24話 魔王
『なんだこの部屋は。門兵の待機所より狭いじゃないか』
「一人で暮らすにはこれで十分だ」
中央署から自転車で十分程の場所に建つ二階建アパート。
ここが、勇一が寝泊まりしている笹野瀬中央警察署員の独身寮。
カラスに襲われていた猫を一時的に保護した旨を報告すると、あっさり連れ帰りの許可が下りた。
中は六畳一間のワンルーム。
室内に置かれているのはデスク収納付き二段ベッドと冷蔵庫のみ。
『お前、ここで何して過ごしているんだ?』
「何って、机で勉強して他はシャワーと寝るだけだが?」
片手間で会話しつつワイシャツを脱ぎ、ラフなTシャツ姿に着替える。
座布団などは特にないので、勇一はデスクチェアに座った。
『おい、他に椅子はないのか』
「ない。そうだな、じゃあこの上にでも座ってくれ」
勇一はデスクのブックスタンドから以前秋山にもらったファッション誌を手に取り、床に置いた。
『馬鹿にしてるのか…?』
「気に入らないなら床に座れ」
猫の分際で何を贅沢な。
と言わんばかりの冷めた目を向けられたサザナは、不満そうではあったが諦めて雑誌の上にちょこんと座った。
「__さて、何から聞いたものやら…」
信号機、自販機、ゴール。
勇一が解決した案件は三つあるが、それよりもまず気になったことをぶつけてみた。
「その姿は何があった?」
『いきなりそれか。性格悪いなお前』
聞けば、あの時勇者が放った最終奥義を受ける直前に術式を組み、指定した座標付近で死亡した直後の人間に転生する予定だったそうだ。
ところが何の手違いか、ともに消滅した勇者も巻き込んで発動する術式になっていたようで、虚無の果てに取り込まれた後にイレギュラーが生じてしまった。
勇者の方が先に転生したのだ。
しかも座標が大きくずれ、次元を超えた先の世界に転生するというオマケつき。
『もともと自分一人だけのつもりで組んだ術式だ。お前が先に転生したせいで練り込んだ魔力はほぼゼロ。だが発動した術式は止まらない』
「で、タイミングよく車にはねられた猫に転生と。なんというか、その、可哀想に」
『うるさい!!他人事だと思って!!この姿になってどれだけ苦労したか!!』
カラスに襲われ、子供に追いかけられ、食べることもままならず、用水路の水を飲み、軒下で眠る。
魔王として何不自由なく過ごしていた時からすると、想像を絶する生活だったであろう。
正直、魔王がどうなろうと知ったこっちゃないと思っていた勇一だったが、話を聞く限りでは今こうして生きているのは、目の前でわめき散らかしているこの黒猫のおかげであるということだ。
それを理解してから見ると、かつて暮らしていた世界の平穏を破壊した宿敵といえど何とも不憫に思えてしまうようになった。
「あの信号機や自販機、ゴールへの小細工の目的は?」
『この世界には魔素が存在しないことが分かったからな。人間の負のエネルギーを取り込んで魔力を回復しようと思ったのだ』
なるほど、魔族は空気中に漂っている魔素だけでなく人間の負の感情を魔力に変換することができる特殊な器官を体内に備えている。
魔素の無いこの世界で魔力を回復するために、残された少ない魔力を使って仕掛けたのが、あのプチストレスを生むいたずらだったわけだ。
『人間は楽でよいな。食事をして寝てるだけで魔力が回復するのだから』
人間はどういうわけか、空気中の魔素をわざわざ取り込まなくても魔力が回復するようになっている。
勇一が特に何もしなくてもスキルを行使できるのはそのためだ。
人間と魔族に備わった魔力回復の仕組みの違いも、長きにわたる争いの一因となったと言われている。
「かつてのお前だったらこんなセコいいたずらじゃなくて、もっと大それた魔法を使って破壊の限りを尽くすものと思っていたがそういうことか。だが、信号機への細工で得た魔力でやったことが釣銭泥棒とは、どういうわけだ?」
『そ、それは、まだ大魔法を行使するには魔力が足りないからで…』
「嘘だな」
勇一の指摘に、サザナは「うっ」と声を詰まらせて少し後ずさりする。
「あの時に影響を受けた人数は少なくとも数千人、かなり濃い負のオーラがあの交差点に漂っていた。直接大魔法を放たずとも地下の断層を動かして大地震を引き起こせるくらいの魔力は十分に溜まっていたはずだ」
サザナは目を泳がせながら、汗をぬぐうようなしぐさを見せる。
「なぜだ?言え」
『うっ、ぐっ…』
すかさず追撃する勇一の圧に屈するように、小さな声でボソリと呟いた。
『……たら……かも…じゃないか…』
「聞こえない」
『街を破壊したら助けてくれたおじさんが死んでしまうかもしれないだろぉぉぉぉ!!??』
「?!」
あまりの声量に頭がキーンとなる。
しかも、言ってることが魔王の言葉とは到底思えない。
『この世界に来てすぐ、何もわからない上にこんな姿にされてしまって草むらで途方に暮れていたら、一人の男が家に招いてくれて食べ物と水をくれたのだ。大きな橋の下の、質素だが実に暖かい家だった…』
「不法占拠だな。詳しい場所を教えてくれ」
『お前は本当に勇者か?』
どうやら、やろうと思えば街をつぶせたが、自分を助けてくれたホームレスの男性に危害を加えたくないという理由からチマチマと魔力集めに勤しんでいたようだ。
図らずも、橋の下で生活しているおじさんが笹野瀬市の危機を人知れず救っていた。
『しかし、サッカーゴールへの細工は失敗だった。対した魔力集めにならなかったし』
「今すぐその口を閉じろ。殺すぞ」
『……すまない』
サザナの誤算といえば昨日の一件だ。
ゴールが外れれば一万数千人の負の感情を集められると思ったのだろうが、バー直撃のシュートを見た観客の感情は主に「興奮」だ。
そのうえ帰り道にカラスに襲われ、あげくはフェザンサの決定機を邪魔されて殺意マシマシの勇一に捕獲されるという結末を迎えた。
『__なんにせよ、これが今話せる全てだ。この姿では、あの世界に戻れたとてせっかく築き上げてきた魔王サザナのイメージは完全に終わりだ』
「意外だな。イメージなんか気にしていたのか?」
漆黒の鎧をまとった巨躯、聞いたものの背筋を凍らせる声の圧力、四天王が束になっても敵わない強力な暗黒魔法。
特にイメージを気にしなくとも勝手に全ての魔物が平伏し、人々は恐怖を抱いていたと思っていたのだが。
『当たり前だろう。人間とは違う。ちょっとでも隙を見せたら玉座を奪われる。そんな世界だ』
人間界では愚王だとしても民衆は従う。
だが、魔族の世界では取るに足らないと思われれば即座に首筋に冷たい刃を当てられる。
野心ある魔族が今の魔王の姿を見たら「魔王様、おいたわしや…」と思う前に殺しにかかってくるだろう。
『まったく、何のために名を変え、着たくもないあんなダサイ鎧を着ていたのやら』
「今なんと?」
かつて魔王軍と戦い命を散らしてきた数多くの冒険者たちが、誰一人として知り得なかった魔王サザナの真相に触れられるかもしれない。
『ん?あぁ、もうお前に取り繕う必要もないし、この際だから教えてやろう』
サザナがそう言った瞬間、猫の身体から黒い靄と共に高濃度の魔力が放出された。
勇一は思わず臨戦態勢を取るが、悪意を感じないため椅子に座ったまま様子を伺う。
「………!」
やがて靄が晴れた時、目の前に立っていたのは一人の《《女》》。
背中までかかる漆黒の髪、左右で異なる色に輝く瞳に刻まれた虹彩は縦に長く、人間のそれとは異なることが一目でわかる。
よく鍛えられていることがうかがえる引き締まった身体は、魔族とは思えない程に透き通るような美しい白い肌に覆われ、慎ましいながらも存在感を放つ双…
「服を着ろ…」
「おっと、これは失礼」
顔を背ける勇一をからかうように笑うと、指を一度パチンと鳴らす。
するとたちまち黒い靄が体を包み、フリルのついた黒いワンピースに変化した。
「では、改めて自己紹介をしようか勇者。私の名はサウラ・ノクス・エリュシノア。通称、魔王サザナだ」
名を名乗ると美しい所作でワンピースの裾を摘み、礼をする。
なるほど魔族とはいえ王族らしい見事な立ち振る舞いだ。
「あ、どうも、紺野勇一です」
思わず勇一も立ち上がってペコリと一礼。
バツが悪そうに頬を掻くと再び座る。
「女だったのか」
「驚いたか?ふふ、この姿はごく一部の使用人しか知らないぞ、光栄に思え」
八重歯をのぞかせながらニヤリと笑みを浮かべ、その場でくるりと回って見せた。
まさか幾度となく死闘を繰り広げた魔王が女性、いや少女?ともかく、このような姿をしていたとは全く思わなかった。
「あの鎧は威厳を示すために着ていたってわけか」
「どうしてもこの姿ではな。いくら魔法に長けていても女相手では侮る奴が出てくると考えた父が用意してくれたんだ」
鎧は先代魔王、サウラ・ギド・サザンガルドが作った特注品で、認識疎外の術式と、変声の術式が刻まれていた。
それによって正体を暴こうとするスキルも跳ね返していたし、威圧感のある声を出すことができた。
「お前の名前は何という?あの世界での名前だ」
「ない」
「は?」
厳密に言えば、思い出せないのだ。
過ごした記憶はある。
だが、名前を思い出そうとすると、ノイズが塗りつぶして思考が真っ白になる。
きっと、この世界に転生した時の何らかのバグのせいだ。
その過程で記憶が欠落してしまったのだろう。
「それは、悪いことを聞いてしまったな」
「いや、いい。今の生活には満足しているんだ。少なくとも戦いに身をやつしていたあの時よりは」
「そうか…まぁ、その元凶の一つである私が言うのもなんだが、良かったな」
それからしばらくの間、勇一の転生してからの苦労話などで盛り上がった。
かつて命をかけて戦った者同士とは思えないほどに。
二人の間ではあの日、あの時に決着はついているのだ。
その後の世の中がどうなるかは、残った者たちに任せる。
転生以降、秋山や谷口、陽菜など、警察署の仲間たちと仲良く接してはいるが、決して打ち明けることのできなかった心の内。
それを共有できる相手に出会うことができた。
それは、砂漠でオアシスに巡り合うかのごとくありがたいことだった。
「あぁ、そうだ。私はサザナという名が嫌いなんだ。私を知る使用人たちはファーストネームをもじって”シノア”と呼んでいた。どうかシノアと呼んで欲しい」
「わかった。シノア、最後に一つ聞かせてくれ」
「ん?」
膝を抱えて座っていた姿勢を崩し、首を軽く傾げたシノアに例の件のことを聞く。
「十六年前、この身体の持ち主の両親が殺された。記憶に残っている光景は、到底この世界の物理法則では説明できないような状況だった。何か知っていることはないか?」
「残念ながら、私もつい最近この世界に来たばかりだ。そんな昔のことは知らない」
「そうか…」
正直この答えは予想していた。
なぜなら、以前山根とあの事件について話をした時、無意識にこの身体は涙を流した。
だが、シノアの魔力に触れた時も正体を現した時も、何の反応もなかった。
それは、あの一件に彼女が関わっていないことを示しているのだろう。
「だが、私たちがここに来る前に、あの世界の何者かが何らかの謀を企てたのかもしれないな。その時にこの世界と縁ができてここに飛ばされた可能性は大いにある」
そもそも、転生術式の座標は元居た世界に設定していた。
それが、なぜかこの地球につながった。
術式が発動するより前に、既に何らかのつながりができていたと考えるのは不自然ではない。
そこには、魔王ですら認識していなかった大きな陰謀が隠されているかもしれない。
「シノア、お前の衣食住は保証しよう。その代わり、いろいろと協力してもらいたい。良いか?」
「ふ、どうせ断ったら『ならお前に用はない、死ね』とか言って闇に葬り去るんだろう?断る選択はもはやない。同郷のよしみで協力してやろう」
こいつの中で俺はどんな極悪人なんだ?
と思ったが、協力してくれるならありがたい。
自然と、お互いに手を差し出し握手を交わした。
この瞬間、本当に勇者と魔王の戦いに終止符が打たれたような気分になった。
「あっ」
『ボフ』と音を立てて、シノアの身体が黒猫の姿に戻る。
どうやら魔力が限界を迎えたようだ。
「意外と燃費が悪いんだな」
『簡単に言ってくれるが、擬人化魔法はかなり高度な魔法だぞ』
「まぁ、その方が部屋のスペースを取らないし、魔力の節約にもなるからできるだけその姿でいてくれ」
『はいはい…』
こうして、仕事以外はおひとり様行動が主だった勇一の生活に、奇妙な同居人が増えた。
果たしてその選択がもたらすのは、平穏か、混沌か__
サウラ・ノクス・エリュシノア
魔族特有の暗黒魔法の使い手。
他にも光属性以外全ての魔法を扱える。
サザナという通称は先代魔王の名前から。
右目は淡い水色、左目は黄色のオッドアイ。
ノクスは母方の姓。




