交番の横には笹野瀬市中心部を南北に縦断する用水路が流れている。
用水路沿いは公園として整備され、市民の散歩コースとして親しまれているが、夜間は街灯が少なく非行少年や不良達のたまり場になっていることもしばしば。
夜間巡回としては定番のコースだ。
途中、公園のベンチで缶ビールを飲んでいる若者集団に声をかける場面もあったが、特に何事もなく折り返し地点の北交番付近に差し掛かった。
『ふぁぁ~。なんというか、ずいぶんと退屈な仕事だな』
カゴに乗るシノアが大きなあくびを一つ。
「それでいいんだよ」
『?』
それでいい。
柔らかく微笑む勇一の思考をシノアはあまり理解できないでいた。
「確かに一見退屈かもしれないけど、何も起きない、警察官が退屈そうにしてる。それが一番なんだ」
『兵隊暇なら戦無し、というやつか』
兵隊が働かない世の中であることに越したことはない。
警察官が暇なら、少なくとも市民の生活が平穏であると言えるだろう。
巡回に出る時はいつも思う。
__何事もありませんようにと。
「よし、じゃあ折り返して線路沿いの道を行こう」
「はい、秋山さん」
秋山の号令に勇一が返事をすると、シノアも呼応するように一鳴き。
線路沿いの道は街灯が少なく、夜間のひったくりなどが多発するエリアだ。
今日は人通りが少なくひっそりとした闇に包まれている。
右手前方に見える線路上では夜間メンテナンスだろうか、複数名の作業服姿の男たちが黙々と作業をしている。
そして、ちょうどその作業員たちを横目に見ながら通り過ぎようとした時、シノアが突然勇一に声をかけた。
『奴らには声を掛けないのか?』
「何故声をかける必要が?彼らは仕事をしているだけだぞ』
勇一は「素人は黙っとれ」と言わんばかりの調子で返答したが、
『ふむ、勇一がそう言うなら、まぁ良いか』
邪魔したな。
と言い、再び前を向くシノア。
何か、引っ掛かる。
勇一は自転車を止めた。
「紺野?どうした?」
「いえ…少し気になることがあって」
勇一の言葉を聞いた秋山は自転車から降り、道路脇にスタンドを降ろして停めた。
勇一への全幅の信頼の証である。
「シノア?教えてくれ。何を感じた?」
勇一はシノアに問いかける。
ちなみに勇一とシノアは魔力による念話で意思疎通をしているため、秋山には聴こえていない。
秋山の目には勇一がただシノアと見つめ合っているだけに映っているが、何も言わずに待っている。
『あの男達から、なんとも言えない悪意を感じた。仕事をしているだけの人物の思考とは思えない』
勇一はすぐに探知スキルを展開する。
確かに、何故か悪意を持って作業に当たっている事が伝わってくる。
バッ、と勇一はシノアに顔を向けた。
『負の感情を読み取るのは魔族のお家芸だからな。で?声を掛けないのか?』
ニヤリと悪戯な笑みを浮かべるシノアに若干苛立ちを覚えたが、頭を振って振り払う。
ただ仕事をしているだけだと思い込み、この悪意を見過ごすところだった。
「秋山さん、彼らに職務質問をします」
勇一は作業員達を指差し、秋山に告げた。
こちらに気づいていないのか、彼らは未だ作業を続けている。
「わかった。念のため俺は向こうから接近する。線路内だから無線報告入れてから入れよ」
「わかりました」
秋山は足音を立てずに反対側へ続く地下道へ消えて行った。
『笹野瀬駅前交番局紺野より本部へ。線路内に不審者を認めたのでこれより立ち入り、職務質問を実施いたしますので許可願います』
勇一は音量を最小に絞り、本部へ立ち入り許可を送った。
『了解、十分注意するように』
許可を確認したのち、フェンスに設けられた扉へ向かう。
電子キーは解除されており、少し押しただけで簡単に開いた。
『勇一、私が様子を伺ってくる』
「あ、おい」
勇一が静止する間もなく、シノアは男達の元に近づいて行った。
__うぉっ、なんだ、猫か。
__おい、急げ。さっさとボルト外してズラかるぞ。
「!」
シノアを通じて男達の会話が勇一に届く。
(これは…)
最近、笹野瀬し近辺でガードレールや側溝のグレーチングからボルトが盗まれるという事案が多発していた。
いわゆる金属泥棒というやつだ。
男達の会話を聞くに、少なからず何らかの関わりがあると見て間違いはなさそうだ。
(しかし、線路のボルトを盗むとは…)
言うまでもなく、線路はボルトでしっかりと固定されており、そのおかげで電車が安全に往来できるようになっている。
そのボルトを外されると、金属を盗まれる被害どころか電車の脱線事故に直結し、多くの命が失われる結果になることは明白だ。
(……バカ、なのか?あいつら)
今もリアルタイムで伝わってくる男達の会話を聞くに、自分たちがしている事が重大事故につながると理解できているとは到底思えない。
報酬をもらったら肉食いに行こうぜ!とか、あれが欲しいこれが欲しいなどと頭の悪そうな会話を繰り返している。
(こいつらは本星じゃないな)
おそらく、何らかの形で雇われた下っ端たちだろう。
しかし、当然野放しにはできない。
「シノア、もういい。戻れ」
勇一はシノアを呼び戻す。
『ちょっとは役に立ったか?』
「……あぁ、腹が立つくらい役に立った」
フフン。
と、少し得意げに鼻息を鳴らしたシノアにイラッとしてデコピンをお見舞いしてから男達に近づく。
「こんばんは。遅くまで作業お疲れ様です」
「!!」
話と作業に夢中だった男達は、暗闇から現れた勇一に急に話しかけられ飛び上がるくらいに驚いたが、すぐに姿勢を正すと、
「お疲れ様です。まもなく作業終わりますのでどうぞご心配なく」
いかにもメンテナンス作業中の関係者だと言わんばかりに、にこやかに挨拶を返した。
(…なるほどよく訓練されている)
「今は何の作業を?」
「はい、ボルトとナットの交換作業中でした」
1人の男が、そう言いながら袋に入った古いボルトを見せてきた。
「交換…の割に外しっぱなしなんですね、是非後学の為に手順を教えて頂けませんか?」
「えー、、全部外してから、均一に力をかけて締めないといけない、ので」
男はややしどろもどろになりながら答える。
「なるほど。しかしあれですね、交換する新しいボルトをお持ちでないような気がするのですが」
「ッ…!!」
限界だったらしい。
男達は道具類を放り投げ、一目散に勇一の逆方向へ走り出した。
「行きましたよ秋山さん」
「3人は無理!!!!!!」
暗闇から、両脇に逃げた男二人を抱えた秋山が叫ぶ。
その声を聞いた勇一が「ふぅ」吐息を吐くと、陽炎のように勇一の姿が消えた。
『やれやれ……ただの人間相手にスキルを使うのか』
秋山の手から逃れた男の首根っこを掴んだ勇一が現れるとシノアは深いため息を吐き、この世界で勇一と対峙する犯罪者達に若干の同情を抱くのであった。
___
取り調べの結果、やはり最近手を焼いていた金属窃盗グループの末端の者達である事がわかった。
なかなか口を割らなかったが、勇一の思念感知により支持役の人物の名前が判明。
その名を勇一が口にした途端、男達は口を揃えて「留置所に入れて守ってくれ」と懇願してきたのだ。
近々、窃盗グループを一網打尽にすべく大規模作戦が実施される事となった。
そして、巡回に同行し、彼らの悪意をいち早く捉え捜査の糸口を掴むきっかけを作ったシノアの有能さを勇一と秋山が浅沼署長に訴えたところ、警察猫(仮)として業務に同行させる事が許可された。
さらに、シノアには捜査進展のご褒美として浅沼から高級猫缶一ヶ月分約五十缶が贈られた。
__
「キャットフードは食えるのか?」
帰宅後、部屋に置かれた大量の猫缶の前に座る勇一とシノア。
『そ、それは、私の魔王としての矜持が……』
「ふむ、困ったな。外では焼き鳥とか、まぁ普通に食えるものを与えていたが、案外猫の姿だと美味いかもしれないぞ?食ってみたらどうだ?」
「うぅ……」
シノアは涙目で訴えかけるように勇一を見る。
流石に動物の餌を食べるのは無理らしい。
「はぁ、わかったよ。これは保護猫団体に寄付するとかでなんとかするよ。食事の時だけ元の姿に戻って俺と同じもの食えばいいんじゃないか?」
『ゆ、勇一!!』
「くっつくな、暑苦しい」
こうして無事?家でも職場でもシノアの居場所を確保する事ができた。
今日見たシノアの見事な悪意感知、そして猫の姿という最強の隠密行動。
確実に今後の捜査がより有利になるだろう。
そして、紺野勇一の本懐に近づく歩みを一歩進められた気がした。
勇一もシノアも知り得ない、過去の縁。
(もう少し待っててくれ……)
手を当ててそう思い描いた時、心臓がトクンと一度だけ強く鼓動した。




