1話 ただの新人です
人口約100万人。
大都会(通称)笹野瀬市の玄関口笹野瀬駅。
その駅前広場に鎮座する銅像を若い警察官が真剣な眼差しで見つめていた。
警官の名は紺野勇一。
大学卒業後に警察学校へ入校。半年間の厳しい全寮生活を終え、ここ笹野瀬中央署管轄の笹野瀬駅前交番へ配属されたばかりの新米巡査だ。
数カ月前に訓練中の事故に遭い病院送りになった逸話もあるが、何事もなく無事卒業できたようだ。
真新しい制服にはまだ硬さが残り、階級章にも曇り一つない。
「梅太郎...。この人は猿と犬と鳥を連れて魔族と戦ったのか。一見珍妙だけど索敵や近接先頭に長けたバランスの良いパーティだな」
勇一は銅像の足元にある銘板を読みながら感心したように呟く。
彼の目には銅像が携えている妙に反った剣や持っている謎の袋でさえある種の聖遺物のように見えているのだろう。
「紺野! 何ぶつぶつ言ってんだ置いてくぞ!」
そこに背後から飛ぶ怒声。
振り返ると、教育係の巡査部長 秋山涼が睨んでいる。
ラフに整えた黒髪に現場経験が伺えるキリっとした眼。
ぱっと見で「出来る男」感満載の秋山は署内の巡査部長としては若手だがベテラン連中からも一目置かれるほど優秀な警察官だ。
「すみません。装備が気になってしまいまして」
「梅太郎に装備もクソもあるか。今日は放置自転車の取り締まりだからな。時間がいくらあっても足りん。無駄な時間はねぇぞ」
そう早口で捲し立て、先に行ってしまう秋山を慌てて自転車に乗り追いかける。
かつて聖剣を握っていた手が今は銀色の自転車のハンドルを握っている。
勇一はそのギャップに内心で苦笑してしまった。
「了解しました。行きましょう」
「気ぃ抜いてんじゃねぇぞ」
「すみません」
2人が乗る2台の自転車が駅前の賑わいの中へ向け静かに滑り出す。
____
「この辺はもはや無法地帯だな。...ったく毎日毎日キリがねぇ」
「うわ、これは何とも...。罪悪感はないのでしょうか」
2人が到着したのは笹野瀬駅前にある有名百貨店。そのすぐ北側の筋にずらりと自転車が停められている。無論、駐輪禁止区域だ。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない。って集団心理があってな。これは『みんなやってるから大丈夫』のなれの果てだ。とりあえず違法駐輪の取り締まりは後にして、盗難自転車の照合からにするか」
「了解です」
ポータルを片手に秋山と共にテキパキと放置自転車パラダイスを巡回していく。
巡回しながら勇一は密かにあるスキルを発動していた。
『探知スキル』
無機物に対しては効果を発揮しないが、生体反応を感知することができる。
大気中に魔力が存在しないこの世界では空間に影響を与える系の魔法は使えないが、魂に刻まれたスキルは今の肉体にも残っていた。
本来は見通しの効かない森の中で魔物を見つける目的で使うものだが、人ごみの中で何らかの悪意や精神の乱れを捉えることができるこれは非常に役に立ちそうだ。
「...!」
そんなことを言っていたら、早速スキルが賑やかな街並みからわずかなノイズを捉えた。
「秋山さん。百貨店の入り口で何か揉めてません?」
「あん…?」
勇一が差し示す方向へ秋山が目を細めてもまだ何も見えないし、聞こえない。
しかし勇一のスキルはかすかに流れてくる恐怖に震えるような気配と、怒りや興奮の感情を確かに捉えていた。
「何も聞こえないな。ただの買い物客のじゃれあいじゃないか?」
「いえ、恐らく違います。金属音…?金属が擦れる音が聞こえますし、悪意のような気配も感じました」
「お前…気配って、何言って」
秋山の言葉が終わるか終わらないかの瞬間。
百貨店の入り口から男が飛び出してきた。
男の手には肩紐の切れたバッグと、展開され抜き身となったバタフライナイフ。
確実に銃刀法を犯しているであろう刃が昼下がりの陽光を不気味に反射させている。
「どけ!邪魔だ!ぶっ殺すぞ!!」
男の叫び声が平和な広場を切り裂き、周囲の市民が悲鳴を上げ逃げ始める。
「ひったくりだ! 紺野!お前は市民の安全確保!!奴は俺が追う!」
人々を掻き分けて勇一達と反対方向へ走り出した男を逃すまいと、秋山が自転車に飛び乗る。
そしてペダルを蹴り出そうと脚に力を込めたその瞬間。
ひゅぅと風が吹き抜けるような音がした。
「ぇ?」
秋山よりコンマ数秒早く勇一が駆け出したのだ。
駆け出すと同時に勇一の姿がまるで陽炎のように揺らぎ、次の瞬間には数十メートル先にいたはずの犯人の目の前に立っていた。
体内のエネルギーを脚に集中させ、超人的な速度で移動する異界の歩法。
これも勇一の持つスキルだ。
「うぉっ?!な、なんだお前! どけオラァァ!!」
いきなり目の前に現れた警察官に驚いた犯人が勢いそのままにバタフライナイフを翻し、勇一の喉元に向けて突きだした。
「紺野!!!!」
新人警察官が直面するにはあまりにも重い状況に秋山が声を上げ、思わず腰の拳銃に手を掛ける。
だが、当の勇一には男の動きが亀の如くスローモーションに見えていた。
「おっと。落ち着いてください。そんなものを振り回すと危ないですよ。」
勇一は最小限の動きでナイフの切っ先を躱すと、ひょいと音が聞こえてきそうなほどいとも簡単に男の手首を掴んで捻り上げた。
「ぐぁっ!?くそっ動かねえ、なんだこれ!?痛ぇ!」
男の悲鳴が上がる。どれだけもがいても勇一の手は鉄の万力のように微動だにしない。
そしてそのまま流れるような動作で男を地面に転倒させ、膝で背中を制圧した。
抵抗を試みる男の腕を背中に回すと腰のホルダーから手錠を取り、初めてとは思えないほど鮮やかな手つきでガチャンと音を鳴らす。
「14時12分、窃盗もしくは強盗致傷罪の疑いで現行犯逮捕します。できないと思いますけど抵抗はしないでくださいね」
男を組み伏せたまま腕時計をちらりと見て勇一が静かにかつ冷静にそう宣告した。
そのあまりにも事務的で落ち着いた口調に地面に顔を押し付けられた犯人は完全に戦意喪失。
大人しく観念したのか、だらりと力を抜いた。
その瞬間、周囲の市民から「わっ」と歓声が上がる。
秋山も拳銃に掛けていた手を離し、ほっとした表情で無線に持ち替え本署に応援要請する。
『こちら駅前交番秋山です。巡回中ひったくり犯に遭遇し紺野巡査が確保。至急パトカーを回してください』
『了解、すぐに向かわせます。到着予想は__」
無線のやり取りを終えた秋山がいまだ犯人の背中に乗っている勇一のもとへ向かう。
「パトカー呼んだ。2~3分すりゃ来るだろ。それまでそいつ押さえとけるか?」
「全く問題ありません。このまま制圧しておきます」
男は抵抗するそぶりも見せていないため、2~3分の確保など造作もないことだ。
そして秋山の読み通り、ほどなくしてサイレンの音とともにパトカーが到着した。
パトカーから若い警察官が降りてきて秋山に敬礼する。
「秋山部長、お疲れ様です!被疑者は...あの踏まれてる人ですね、こちらで引き取ります」
「ご苦労様、早くて助かったよ。よろしく頼む」
勇一は男の背中の拘束を解き、応援の警官に引き渡した。
男は一切の抵抗もなく静かに後部座席に乗り込むと、中央署へ連行されていった。
後日談ではあるが、男が金に困った末に起こした事件だったそうだ。
女性客からバッグを奪おうとしたものの抵抗されたためナイフを取り出して暴れ、そこに勇一と秋山が居合わせたというわけだった。
___
パトカーが去ると街はいつもの賑わいを取り戻す。
「……お前、初めての現行犯逮捕なのにすげぇ冷静だな。それにあの動きは一体なんだ?見えなかったぞ」
申し送りが済み、ようやく事後処理を終えた秋山が勇一に問いかける。
「学校での訓練の成果が出たのだと思います。何かまずかったですか?」
「...そうだな、瞬時に制圧してその後の対応も冷静で素晴らしい。と言いたいところだが、もし驚いた犯人がナイフを向けた先がお前じゃなかったらどうしてた?」
「その刃が市民に届く前に制圧します」
「あー、うん、そうだな。お前ならそうだよな。うん。いいか?普通の人間はな、まっすぐな悪意を向けられると怖いんだ」
「...怖い、ですか?」
与えられた使命に従って、我が身一つで闘いの日々に身を投じていた勇一は怖いという感情が正直よくわからなかった。
「そう、怖い。普通に生きていたらナイフを向けられることなんてまずない。そしてその恐怖は被害者の心の傷になってしまうことがある。だから俺たちは自分達の動きで犯人がどう出るか、よく考えて行動しないといけない。市民の身の安全だけじゃなくて心を守ることも俺たちの大事な使命だ」
「心を守る...ですか。そう...ですね、わかりました。一瞬で制圧すれば簡単に終わると思っていましたが、なかなか難しいものですね」
「そこに難しさを感じるのはお前だけだと思うけどな」
「...秋山さん。ご指導ありがとうございました。また私が先走ってしまったら叱ってください」
「おう。任せとけ」
学校での態度も非常に真面目と聞いていたが、なるほど素直な奴じゃないか。
と秋山は笑った。
「さて、秋山さん。話していたらだいぶ時間を無駄にしてしまいました。まだまだ放置自転車が残っていますし、続き行きましょう」
「……お前さ、実は極秘任務中の本庁のキャリアだったりしない?なんか俺舐められてない?」
秋山が呆れたように冗談を吹かす。
ある意味正解に近くはあるのだが。
「まさか、私はつい先日配属されたばかりの新人です」
勇人は少し口角を上げ、再び自転車に跨った。
多少反則級の手段を用いたとしてもこの街の平和な日々を守ること。
市民の安全だけでなく心も守ること。
それが、今の自分にできる精一杯の"彼"への誠意だと改めて心に刻んだ。
「ハイハイ。じゃ、続き行くか。日が暮れちまう前にさっさと終わらせて軽食でも食おうや」
秋山が再び放置自転車パラダイスへ足を踏み出すと、勇一も続く。
「了解です。あ、またあの道具屋に行くんですか?」
「お前さ、初めて会った日から思ってんだけど、コンビニを道具屋って呼ぶ癖何とかならない?」
一仕事終えた後のホットスナックの美味しさはどの世界でも共通だ。
他愛もない会話も楽しみながら、手際よく防犯登録を照合していく。
残り半分ほど。
「秋山さん。盗難届け出てる自転車ですこれ」
「うわぁまじかよ、めんどくせぇ」
「秋山さん?」
冗談だよ。と笑う秋山。
「よし、じゃあ盗難車両を発見した時の対応をOJTでやってみるか」
「はい、よろしくお願いいたします」
巡回はもう少し長引きそうだ。
紺野勇一 巡査 23歳 身長177㎝
お気に入りのホットスナックは唐揚げ
秋山涼 巡査部長 30歳 身長175㎝
お気に入りのホットスナックはコロッケ




