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破談を頼まれた身代わり見合いで、縁談嫌いの辺境伯と秘密の同盟を結びました  作者: あずきまんま


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第3話_湖畔の昼餉と揺らぐ約束

湖岸のハーブ園から別荘へ戻ると、ちょうど正午を告げる鐘の音が遠くの村から風に乗って届いた。


執事のセバスチャンに案内されたのは、別荘の東側に張り出した全面硝子張りのサンルームだった。白樺の木漏れ日が差し込む丸テーブルの上には、気取らない白い麻のクロスが敷かれ、香ばしい匂いを立てる料理が運ばれてきた。


「見合いの席だからと堅苦しい宮廷料理を並べても、お互い肩が凝るだけだろうと思ってな。今日はうちの領地の料理人に、北方領の家庭でよく食べられている昼餉を作らせた。口に合うといいんだが」


レオンハルトに勧められて席に着いたクレアの目の前には、澄んだ琥珀色の野菜スープと、先ほどハーブ園で見たばかりのローズマリーを添えて香ばしく焼き上げられた白樺湖の姫鱒、そして焼きたてのくるみ入りライ麦パンが並んでいた。


「まあ、とても美味しそうですわ! いただきます」


クレアがナイフとフォークを手に取り、姫鱒の身を一口頬張ると、ふっくらとした白身の甘みと爽やかな香草の風味が口いっぱいに広がった。


「身がふわふわで、皮はパリッとしていて本当に美味しいです! この少し酸味のある白いソースも、お魚によく合いますわね」


「それはサワークリームに刻んだディルと山わさびを少し混ぜたソースだ。北の領地では川魚やじゃがいもにたっぷりかけて食べるんだが、王都の貴族には『田舎くさい味だ』と敬遠されることが多くてな。そんなに美味しそうに食べてくれると、料理人も喜ぶ」


クレアが目を細めて味わう姿を眺めながら、レオンハルトは嬉しそうに自分のパンをちぎった。


食事を続けながら、クレアはふと、パン籠の中に二種類のパンが入っていることに気づいた。一つは香ばしいくるみと蜂蜜が練り込まれた柔らかいパンで、もう一つは端の方の少し硬そうな素朴なパンだった。クレアは何気ないいつもの癖で、くるみの少ない端の方のパンへと手を伸ばした。


すると、レオンハルトの視線がその手元でぴたりと止まった。


「……クレア。どうしてそちらの端のパンを取るんだ。先ほどから見ていると、スープの具も、付け合わせの温野菜も、一番控えめなものばかりを選んでいるように見えるが」


思いがけない指摘に、クレアはパンを持ったまま小さく肩をすくめた。


「えっ……あ、いえ、その……特に深い意味はないのですけれど、普段からの習慣といいますか……」


ミルトン男爵家の食卓では、見栄えの良い料理や甘い焼き菓子はすべて長女のディアナが優先的に取るのが当たり前になっており、クレアが先に良いものに手を伸ばせば、母から「図々しい子ね」と睨まれるのが常だった。だから、無意識のうちに一番端のものや残りものを選ぶ癖が染みついていたのだ。


クレアが言葉を濁したにもかかわらず、レオンハルトはそのわずかな表情の翳りからすべてを察したようだった。


彼は自分の手元にあった、くるみと蜂蜜がたっぷりと入った一番美味しそうな焼きたてのパンを取り上げると、クレアの皿の上へとそっと置いた。


「クレア。君の家でこれまでどんなふうに扱われてきたのか、俺にはおおよそ想像がつく。今朝だって、自分の意思とは関係なく姉君のドレスを着せられ、都合のいい身代わりとして送り出されたのだろう」


レオンハルトの琥珀色の瞳が、穏やかだが揺るぎない強さでクレアを見つめた。


「だが、ここでは誰に遠慮する必要もない。君は優しい女性だが、周りの顔色を見て自分の望みを飲み込みすぎる癖があるようだ。……少なくとも俺の前にいる時くらいは、一番美味しそうなパンを最初に取って、自分が本当に欲しいものを『欲しい』と言ってくれ。俺は、君が我慢する顔ではなく、心から満足して笑う顔が見たいんだ」


静かなサンルームに響いたその言葉に、クレアは胸の奥がきゅうっと締めつけられ、視界がわずかに潤みそうになるのを必死で堪えた。


これまで十九年間、家族の誰一人として「あなたが我慢しなくていい」「本当に欲しいものを選んでいい」などと言ってくれた人はいなかった。誰もがクレアの譲歩を当然のものとして受け取り、感謝すらされなかった日々。それを、今日出会ったばかりのこの人は、たった数時間の仕草だけで見抜き、こんなにも温かく肯定してくれたのだ。


「……ありがとうございます、レオンハルト様。では、遠慮なくこちらの一番美味しそうなパンをいただきますわ」


クレアが微笑んでそのパンを口に運ぶと、くるみの香ばしさと蜂蜜の優しい甘みが、心の奥までじんわりと染み渡っていくようだった。


昼餉を終えた二人は、二階にある湖を見渡す図書室へと移り、紅茶を飲みながら北方領の風景画や古い地図を広げて語り合った。


レオンハルトが見せてくれた水彩画には、夏には一面のラベンダーと白い蕎麦の花が咲き誇り、秋には黄金色の麦畑と紅い楓が山々を彩る、息を呑むほど美しいオルコット辺境伯領の四季が描かれていた。


「冬は確かに雪深いが、暖炉に白樺の薪をくべて、領民たちと一緒に春を待つ時間も悪くないものだ。……どうだ、最初に俺が応接室で脅かしたような『退屈で荒涼とした地の果て』ではなかっただろう?」


「ええ、まるで絵本の中の国みたいに美しい場所ですわ。こんな素敵な景色を毎日見られるなんて、オルコット領の方々が羨ましいくらいです」


同じ画集を覗き込みながら笑い合ううち、二人の肩が触れ合うほど距離が縮まっていた。


ふと壁の柱時計に目をやると、針は午後三時を回っていた。窓の外の陽射しが少しずつ傾き始め、伯母であるマチルダ大夫人が到着する夕方の時刻が近づいている。


(あと一時間もすれば、大夫人様がいらっしゃる……。そうしたら、最初の約束通り、レオンハルト様から『円満な破談』を申し出ていただいて、私たちの同盟は終わってしまうのだわ)


そう思った瞬間、クレアの胸に、今まで経験したことのないほど冷たくて切ない痛みが走った。


朝、この別荘へ来た時は、無事に破談になって家へ帰ることだけを願っていたはずなのに。今は、この誠実で温かい青年の隣から離れ、二度と会えなくなることが、どうしようもなく寂しくてたまらなかった。


クレアが思わず画集の端を握りしめて俯いた時、図書室の扉が慌ただしくノックされ、執事のセバスチャンが険しい表情で入ってきた。


「旦那様、お寛ぎのところ恐れ入ります。たった今、王都よりマチルダ大夫人様の馬車が到着いたしました。……ですが、その、大夫人様だけでなく、ミルトン男爵ご夫妻と長女のディアナ様が、後ろから別の馬車で乗り付けてこられまして、今すぐ旦那様と大夫人様にお目にかかりたいと大広間でお待ちでございます」


「何だと……? ミルトン男爵夫妻と、長女のディアナ嬢が自らここへ来たのか?」


レオンハルトが眉をひそめて立ち上がった。隣のクレアも、信じられない思いで息を呑んだ。


今朝、あれほど「北の田舎武人なんて絶対に嫌だ」と嫌悪感を露わにし、クレアに身代わりを押し付けたはずの姉と両親が、いったいなぜ今になって別荘まで押しかけてきたというのか。


不安で顔色を失ったクレアの小さな手を、レオンハルトの大きく温かい手が、力強く包み込んだ。


「怖がることはない、クレア。連中がどんなつもりで乗り込んできたにせよ、君は今日一日、俺と正式に向き合った大切な賓客だ。俺の後ろに隠れている必要すらない、堂々と俺の隣に立っていろ。君に理不尽な思いは、指一本たりとも絶対にさせない」


その力強い手のひらの熱に支えられ、クレアは深く頷くと、レオンハルトと並んで一階の大広間へと向かった。


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