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第16話 自然の猛威と勇者

ついに迎えた八月。

七月の暑さとは全く異質の暑さが連日猛威を振るっていたが、この日はどんよりとした雲が広がり、時折生暖かい風が吹いてくる。


日本列島に三十年に一度の規模の超大型台風が接近中で、笹野瀬市はその進路上にあり次第に天候が悪化しているのだ。


交番の前を過ぎゆく子供たちは「台風で休みになったらゲームしようぜ!」などと楽しそうだが、警察官は暢気に構えてはいられない。


「甘いなガキども。大体寝てる間に通過するんだよ台風ってやつは」


開けた扉に肘をつき外の様子を伺いながら秋山は笑っていたが、デスクに戻ってくると急に真剣な顔になった。


「……紺野。今回のは本当にヤバい。署からは避難勧告の準備命令が出てる。九日川の決壊も想定してるみたいだ」

「秋山さんの真面目な顔、久しぶりに見ました。本当に危険な嵐なんですね」


情報収集のためにつけているラジオからは延々と台風に関する気象情報が流れている。

台風は奄美大島に甚大な被害をもたらし、屋久島南の海上を進行中のようだ。

明日には九州に上陸してここに来るのは明後日だろうか。


仮に子供たちが寝ている間に通過するとしても、警察官は住民の為に動かなければならない。


「今からでもできるところは対策をしておこう」


秋山の提案に乗り、二人で交番前に立ててある交通安全の旗や風で飛んでいきそうな物を裏の倉庫に片付ける。

そうしているうちにも雲はさらに濃くなり、雨の匂いも漂ってきた。

天気予報によると今日の午後から台風通過まで一時間に百ミリ以上の猛烈な雨が降り続けるらしい。


暗くなりゆく空模様に勇一は嵐の前の静けさのような、どことなく不穏な空気を感じながら倉庫の鍵を閉めた。


__



翌日夕方。

勇一と秋山は非番だったが、迫り来る台風の対応に駆り出されていた。

朝のうちは豪雨に見舞われつつ普段より少し風が強い程度だったが、正午を過ぎたあたりから様相は一変した。


交番の窓に叩きつけるように降っていた雨はより激しさを増し、窓の外の視界を白く塗りつぶした。

加えて、風に正対すると歩くのが困難なほどの暴風が吹き荒れ街灯がギシギシと音を立てながら不気味に揺れている。


勇一ら駅前交番員たちは、自主避難のために訪れる市民に避難所の場所を丁寧に案内していた。


「紺野君、少し中で休んだらどう?」


笹野瀬中央小学校へ向かう老夫婦を見送る勇一に声をかけたのは駅前交番巡査長の今田湊(いまだみなと)

軽めに整えたマッシュヘアに細いフレームの眼鏡をかけ、実に知的な印象の彼は駅前交番の№2として班長の秋山とは反対側のシフトを取り仕切っている。

交番員はあと二人いるが、朝から笹野瀬駅中央交番に応援に出ているため今は三人しかいない。


「ありがとうございます今田さん。意外と自主避難される方が多いので、もう少し外にいようと思います」

「そう?じゃあもう少しお願いしようかな。非番なのに助かるよ。ありがとう」


今田は優しく微笑むとデスクに戻る。


「湊。外は俺らに任せてお前は報告書を頼むわ。お前のは差し戻しがほぼないからな」

「班長はもう少し紺野君の姿勢を見習ってくださいね~」


今田は秋山の二つ年下の28歳。

駅前交番に配属されて5年目で、秋山とはそれ以来の付き合いだ。


几帳面な性格の今田が作る報告書は実に整然とまとめられており、署の事務職員からは大変に評判が良い。

そのせいでしばしば秋山の報告書を押し付けられたりしているが本人も事務仕事は苦ではなく嫌な顔一つせずにてきぱきと片付けていく。


今田に報告書を任せて事務から解放された秋山が外で住民と話をしている勇一の元に向かおうとしたとき、


ゥゥウウウウゥゥゥゥー……


九日川方面から不気味なサイレンが鳴り響いた。


「秋山さん、このサイレンは?」

「これは、まずいな…」


秋山と今田が焦りと不安が混ざった表情で顔を見合わせる。

勇一が対応していた住民を見送って交番内に戻ってきたとき、迫り来る危機を無線機が知らせた。


『中央署から各局。九日川の水位が氾濫危険水位に到達。近隣交番員は最低人員を残し直ちに川沿いの住民の避難誘導を開始せよ』


降り続ける豪雨により九日川の水位が上がり氾濫危険水位にまで達した上に、先程のサイレンは九日川上流に設けられている九日川ダムの緊急放水を意味するものだ。

緊急放水の水量は毎分八百トンを超え、下流に到達すれば当然水位はさらに上がる。


「紺野!ダッシュでパトカー出すぞ!湊!お前は交番に残ってここに来る住民のサポートだ!」

「「了解です!!」」


秋山の号令に二人は即座に反応し、勇一と秋山は白い雨合羽を素早く着て交番から飛び出して駐車場へ向かう。


「班長!!」


今田の声に秋山が振り返ると高速で何かが飛んでくる。

顔の目前でキャッチすると、パトカーのカギだった。


「忘れ物です!」

「サンキュー湊!助かった!!」


そのまま走り去っていく二人を見送り、今田はデスクに戻り報告書のまとめを再開しようとする。


「…だめだ集中できない」


交番内にはラジオの気象情報と窓に叩きつける雨の音が喧しく響き集中力を削ぐ。

窓から鈍色の空を見やり、何事もなく終わりますようにと祈るばかりであった。



__



「なんですかこれは…」


緊急走行で九日川の土手道に出た二人の目に飛び込んできたのは、普段の穏やかな流れとは全く違う姿だった。

カフェオレをミキサーで攪拌しているかのような濁流が川にかかる橋の欄干を洗わんとする高さまで迫っている。


「おいおい、梅ちゃん像も沈んじまってるぞ。こんなの見たことねぇ」


笹野瀬城が建っている中洲に整備された城下公園の端に鎮座している梅太郎の誕生を模した銅像「梅ちゃん像」は濁流に完全に飲み込まれ、もはやどこにあるのかさえ分からなくなっている。


秋山はパトカーを現場指揮所になっている『笹野瀬市民文化会館』の駐車場に停め、車を降りると先ほどよりさらに激しさを増した暴風雨が二人を襲う。

気を抜いていると体ごと持っていかれそうになるほどの強さだ。


急いで市民文化会館の入口へ向かおうとすると再び不気味なサイレンの音が周囲に響き渡る。

先程とは異なる音質だ。


「ダムから放水された水が到達したんだ。水位がさらに上がるぞ」

「あの橋は危なそうですね。………えっ?!」


文化会館からほど近い橋。

他の橋と違い路面電車が通過する関係で坂がなく平坦になっており、橋桁の位置も比較的低い。

すでに橋桁の下部に水面が接しているような状態の橋に、数名の人影があった。

勇一の視線に気づいた秋山も橋の方向を見ると、中央付近の下流側に確かに三人の若者の姿がある。


「…何やってんだあの馬鹿共は!!!」

「橋を渡ろうとして逃げ遅れた可能性もありますので悪態をつくのはもう少し後で!!」


当然、どんな状況であそこに至っていようとも、たとえどんな人間だろうとも放置するわけにはいかない。

再度パトカーに飛び乗り彼らのもとに向かう。


_


「やべぇ!これは伸びるぞ!!」

「はーい!皆さん見えますかー??」


橋にいた三人の若者は自撮り棒とスマホを振り回し、へらへらと笑い合っている。

どうやら氾濫する川の様子をライブ配信しているようだ。


三人の近くに横付けしたパトカーから秋山が飛び降り怒鳴りつけた。


「お前ら何やってんだ!!サイレンが聞こえなかったのか!?すぐに橋から離れろ!!」


鬼気迫る形相で怒鳴られた若者たちは大人しく指示に従うかと思いきや、


「やべー警察来た!あー、お巡りさんお疲れっす!ほっといてもらって大丈夫でーす」

「それって強制力無いですよね???」

「大げさすぎてウケる」


秋山の必死の叫びを嘲笑うかのようにカメラの向こうにいるであろうリスナーに向けてしゃべり続けている。


「いいから今すぐカメラを止めろ!!ダムからの水がすぐそこまで来てる!!」

「はいはーい。わかったわかった。もうちょっとでやめるんでもうどっか行ってくれませんかねー。あ、映ってもいいんすか?」

「みなさーん。逃げろって言われててどうするべきかアンケ取ろうと思うんですけどいいですかー?」


警告を一切聞き入れない若者たちに秋山の堪忍袋の緒が切れそうになるが、その前にダムから放出された水が橋に到達してしまった。


勇一が短く「来ます」とつぶやいた瞬間、津波のような巨大な水の壁が橋にぶつかり轟音と共に橋を飲み込むほどの水の塊が弾けた。

欄干付近にいた五人は打ちあがった水をもろに受けてしまう。


そして、若者グループの内の一人。

彼が立っていた場所は丁度橋脚部分の真上。

橋のつなぎ目で周囲より少しだけ低くなっていた場所を橋桁を超えた濁流が一気に駆け抜けた。


「あっ…」


一瞬だった。

濁流に足を取られた彼は欄干の隙間を抜けてあっという間に本流に吸い込まれていき、数秒後には数十メートル先まで流された。


「しまっ…!!」

「タカ!!!!!」


水飛沫に耐えて残り二人のシャツを掴んでいた秋山にはどうすることもできず、仲間たち二人が彼を呼ぶ絶叫も轟音にかき消される。

流された少年の姿はもう見えない。

秋山が掴んでいた二人をパトカーの陰に突き飛ばし、慌てて無線で救助要請を叫ぼうとしたその時、


「これ、お願いします」


と、腰の拳銃を帯革ごと秋山に渡し、カッパを脱ぎ捨てた勇一が濁流に飛び込んだ。


「紺野ぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」

「うわぁぁぁあぁぁぁあぁ飛び込んだ!!!???」


勇一の姿も一瞬で数十メートル先まで流されて橋の上からは見えなくなる。


大きく息を吸い込んで水に潜った勇一はその人間離れした膂力で水をかき、激流の中を探知スキルが辛うじて捉えているタカの気配を目指して弾丸のような速さで進んでいった。


(…!掴んだ!!)


ついに勇一はタカの服を掴んだ。

そして彼を掴んだまま水面目指して進行方向を上へと跳ね上げる。


「…あそこだ!出たぞ!!!」

「タカもいる!」


勇一がタカを追って飛び込んだ直後、秋山にパトカーの後部座席に叩き込まれていた二人が水面から出てきた二つの頭を見て声を上げる。

秋山もその声に反応して下流方面を見ると確かに二人が流されていく姿を捉えた。

だが、そのすぐ先には堰があり、巨大な滝のように濁流がうねっている。


「あっ!だめだ!飲み込まれる!」


流されていく二人は堰を越えて濁流の渦の中に飲み込まれていく。

土手からその様子を見ていた人々からも悲鳴が上がった。


「紺野……」


絶望的な光景を目にし、全身の力が抜けそうになる秋山だったが、後部座席の二人は何としても安全な場所に届けるという強い意志でハンドルを握る手に力を取り戻した。

キッと前方をにらみ、すでに川の一部と化した橋桁をパトカーで駆け抜ける。


激しく水飛沫を上げながら土手道に上り、市民文化会館の駐車場へと猛スピードで駆け込んだ。


駐車場にパトカーは停まったが、しばらく三人とも放心状態で座席から立ち上がることができなかった。


後部座席の二人は静かにすすり泣き、秋山は爪が食い込んで血が滲むほどに握りしめたこぶしをハンドルに叩きつけ、叫ぶ。


しかし、三人の悲痛な思いはパトカーに打ち付ける激しい雨音にいともたやすくかき消されてしまった。


__


翌朝。

夜間に猛威を振るい多くの被害をもたらした台風は足早に去り、笹野瀬市は昨日の嵐が嘘のように青空が広がっている。

だが、澄み切った空と対照的に対策本部である文化会館ロビーの雰囲気は昨日の曇天も及ばないほどに暗く沈みきっていた。


「……行方不明者二名の、捜索の準備を進めろ」


現場指揮官が沈痛な雰囲気の中、警察官達に指示を出す。


「紺野巡査…。あんな濁流に飛び込んで助けられるわけがないのに…」


警察官たちは皆、下を向いて拳を握りしめて悔しさとむなしさを滲ませながら行動服に着替えるなどして作業準備に取り掛かり始めたが、一人。

ロビー奥の壁に背中を預け、足を投げ出して座り込む秋山はピクリとも動けないでいた。


「紺野…あのとき、俺が、止めていたら…」


俯きながらぶつぶつとうわごとのように昨日の後悔を繰り返し口にしている。


「班長」

「…湊か」


その秋山に声をかける者がいた。

勇一が川に流されたという報告を聞き文化会館に飛んできた今田だ。

今田もここまで憔悴している秋山を見るのは初めてで少々戸惑っているが冷静に今なすべきことを諭す。


「何をなさっているのですか。行動服に着替えましょう」

「…俺は、班長失格だ」


顔を上げることもせず、力なく応える秋山。


「そうやって腐るのが今やることですか。ならば確かに班長失格ですね」

「お前他人事だと思いやがって!!目の前だったんだ!!掴めなかったし止められなかった!!何も、できなかった!!」


今田の言葉にカッと目を開いて飛び上がり、胸ぐらをつかんで悲痛な叫びをあげる。

秋山の中には、勇一が一度浮かび上がってきたときに正直安心した自分がいた。

今回も事も無げに要救助者を連れて「すみません秋山さん」とクソ真面目な顔をして文化会館に泥だらけで戻ってくるのだと。


だが、そのあとなすすべもなく堰に飲まれていき、ロビーで待ち続けたが夜が明けても結局帰ってこなかった。


「彼も人間だ」どれだけ超人的な謎の能力を発揮していようと、自然の力には勝てないのだと悟った瞬間、恐ろしいまでの喪失感に襲われた。


「ですが、班長が紺野君を掴めなかったのは彼らを守っていたからです。二人を救ったのです」

「でも、俺は、俺はあいつを…あいつの最後の顔が…俺はぁ…」


秋山はついに声に涙を含ませながら膝から床に崩れてしまう。

今田はそんな秋山に目線を合わせ、優しく言葉を紡ぐ。


「でしたらなおさら、彼は貴方が見つけてあげないと。ね?」


ハッとした表情で秋山は今田の顔を見た。

今田の目からも涙がこぼれている。



「さぁ、彼が待ってます。迎えに行ってあげましょう」



今田に促されると秋山は涙を拭いて一度頷き、ようやく行動服に着替えた。

そして玄関前で鳶口を受け取る。


行方不明者の捜索は過去に何度か経験しているが、水難事故は初めてだ。

ましてや行方不明者のうち一人は自分のかけがえのない部下。


初めて手にする鳶口を握る手に思わず力が入る。


「紺野、水に濡れて寒いかもしれないが、待ってろよ。必ず俺が見つけてやるからな」


秋山は今もなお濁流が流れ続けている九日川を力強いまなざしで睨み、今田と共に下流方面へと向かって行った_




今田湊 巡査長 (28)

優しい、真面目、イケメンと三拍子そろった神。

署内の女性警察官が裏で行っている男性署員総選挙で三連覇中。


二部構成にしました。

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