15話 勇者の先導
七月下旬。
笹野瀬市はまるで巨大な釜の中に放り込まれたような酷暑に見舞われていた。
青く澄み渡った空から容赦なく照りつける太陽がアスファルトをドロドロに溶かさんばかりに熱している上に、すぐ裏の川沿いの街路樹から聞こえる元気いっぱいのセミの鳴き声が体感温度をさらに上昇させる。
「……暑い。いや、暑いのかどうかすらもはやわからん」
駅前交番。エアコンはついている。
ついているのだが、上からのお達しにより全開になった出入り口の引き戸は外の熱気を存分に室内に供給し、室温は外より多少マシ程度だ。
交番内に設置されたデスクでは秋山が制服の襟をこれ以上ないほど緩め、気休め程度に風を送る業務用扇風機の風にあたって溶けていた。
対照的にその向かいで勇一は微塵も姿勢を崩さず、制服のボタンをきっちり一番上まで留めたまま涼しい顔で報告書を作っている。
「紺野、その涼しい顔で報告書書くのやめてくんない?なんか惨めになる」
タオルで滝のように流れる汗をぬぐいながら秋山が勇一に目を向ける。
「秋山さん、心頭滅却すれば火もまた涼し。大昔の武人の言葉でしたっけ?精神の静寂を保てばどうってことありませんよ」
「精神の静寂の前に俺の命が静寂を迎えそうなんだが…」
うなだれる秋山を半ばあきれ顔で見ていると、やや強い風が吹き交番前に掲示されているポスターがめくれ上がった。
勇一はスティックのりを片手に無言で立ち上がると、交番の外へ出た。
一瞬で刺すような熱線が彼を襲ったが、眉一つ動かさず剥がれかけの『熱中症に気を付けよう』と書かれたポスターを台紙に再度しっかりと貼り付ける。
その時だった。
勇一の耳が、やかましいセミの大合唱を突き破り遠くから響く不快な破裂音を捉えた。
(消音器を外した下品な排気音。…十五台、いや十六台くらいか?)
「秋山さん。駅の向こうの方から暴走集団が接近しています」
交番内に戻った勇一の言葉とほぼ同時に、無線機が悲鳴のように声を発した。
『中央署から各局。笹野瀬駅西口交差点付近にてバイク集団が暴走行為を開始。一般車両とのトラブルも発生中。至急、現場へ急行せよ』
「んだよ、このクソ暑い中群れてんじゃねぇよ」
「暑さで理性が吹っ飛んでるのでしょうかね」
ぶつぶつと恨み言を言いながら勇一と秋山はヘルメットをかぶる。
「こういう時の地域課の役目は交通課が来るまで様子を見つつ周囲の安全確保だ。下手に手を出すと危ないからな」
「わかりました」
簡単な打ち合わせの後、交番に外出中の看板を置き鍵をかけて二人の自転車は笹野瀬駅方面へ向かった。
____
笹野瀬駅西口から東口へと渡る跨線橋から続く長い直線道路。
そこはまさに混沌としていた。
派手な日章旗と趣味の悪い絵が描かれた旗をなびかせ、蛇行運転を繰り返すバイクの集団。
彼らはクラクションや音楽を鳴らし続け、周囲の一般車両に向け唾を吐いたり暴言を浴びせたりと威嚇している。
先頭のド派手なバイクを操るのは、金髪を逆立てた少年(三宅翔)。
19歳の彼は親兄弟との不和と将来への言いようのない不安への反発を非行でかき消そうとしていた。
「もっとぶん回せ! ははっ!あいつらの間抜け面が頭に浮かぶぜ!」
彼は後ろをついてきている仲間たちに向け、背負った拡声器で檄を飛ばす。
そして左前方を走る軽自動車に幅寄せをしようとアクセルに力を込めた時だった。
翔が乗るバイクのバックミラーにありえないものが映った。
仲間たちのバイクのさらに後方から、パトカーでも白バイでもない何かが猛烈な勢いで接近してくる。
「……え? チャリ、か?」
虫か何かと見間違えたのだと目を擦ってから再びミラーに目をやると、接近してさらに鮮明にそれが目に入る。
彼のミラーに映ったのは、警察官が自転車を漕ぐ姿だった。
だが、その速度が明らかにおかしい。
時速六十キロ近い速度で走るバイクの集団に、ペダルを回す脚が見えないほどの速度で近づいてくるのだ。
そしてそれはついに翔のバイクに並走してきた。
「こんにちは。笹野瀬駅前交番の紺野です」
風を切る爆音の中でも、なぜか勇一の声は耳元で囁くように明瞭に届いた。
「共同危険行為等禁止違反です。これ以上の暴走行為はあなた方の命とこの街の安寧を著しく危険に晒します。速やかに停車してください」
驚く翔を淡々と諭す勇一。
それが少し気に障ったようで、翔が負けじと吠える。
「ふざけんな! 誰だテメェは!!気持ち悪りぃんだよ!!」
勇一を振り切ろうとアクセルをいっぱいに捻って加速する。
だが、勇一は涼しい顔でその加速についていく。
「エンジン音に迷いの感情が混ざっています。本当はこんなことやりたくないんじゃないですか?」
「うるっせえええええええええ!!!」
翔は絶叫しながらなおも加速し勇一を置き去りにしていく。
周りの仲間たちもそれに合わせて速度を上げ、翔に付いて行った。
(このままではまずい…)
平日の昼間とはいえ市内中心部のメインストリートだ。
交通量は多く、そんな中猛スピードで走るバイク集団はもはや凶器に等しい。
勇一はバイクの集団の中に再び飛び込んだ。
高速で移動する密集したフォーメーションの間をまるで水の中を泳ぐ魚のようにすり抜けていく。
「な、なんだよこいつ……! あ、危ねえ!」
「こいつに気を取られてブレーキかけると転ぶぞ!!」
混乱する連中を抜き去り、勇一はついに先頭の翔の前に出た。
そして集団全員に向けて呼びかける。
「このままではこの先のカーブで曲がりきれず歩道に突っ込みます。みなさん、私の背中から目を離さないでください」
そう言うと勇一は自転車のハンドルを片手で握り、もう片方の手で警棒を伸ばして高く掲げた。
それはかつて大平原で魔族の大群との戦いに敗れ、逃げまどい混乱する数百人の生き残りの兵士達を導き救うために振るったスキル『聖旗』。
あの時は聖剣を掲げていたが、果たして警棒でも上手く発動してくれるだろうか。
体内の魔力を右手に集中させると警棒が淡く輝き、勇一の体から微弱なオーラが放たれた。
暴走族たちの荒れ狂っていた心拍数が勇一の落ち着いた鼓動に同調し始める。
不揃いだったマフラー音も、一つの巨大な拍動へと変わっていく。
勇一が迫りくるカーブを前にゆっくりと速度を落とすと、暴走族たちもそれに合わせて減速する。
「よし!そのまま俺に付いてこい!!」
気付けば勇一の口調は普段の大人しいものから数百人の兵士を導く指揮官のそれに変わり、目は黄金色に輝いている。
暴走族たちはいつの間にか彼を警察官ではなく自分たちを先導するリーダーとして認識し、吸い寄せられるように一列に整列し始めた。
その様子は、先頭が自転車ということを除けばごく一般的なツーリングの集団にしか見えない。
いつしか騒音は消え、そこにはただ行き交う車が夏の風を切る音と、にぎわう普段の街並みが残った。
「おいぃぃ、どこまで行くんだ紺野ぉぉ!」
ついでに、取り残された秋山の叫びも。
__
勇者は、集団をそのまま中央署の地下駐車場へと誘導した。
本来なら逃走を図るはずの非行少年たちが誰一人として列から外れず駐車場に侵入し、規則正しく整然とバイクを停めエンジンを切る。
バイク集団が正門から入ってきたのを目撃した交通課の警察官たちが慌てて地下駐車場に降りてきた。
「13時45分。共同危険行為等禁止違反その他諸々の疑いのある全車両、取り押さえを完了しました」
勇一は自転車を降りると腕時計をちらりと見やってから交通課の巡査部長に報告し、ようやく一息つく。
ふぅ、と息を吐いた割に彼の服には汗染み一つ付いていなかった。
翔はバイクから降りた後、呆然と自分の両手のひらを見つめていた。
「……俺、こんなに清々しい気持ちで走れたの初めてだ。いつもはいろいろとブチ壊したくて、叫びたくて走ってたのに。あんたの背中を見てたら安心するというか、なんか全部どうでもよくなった」
周囲の仲間たちも翔の言葉にウンウンと頷いた。
誰もがさっきまでのトゲトゲしい雰囲気はなく、年相応のさわやかな表情をしている。
勇一は翔に近づき、いつもの穏やかな口調で語りかけた。
「心に秘めた様々なエネルギーを破壊衝動で発散するのは簡単ですが、取り返しのつかないことになる前にここにいる皆さん全員、次からは正しい心でそのハンドルを握ってください」
翔はその言葉を噛み締めるように俯き、一度頷いた後に勇一の方へ顔を向けた。
「!」
その目には反発の感情はなく、力強い決意に満ちた光がある。
それを見た勇一はもう安心と言わんばかりに微笑むと、少年たちを交通課へ引き継ぎ中央署を後にした。
_その道すがら、ふと隣にいつもいるはずの上司の姿がないことを思い出す。
「あ。秋山さんのこと忘れてた」
「下手に手を出すな」という命令を無視した上に、その場にほったらかしにして中央署まで来てしまった。
(これは久しぶりに怒られるな…)
しまった…と額に手をやり、(多分)秋山が戻っているであろう駅前交番への道を再び走り出した。
___
数日後。
駅前交番にいつぞやのライオンヘアが嘘みたいに頭を丸めた翔が父親と共に謝罪に訪れていた。
「……紺野さん。俺、勉強して自動車整備士の学校を受験しようと思います。親父や兄貴みたいに司法の道に進むのは無理だけど、これなら二人に負けないから」
「それがあなたの心に従った結果なんですね」
翔はまっすぐ勇一を見て頷く。
「でしたらもう私から何も言うことはありません。目標に向かって進んでください」
勇一と握手をしたあと、立ち上がった翔は父親と再び頭を下げ交番から出て行こうとすると、不意に翔が立ち止まり振り返ってやや照れ気味に口を開いた。
「あの、よかったら今度あいつらも一緒にツーリングに行きませんか?」
「いいですよ。ただし、バイクは純正に戻してくださいね。あと、私はバイクに乗れないので自転車でもよければ」
勇一の返事を満足そうに聞き、今度こそ二人は去っていった。
__
翔が去った後、秋山が冷えた麦茶を勇一に差し出す。
「…交通課の奴らが交機のプライドがボロボロにされたって愚痴ってたぞ」
勇一は秋山に軽く会釈をしてお茶を受取り、一口飲んで口を開く。
あの日『聖旗』で鼓動がリンクしたときに伝わってきた彼らの感情を思い出した。
親との不仲、友人関係、将来への不安、交際関係。
皆それぞれ様々な悩みや思いを抱えていたようだ。
「彼らに必要なのは、罰則よりも正しい背中を見せてあげることだったのではないでしょうか。交通課には交通課の、私には私なりのやり方があるというだけです」
「……お前、たまーに警察官らしいこと言うよな」
「失礼な。私はいつも警察官として振る舞っているつもりです」
「命令無視。独断専行。置き去り。へぇ、警察官らしさがなんだって?」
階級章に手を当てる勇一に秋山がいたずらっぽい笑みを向けると、勇一は「おっと、植木鉢に水をやらねば」とそそくさと外に逃げて行った。
_あの日、交番に戻った勇一を待っていたのは大雷を纏い怒り狂う雷神ではなく、
「おぉ、おつかれ」
と飄々とした様子で肉まんを頬張る秋山の姿だった。
勇一はかなりの大説教を覚悟していただけに拍子抜けしてしまったが、
「ブチギレすぎて一周回ってしまっているのではないか」
と疑い、差し出された肉まんに口をつけるのが憚られた。
しかし、しばらく観察していると本当に怒っていないようで、意を決して秋山に怒っていないのか?と聞くと
「なんで?暴走バイク集団をけが人や事故なく収めたんだからお手柄だろ。ほら、肉まん食え。冷めるぞ」
と、勇一が持つ肉まんを指さして笑っていた。
ただ、独断専行についてはヤナさん相手だと五回くらい殺されてるから気をつけろと釘は刺されたが。
(__ほんと、ありがたいな…)
秋山の柔軟な思考が勇一の突飛な動きや浮世離れした言動を締め付けず、『それが正義につながるならば』と存分に発揮できる環境を作っている。
もし、ペアが柳井だったらここまで自由に行動はできていない。
今の居心地の良さは秋山の存在無くしてはなかっただろう。
ちらりと交番の中を覗き見ると、秋山はやはり扇風機にあたりながらデスクで溶けている。
勇一は植木鉢に水を遣るついでに交番の前に打ち水をした。
蒸発する水が一瞬だけ周囲の熱を奪い、涼やかな風を交番に呼び込む。
溶けていた秋山がその空気を感じてのそりと起き上がり、外に出てきた。
「一瞬涼しかったけど、湿度が上がって不快感が半端ない」
「文句ばっかりで忙しい人ですねほんとに」
日差しを食らってよろける秋山の足元にビビビと水を撒く。
このまま午後の巡回に行くか。と秋山が言うので、勇一は散水ホースを片づけるため裏の倉庫に向かった。
頭上の街路樹の枝ではセミが声高く歌声を上げている。
倉庫の扉を閉め、表に戻ると自転車にまたがり意外と元気そうな秋山がいた。
「それどうしたんです?」
首元を見ると小型ヘッドホンのような形をした扇風機がフル回転し、ブィィンと羽が回転する音がやかましく響いている。
「良いだろ?Amazonesでこの前見つけたんだ」
「警察官が冷感グッズを身に着けてパトロールしているって苦情が来ませんかね?」
「そんなこと言うやつは公務執行妨害で逮捕してやる」
「要件満たしますかねぇ…」
二台の自転車が今日も街の平和を守るため、容赦ない日差しに焼かれたアスファルトから陽炎が立ち上る道を走り去って行く。
「よし紺野、かき氷食いに行こう」
「それこそ苦情もらいますって…」
三宅翔
父は司法書士、兄は県外国立大の法学部。
必然的に弟の翔も法の道に進むことを期待されるも大学受験に失敗。
予備校もさぼりがちになりつい非行に走ってしまいましたが、根はやさしい少年です。
約束通り勇一が完全休みの日を狙って一緒にサイクリングに行きました。




