17話 巻き起こる嵐
九日川を文化会館から五百メートルほど下った河川敷に設けられた野球場。
昨日の濁流によってネットや備品倉庫が流され殺風景な景色にされたグラウンドに数十名の警察官達が集結している。
「……行方不明者の収容を開始する。各自二人一組で活動し、二次災害に注意して行動せよ」
現場指揮官の号令と共に川岸に向けて一斉に移動を開始する。
彼らの表情は暗く、足取りは重い。
仲間を、あるいは変わり果てた姿を見つけに行かなければならないという過酷な任務。
それは、教育担当としてこの場にいる誰よりも勇一と長い時間を過ごした秋山にとって心を引き裂かれるような苦行だった。
秋山と今田は、泥水がようやく引いたことで露わになった野球場からさらに下流方面の草むらに足を踏み入れた。
辺りには大量の流木や根こそぎ引き倒された樹木、そして上流から流されてきたゴミが堆積し、気を抜くと膝上まで一気に沈んでしまうほどのズブズブな状態で思うように作業が捗らない。
「……どこだ紺野。お前みたいな綺麗好きがこんな汚い場所で寝てちゃだめだろ?出てこいよ」
いつも糊のきいたしわ一つない制服をきっちりと着込んで職務に当たっている勇一の姿が思い浮かぶ。
秋山は泥に足を取られながら懸命に鳶口で草やごみをかき分け、この川のどこかにいるであろう勇一に向けて絞り出すように呼びかける。
「班長、ここにはいなさそうです。もう少し下ってみますか?」
同じくぬかるんだ足元に苦戦しながら捜索している今田から提案され手を止める。
その声を聞き近くにいた数組も集まってきて協議した結果、今いる場所からさらに二キロほど下流に下った場所にある九日川貯木場跡に向かってみることにした。
それは戦前に作られた土木施設の名残で、九日川の川幅の半分を占める石垣で囲った突堤に、伐採した丸太を上流から筏にして運んできて保管していたらしい。
大雨で増水した後に川沿いを通ると、流されてきた漂流物が突堤に入り込んで水面を覆いつくしている様子が見られる。
そこに入り込んでいる可能性が高いと踏んだ一同は川岸を引き続き捜索しながら列をなして下流方面へ下っていく。
途中にも水の流れを整える目的で設置された建造物に引っかかった浮きゴミの下を鳶口で丁寧に探っていくが収穫はナシ。
活動開始から数時間。
徐々に蓄積されていく疲労を振り払うように皆一心に鳶口を振るった。
重たい足元を懸命に歩きいよいよ貯木場跡に先頭集団が差し掛かった時、一人の若手警察官から声が上がる。
「秋山部長!!これ見てください!!!」
秋山は駆け寄ってきた警察官が持ってきたものを手に取る。
「これは…」
泥にまみれているそれは、グリップ付きのスマホホルダーだった。
スマートフォンは外れているがグリップ部分に配信サイトのステッカーが貼ってある。
ステッカーには昨日橋の上で配信していた若者たちのチャンネル名が書かれていた。
「紺野君と一緒に流された男性の遺留品で間違いなさそうですね…」
現場に重苦しい空気と緊張が走った。
全員の脳裏に最悪のパターンが鮮明に浮かぶ。
秋山はしばらく無言でスマホホルダーを見つめていたが、
何かを振り払うように頭をぶんぶんと振ると周囲を見渡しながら檄を飛ばした。
「…あいつらは近くにいるぞ!一晩中水風呂に浸かって今頃震えあがってるだろうから早く見つけてやらねぇとな!!」
そう言うと秋山は一人先行して貯木場の石垣を渡り始めた。
気丈に振る舞っていたが、秋山の鼻先はほんのりと赤くなっているのを今田は見逃さなかった。
「班長…」
内心一番動揺しているはずの秋山が率先して動いている。
その姿にぐっとこみ上げてくるものを押し殺して後に続く。
突堤の内側は予想通り大量の浮きゴミに覆いつくされていた。
岸から離れた個所はもう少し水量が落ち着いたら消防が捜索してくれるらしい。
秋山達一同は石垣沿いの手が届く範囲を探っていく。
貯木場は全部で二つ設けられており、それぞれおよそ百メートル四方になっている。
一つ目の突堤を捜索し終え二つ目に突入した時、一同の目の前に現れた川の流れに平行して土手沿いに設けられた石垣。
その中央にぽっかり開いた部分があり、それはどうやら土手に向かう水路跡のようだ。
土手にも石組みのトンネルのような穴が開いていて、かつてはここから貯木場の木材を内陸に運んでいた。
今はその役目を終えて水路だった場所は背の高い葦に覆われている。
草に乗って反対側に渡渉しても問題ないだろうかと秋山が思案していると、今田がある違和感に気付いた。
「班長。あそこの葦、不自然じゃないですか?」
水路跡に生えた葦は濁流によって下流方向に傾いているが、その中央部分。
まるで一筋の線で水際からトンネルを繋ぐように、根本で折れた葦が並んでいる。
「他の葦は傾いているだけなのに、なぜあの列だけ折れているのでしょうか…?」
「……!!!!」
秋山は今田が指し示した方向に目を向けると、突然石垣から水路跡に飛び降り、膝まで泥にはまりながらも五十メートルほど離れたトンネル目掛けて突き進んだ。
心臓が止まるかと思った。
絡みつく泥を跳ね飛ばし、一心不乱に進みついにトンネル前にたどり着いた。
トンネルは秋山がちょうど立って入れるほどの高さだ。
仕切り直すかのように、一度一人でうなずいてから中を覗く。
__そこに彼はいた。
片足は裸足で泥だらけになり、ボロボロになったアンダーシャツ姿のその男、紺野勇一は信じられないほど穏やかな表情で座り込んでいた。
彼の膝の上では警察支給の制服シャツをかけられた青年が一定のリズムで胸元を上下させている。
彼は自分が着ていた厚手の制服を脱ぎ、それを青年に掛け少しでも体温の低下を防ごうとしたようだ。
差しこんだ光の反射だろうか、青年の胸元に置かれた勇一の手は暖かい光を放っているように見える。
「……紺野? おい!生きてるのか!? 紺野!!!!」
秋山は転びそうになりながら一目散に勇一に近づき、その両肩を掴んで揺さぶった。
秋山の声に反応した勇一は、ゆっくりと顔を上げた。
その顔は少々疲れを感じるものの、激流に揉まれたのち一晩中こんな場所で過ごしたとは思えないほど澄み切っていた。
「……おはようございます、で良いのでしょうか、秋山さん。……思ったより流れがキツかったのと、彼の体温維持のために魔力を使い果たしてしまい動けませんでした…」
勇一の膝で寝息を立てている配信者の青年は見た限りでは外傷一つなく、ただ深い眠りの中にいるようだった。
「…お前、こんな時にまで、冗談、言うなよ」
「…すみません。少し、疲れちゃいました」
秋山はこらえきれず、目から大粒の涙を流しながらぐしゃぐしゃの笑みを作る。
もう大丈夫だと言う秋山に勇一も穏やかに微笑むと、支える秋山の腕に体重を預け目を閉じた。
__行方不明者二名無事保護
現場から届いた無線報告を受け取った対策本部ロビーは、まるで絶叫のような歓声に包まれ、勇者の無事を全員が心から喜んだ。
___
勇一が奇跡の生還を果たしたその頃、ネット上では別の嵐が巻き起こっていた。
橋の上で彼らが配信していた映像が動画投稿サイトYOURTOBEで爆発的に拡散されていたのだ。
映像には、橋ではしゃぐ様子から転落して流されるまでの一部始終が記録されていた。
途中、警察官が注意をしに来るというお決まりのパターンに視聴者は大盛り上がりだったが、その後ダムから放たれた大量の水の塊が橋に激突し、押し寄せた濁流に配信者が足を取られてカメラごと飲みこまれる衝撃的な瞬間にコメントは沈黙した。
しかし、そのあと事態は急展開を迎える。
画面の端から制服姿の警察官が躊躇なく欄干を飛び越え、濁流へと身を投じる姿が映り込んでいたのだ。
『はぁぁぁぁぁ?!』
『 警察官飛び込んだ!!!』
『自殺行為乙』
『え?!これガチなの?!』
『AIだろさすがに』
再びコメント欄は騒然となり、配信は瞬く間に視聴者が爆増した。
映像は一分ほど水中に没して真っ暗になっていたが、ほどなくして水面に出た二人の姿が映る。
「しっかり捕まってろ!!!絶対に離すな!!!」
濁流の轟音の中勇一が配信者に必死に呼びかける姿が記録されており、勇一の英雄的行動に視聴者の盛り上がりはピークに達したが、堰を越えた後スマホがホルダーから脱落したことにより配信が途切れ、二人の安否について様々な憶測がネット上を駆け巡った。
その動画は全国ニュースでも取り上げられ、何百万人もの人々が行方不明になった二人の無事を祈っていた。
翌朝になっても発見の報道はなく、流石に無理だろうと皆が諦めていた翌日の昼過ぎ。
二人が無事発見されたというニュースが速報で流れ、ヘリコプターから撮影された二人が救急車で搬送されていく映像が放送されると、日本中でまさに熱狂と言えるような反応が広がった。
紺野勇一は、勇気ある英雄として日本中の注目を浴びることとなったのだ。
搬送されたあと一泊の検査入院を終え中央署に姿を現した勇一を待っていたのは、玄関前に詰め掛けた報道陣のカメラの大群だった。
「紺野巡査!あの救出劇について一言お願いします!」
「濁流に飛び込む時に恐怖は感じなかったのですか?!」
ボイスレコーダーとカメラ、報道陣の質問が一斉に勇一に向けられる。
勇一は、カメラのフラッシュを浴びながら、困ったように眉を下げた。
病院から付き添って一緒に出勤した秋山は苦笑いだ。
「……恐怖、ですか。いえ、特に感じませんでした。それよりも支給品の靴を紛失してしまったことの方が深刻な問題です」
「え……靴?」
「えぇ、ただの靴と言えど県民の皆さんの大切な税金で支給されたものですから」
勇一の為人を理解している署員たちは「また始まったよ」と、クスクス笑っているが、予想外の返答にリポーターはきょとんとしている。
「あ、あの、濁流に飛び込んだ時の状況についてお願いしたいのですが…」
「あのような状況において警察官が市民を救うために動くのは当然です。秋山は二人を濁流から守り、私は流されたもう一人を救った。我々は警察官としての職務を全うしただけです」
勇一は事も無げに言ったが、報道陣は勇一の規格外の真面目発言に何を質問したらよいかわからなくなり静まり返ってしまった。
秋山は呆れ果て、天を仰いだ。
「…紺野お前なぁ、もう少し愛想ってもんがないかね」
「秋山さん、台風による被害は甚大です。困っている人がきっと大勢いることでしょう。泣いてる暇はありませんよ」
「てめぇコノヤロ!!!」
日本中のお茶の間を騒がせた勇者は集まった報道陣にぺこりと一礼すると、鬼の形相をした秋山から逃げるように足早に署内に入って行ってしまう。
勇一を追いかける秋山の口元にはこの日常を失わなくて済んだことへの安堵からか最高の笑みが浮かんでいた。
玄関前にはただ台風一過の晴天に焼かれる報道陣が残るのみ__
ちなみにこの映像が報道された後、勇一が濁流の映像中で見せた鬼気迫る表情と警察署前でド真面目な返答をする姿のギャップが大ウケし、中央署にはファンレターが届き、駅前交番には来訪者が増えたりと当たり前の日常に戻るのには少々時間を要したらしい。




