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14話 ルーペ


笹野瀬市中心部から少し外れの一画。

奇跡的に先の大戦で行われた空襲の被害を免れた古い住居が立ち並ぶ住宅街でひときわ目立つ大きな日本家屋の周囲に黄色い規制ラインが何重にも張り巡らされ、パトカーの赤色灯が静かな街並みでくるくると回っている。


「空き巣にしては荒らし方が異常だな」


秋山が室内の惨劇を見て呟いた。

玄関からまっすぐ伸びる廊下。

その床板が執拗に破壊され、床下基礎の地面が丸見えになっている箇所がいくつもある。


どうやら奥のリビングの床も同様に破壊されているらしい。

箪笥の引き出しや戸棚など、通常空き巣で狙われるような個所には手をつけず、破壊された床板の穴から覗く床下の地面には掘り起こされた形跡が残っていた。


「おそらく床下に埋められた物を狙われたのでしょうね。廊下とリビングしか破壊していないことを見るに犯人はある程度確信を持って犯行に及んだのではないでしょうか」


しゃがみこんで床に落ちている床板の破片を手に取りながら分析する勇一。


「おいおい。勝手に現場を判断するのは感心しないな。それと、木クズだろうと現場の物をむやみに触るな」


勇一の背後から低く鋭い声が響く。

振り返ると、アルミケースを携えた瘦身の男性が立っていた。

笹野瀬中央署鑑識課の山根やまね巡査部長だ。


「山根さん、お疲れ様です」


秋山が苦笑を浮かべながら山根に挨拶すると、ふんと鼻を鳴らし細く吊り上がった目で勇一をキッと睨む。


「秋山。こいつが例の新人か。腕っぷしはいいようだが、無神経に現場の物に触るような奴は邪魔になるだけだ。下がってろ」


少し頬のこけた顔に掛けた丸眼鏡をきらりと反射させながら冷たく言い放ち、もう一人の鑑識官と共にリビングへ消えて行った。


「相変わらず厳しいねぇ...」

「秋山さん、今の方は?」


山根は五名いる中央署鑑識課の最古参の人物で、経験や実績を考慮するととっくに鑑識課長や県警本部鑑識官になっていてもおかしくないのだが「現場を離れたくない」という理由で昇進や異動を固辞し、現場一筋で生きている人物だ。


「知らなかったか?まぁ、一言で言うと中央署一の偏屈インテリ丸眼鏡ってとこかな」

「ものすごく悪口に聞こえるのですが私の気のせいでしょうか」


見た目や言動からも伝わる通り非常に細かく完璧主義者かつ潔癖な性格の人物で、数年前には殺人事件の現場視察に訪れた県警本部長を


「ズカズカと現場に入ってくんじゃねぇ!!」


と怒鳴り上げ、いろんな意味で現場を震え上がらせたこともある。


「山根さんは何年くらい鑑識課におられるのですか?」

「さぁなぁ、俺が配属された時はすでに偏屈インテリ丸眼鏡って呼ばれてたから、少なくとも二十年以上はいるんじゃねぇか?」

「二十年以上...」


転生して以来ずっと勇一の頭の片隅に引っかかっている、十六年前の()()()()のことを知っているかもしれない。


「これは何としてもお近づきにならねば...」

「え゛っ?!今の話に仲良くなりたい要素あったか...?」


鑑識課希望とは聞いたことないけどな?と考え込む秋山だったが、勇一としては本来の()()()()が警察官を志したきっかけ。

()の本懐に近づけるかもしれないチャンスが早くも訪れた。


勇一の心の底で密かに『山根部長と仲良くなろう大作戦』が幕を開けたのだった。


善は急げとばかりに早速リビングを覗いてみると、ヘアキャップをかぶり手袋とマスクをつけた山根が這いつくばって床をルーペで観察し、ピンセットで細かな破片などを袋に収めている姿があった。


「山根さん。何か見つかりましたか?」

「話しかけるな。気が散る」


山根に背後から声をかけるも、こちらを一瞥もせず拒絶され秋山の隣に一旦戻った勇一だったが、数分後めげずに再トライ。


「山根さん。何かお手伝いできることはありませんか?」

「ない。消えろ」


『取り付く島もない』とはこのことを言うのだろう。


一刀両断され撃沈の勇一は部屋の隅の方を向いて小さくなっている。


「何やってんだお前...」

「秋山さん、人間関係というのは難しいものですね」


勇一が体操座りでどんよりしていると一通り物品収集を終えた鑑識二人がリビングから出てきた。


「__では戻ってから早速分析ですね」

「あぁ、足跡も残さないような慎重なホシだ。今のうちに嫁さんに連絡しておけ、すぐには帰れんぞ」


秋山はお疲れ様です。と言いながら敬礼で見送ったが、丸まっていた勇一がピクリと反応し、山根の方へ顔を向けた。


「山根さん、今、なんとおっしゃいましたか?」


山根は立ち止まり、勇一の方へ顔を向ける。


「...人の家庭の話だ。お前には関係ない」

「違います。その前です。足跡も残さないような、と言われましたか?」


立ち上がった勇一が山根の方へゆっくりと近づきながら質問を続けた。


「...靴跡どころか靴下の繊維痕もない。裸足で歩き回ったんだろう。戻って収集物品から手がかりを見つけるんだ。時間がない。邪魔するな」


そう言い放ち、踵を返して玄関に向かおうとする山根に勇一が決定的な言葉をぶつける。


「足跡ならそこら中にありますが...?」

「......何だと?」


山根が再び振り返った。


「足跡なんぞどこにもないじゃないか。新人風情が適当なことを言うな」

「しかし、現に山根さんが今立っている所にもありますよ?」


勇一が山根の足元を指さすと、山根は下を向いてゆっくりと足を上げる。


「私は足跡を踏まないように動いていましたが、皆さん普通に踏まれるのでてっきりさほど重要視しないものかと...」

「えっ?!紺野、俺も踏んでた?!」

「はい、かなり」


両足を上下させて慌てた様子を見せた秋山に、勇一はにこやかに答えた。


「ほう...言うじゃないか、新人。ではその俺たちが踏みつけている足跡とやら、見せてもらおうか」


若干の苛立ちを感じさせるような挑戦的な態度で山根が勇一にチョークを手渡すと、勇一は迷いなくチョークで足形をなぞっていく。

二人の対決(?)を秋山が眺めていると、周囲にいた他の警察官たちも「なんだなんだ?」と集まってきた。


「今近くにあるものだと、ざっとこんなもんですかね」


勇一は山根の足元含め、自分の近くにいくつかの白い円形を描いた。


山根は何も言わずに勇一を見ながらしゃがみこみ、チョークで描かれた足跡の一つに顔を近づける。


「やはり新人の戯言か...適当に囲っただけじゃないのか?」


改めて見ても何もわからないようで、さらに苛立ちの感情を勇一に向ける。


「見えませんか...では山根さん。今持っている中で一番高倍率のルーペでもう一度見てください」

「ふん、いいだろう。もう少し付き合ってやる」


山根は胸ポケットから銀色のペンのような形をしたルーペを取り出し、再び床に顔を近づける。


「...?!これはっ!」

「床が一定間隔でへこんでいるのがわかりますか?」


しゃがんだ勇一が、山根の見る先を指さす。

山根が用いた高倍率ルーペで床の表面を見ると、勇一が囲った線の内側に直径1㎜程のごく微細なへこみがいくつも浮かび上がったのだ。

へこみはあまりにも浅く、まったくと言って良いほど肉眼では見えない。


「お前...なぜこれが見える...?」

「えぇ、まぁ、視力は良い方でして」


良すぎだろ...。

とその場の誰もが心の中で総ツッコミを入れる。


勇一は続けた。


「床は恐らく近年に張り替えられたものだと思いますが、傷付きにくい非常に硬質なものが用いられています。そこに目を付けた犯人は、足跡が残りにくい特殊な靴で侵入したものと思われます」


昔訪れた街の領主の屋敷によく似た見た目の床板が敷かれていたのを目にしたことがあった。

確か、キングフィーゲルという名の木から作った床だったと記憶している。

領主は床を指差し「これは最高級木材の床で、甲冑姿の騎士が歩いても傷がつかない」と得意げに語っていた。


「こいつは、スパイクシューズだ」


勇一が解説をする間もずっと床のへこみを見ていた山根がつぶやく。


「スパイクシューズとは?」

「業者が床にワックスがけをするときに履く、靴底全体に細いピンが立ってる靴だ」


一般住宅で使われることはまれだが、学校やオフィスなどで床にワックス施工をする際、施工者の足跡が残らないように金属製のピンがついた靴を履く。

床に付いたへこみの配置はその特徴に当てはまっていた。


「なるほど、おそらくピンの先に小さなゴムもつけていたのでしょうね」

「あぁ。いくら固いオーク材の床とはいえ、金属むき出しならもっと顕著にへこみが出るはずだ」


気付けば二人は足跡をはさんで顔を突き合わせ、ああでもないこうでもないと活発に意見交換を行っている。

山根は今までの冷たい態度が嘘のように興奮気味な様子だ。


「いいか、スパイクシューズは慣れてない奴が履いたらすぐ転んでしまうようなものなんだ」

「つまり日頃履き慣れている人物が怪しいというわけですね」


山根は無言で頷いた。

勇一が秋山の方へ顔を向けると、秋山は何も言わずに近くにいる別の警察官に指示を出す。


「家主に最近ハウスクリーニングか何かの業者が出入りしたか確認しろ」

「了解しました!!」


外で様子を見ていた家主の話によると壁紙の張替えで最近来た業者につい、床下に埋められたもののことを口走ってしまったらしい。


ひとまずその時施工に訪れた人物を重要参考人として確保するよう動くこととなった。

生活安全課や地域課の聞き込み調査と、鑑識による証拠物品分析を経て犯人像を絞り込んでいくというプロセスをすっ飛ばして、一気に問題解決に近づく。


急いで業者のもとへ向かっていくパトカーを秋山と見送っていると、山根が勇一の横に並んできた。


「...なかなかやるじゃないか()()


山根は勇一を()()ではなく初めて名前で呼んだ。

秋山ともう一人の鑑識課員は目をひん剥いて驚いている。


「当然盗まれたものも目星はついてるんだろ?」


今のところ盗品については家主から簡単に事情を聴いた生活安全課の数名と、鑑識課の二人にしか知らされていない。


「えぇ、床下に埋められていたのは金塊ですね」

「ふっ、お見通しか。なぜわかった?」

「以前金貨が入った箱を開けた時と同じ匂いが床下に残っていたので、すぐわかりました」


魔王討伐の旅に出たばかりのころ、初めて見つけた宝箱を開けた時の独特な金属の匂い。

さっき床下を覗き込んだときに鼻の奥に染みついていたあの匂いを感じ、何とも懐かしい気持ちになった。


「匂い...ははっ、金を匂いで判別した奴は初めてだ。これは面白いのが入ってきたものだな秋山」

「えぇ、こいつが期待の新人の紺野です。どうです?腕っぷしだけじゃないでしょ?」


山根は秋山にそう返されると「これは参ったな」とばつが悪そうなしぐさを見せながら照れくさそうに笑った。


「なんだ、山根さんも人間らしい反応するじゃないですか」

「そりゃ俺も人間だからな。()()()()()()()()()でも笑うときは笑うさ。なぁ秋山?」

「いっ!?」

「聞こえていないとでも思ったか!」


山根は秋山の肩を鷲掴みにしてニコニコしているが、おでこには青筋が見えているような気がした。

掴まれた肩からはミシミシと音がしている。


「いだだだだだ!!握力強っ!これじゃ偏屈インテリ丸眼鏡ゴリラだ!!」

「なんだと?」

「ア゛ーーーーーー!!」


さらに力を籠められ悶絶する秋山を見て周囲が笑いに包まれた。

山根にはファーストコンタクトでの冷たさや絡み辛さはない。


はたして『山根部長と仲良くなろう大作戦』は成功(?)したと言えるのだろうか。



静かな町並みに秋山の絶叫がこだまして消えていった。



__



後日。

重要参考人として署に連行した住宅リフォーム業者の男が住居侵入、器物損壊、窃盗の疑いで逮捕された。

あの家を訪れた際、家主は世間話のつもりだったようだが「この家には先祖代々伝わる金が埋めてある」と聞いたことで犯行に至ったそうだ。


「__盗まれた金塊はそいつの車の中にそのままあったみたいだな。五百グラムだったぞ」

「ということは現在の時価総額でおよそ一千三百万円相当ですね」

「足跡に気付かれる前に換金して県外に逃げるつもりだったらしい」


駅前交番でお茶を飲みながら山根が勇一に先日の一件の顛末を語っている。


「あのさぁ!!なんで普通に来て普通に話してるのさ!」

「お前に用はない。俺は紺野と話しに来たんだ」

「...チッ!」


突然ふらっと入ってきて当たり前のように勇一の前に座って話し込む山根。

秋山の野次ににべもなく答える。

勤務形態が交番とは異なるが、今日は通常休みの日らしい。


「本当にそれだけのために来られたのですか?」

「そうだ。...と言うのは冗談で、これを渡しに来た」


山根は鞄から細長い箱を取り出して勇一に渡した。

「開けてみろ」と促された勇一が包み紙を開くと_


「これは、あの時の」

「あぁ、俺がいつも持ち歩いてるのと同じルーペだ」


箱の中には先日山根が床のへこみを見るときに使っていたペン型のルーペが入っていた。

なぜ?と戸惑っている勇一を見て山根がフッと小さく笑った。


「ウチの鑑識課員は全員お揃いで持ってるんだ。どうだ?お前も鑑識課に来ないか?」


どうやらこの男、勇一をスカウトに来たらしい。

秋山が少しだけ前に出て「こいつはやらねぇぞ」とアピールをしている。


「私は...地域の方々と密接につながっている今の環境が気に入っています。お気持ちはありがたいのですが、これはお返しいたします」


勇一はルーペを箱に収め、そっと山根の前に差し出した。

それを受けて山根が噴き出して笑った。


「ははは!冗談だよ冗談。これは俺からの挑戦状兼プレゼントだと思ってくれ。またいつかお前の目と勝負しよう」

「ルーペは特に必要はありませんが、そういうことでしたらありがたく頂戴します」


再び差し出された箱をしっかりと受取り、デスクの隅に置いた。


「フッ、かわいくないな。まぁいい。ではこのあたりで失礼させてもらうよ」


湯呑に残っていたお茶を飲み干し、席を立つとそのまま開けっ放しの出入り口から通りへと出ていく。


「...!」

「あ、おい紺野!」


その時、突然勇一が何かを思い出したかのように山根の後を追い一瞬で姿を消した。


「山根さん!」

「うぉ!!...驚かせるな。何の用だ?」


勇一は驚く山根にあの質問を投げかける。


「十六年前に笹野瀬市の郊外で起きた夫婦の()()()()()()()について何かご存じないですか?」

「十六年前...?ガス中毒死...」


山根は顎に手を当ててふむ、と考え始めた。


「もしかしてあれか...?殺人事件疑いで臨場したが突然...」

「...!何か覚えているのですか?!」


なにかひらめいたようにぼそぼそとつぶやき始める山根。

勇一はすかさず問いただす。


「あ、あぁ。昔、夫婦が亡くなった現場に臨場したことがあるんだ。ただ、検証を始めようとしたとたんに解散させられてな」

「解散させられた...誰にです?」


あぁ。と指をぴんと立て、山根が説明する。


「県警本部の機動鑑識官だ。奴らは現場検証においてかなり高い権限を持ってる。新任の機動鑑識官に警視正が怒鳴られたりもするんだぞ?」


実は鑑識には二種類ある。

地域の警察署の刑事部に所属する鑑識課と、県警本部執行隊に属する鑑識、通称機動鑑識。


山根達のような刑事部の鑑識官たちは交通事故や空き巣などの比較的簡単な事案から殺人事件まで幅広い現場に臨場するのに対し、機動鑑識官はその中でも速やかに行動し早めに手を打たなければならないような重大事案に対処するのが主だ。


「結局県警本部担当に切り替わったし、あの時はそれ以外にも忙しくて事の顛末は気にしていなかったんだがそうか、大袈裟に出張ってきた割に事故だったのか」

「私は、そうは思っていません」


何を...?といった様子で勇一に顔を向けた山根だったが、その表情を見て再び何かを思い出したように顎に手を当てる。


「十六年前...雨、男の子。確か、被害者の苗字はこん......!まさか、お前?!」


パッと勇一を見ると、左目から一筋の涙が流れていた。


「!?どうして涙が...?」


勇一も無意識のようで、戸惑いながら涙をぬぐっても流れ続ける。


(これは...()()()()が泣いているのか?)


「そうか、あれは、お前だったのか」

「...そのようです」


今の勇一には体験としての記憶はないが、身体は覚えているらしい。


「まぁ、そうだな。あまり思い出したくないだろうから記憶も曖昧になるよな」


思い出さなくて良い。

という山根の気遣いも今の勇一にはありがたく感じることができない。

改めて、自分は別の世界の人間であることを実感し、少し寂しくなる。


「ま、本部の鑑識にはあまり首を突っ込めないが、何かあったら俺に相談すると良い。力になろう」

「はい。ありがとうございます」


だが、山根という味方を得ることができた。

まだまだあの日の真実には遠いが、ほんのわずかに道ができたような気がした。


山根はポンポンと勇一の頭を優しく叩くと、駅へ続く道に消えていった。


(まだ時間はかかりそうだけど、もう少し待っててくれ...)


胸に手を当て心の中でつぶやくと、呼応するように左目の涙が止まった。


山根を見送ってから交番に戻ると、秋山がルーペを紙に押し当て覗き込んでした。


「おぉ、ずいぶん長話だったな。それより紺野、これすごいぞ!紙の繊維まで丸見えだ!」


初めて見る高倍率ルーペの景色にキャーキャーと興奮する秋山。

まるで小学生のようだ。


「...秋山さんを見るとなんか、安心します」

「あぁ?どういう意味だよ」

「いえ、何でもありません。さ、定期巡回の時間ですよ」

「おぉ、そうだな」


秋山はルーペを勇一に渡すと、ヘルメットをかぶった。

勇一は受け取ったルーペを胸ポケットに挿し、自転車に乗った。


「さ、出発だ」

「了解です」


二台の自転車が日が傾き始めた街並みへ滑り出す。

胸ポケットのルーペが西日を反射してキラリと輝いた__



山根清弘(きよひろ)(51)

全体的に細長い。

趣味はクワガタムシの飼育。

カブトムシよりクワガタ派。


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