2章8話「覚醒と決着」
暗闇の中で、誰かの声が聞こえた。
――倫太郎……お願い……死なないで……
しずくの声だ。
泣きながら、必死に俺の名前を呼んでいる。
(……しずく……?)
意識は深い水の底に沈んでいるようで、
身体はまったく動かない。
でも、しずくの声だけが、
水面の上から差し込む光のように届いてくる。
――いやだ……いやだよ……
――倫太郎を……奪わないで……
(……守らなきゃ……)
その瞬間、胸の奥で “ 熱 ” が脈打った。
暗闇の中に、
赤い粒子のようなものが、ふわりと浮かび上がる。
光でもない。
炎でもない。
ただ、そこに “ ある ” としか言いようのない何か。
(……これ、なんだ……?)
赤い粒子が俺の胸に触れた瞬間、
“ モノクロ “ の世界が “ 鮮やか “ に色づきだした。
霧が晴れるように、世界の輪郭が一気に鮮明になる。
暗闇が裂け、光が差し込む。
俺は、目を開けた。
視界がぼやけている。
耳鳴りがして、世界がゆっくりと動いているように見える。
だが――
しずくが泣きながら俺の名前を呼んでいるのだけは、
はっきりとわかった。
「……しずく……」
声にならない声が漏れた。
イレギュラーボスが、しずくへ向かって歩き出していた。
巨体が揺れるたびに、地面が震える。
怪物の赤い目が、まるで俺を “ 異物 ” として警戒するように光った。
(……行かなきゃ……)
身体はボロボロのはずなのに、
なぜか動けた。
痛みが薄れ、
視界が研ぎ澄まされていく。
音がゆっくり聞こえる。
空気の流れが読める。
イレギュラーボスの動きが、
まるでスローモーションのように視える。
視界の端で、赤い粒子がふわふわと漂っていた。
(……なんだ……これ……
俺……とうとうおかしくなったのか……?)
それが何なのかはわからない。
ただ、身体の奥で何かが燃えるように熱く、
その熱が急速に広がっていくのだけは感じた。
(……これなら……)
俺は地面に落ちていた片手剣を拾い、
しずくの前へ飛び出した。
――ガキィィン!!
イレギュラーボスの腕が振り下ろされる。
その一撃を、俺は剣で受け止めた。
「……え……?」
しずくが驚いた声を漏らす。
俺自身も驚いていた。
さっきまで受け止めるだけで吹き飛ばされていた攻撃が、
今は耐えられる。
(……なんだ、この感覚……)
身体が軽い。
頭が冴えている。
相手の動きが “ 視える ” 。
イレギュラーボスが唸り声を上げ、
再び拳を振り下ろす。
俺は半歩だけ横にずれ、
その拳を紙一重で避けた。
――スッ。
避けた瞬間、
自分でも驚くほど自然に剣が動いた。
「はぁっ!」
剣がイレギュラーボスの腕をかすめ、
黒い血が飛び散る。
イレギュラーボスが後退する。
(……押し返せてる……!?)
しずくが震える声で呟く。
「倫太郎……こんな動き……今まで……」
俺自身も、何が起きているのかわからない。
ただ――
(しずくを守らなきゃ)
その想いだけが、
身体を動かしていた。
イレギュラーボスが咆哮し、
巨体を揺らして突進してくる。
「来い……!」
俺は剣を構え、
相手の動きを読み切る。
右腕が振り上げられ――
左足が沈む――
肩が開く――
(次は……右のフックだ)
その瞬間、
俺は地面を蹴り、
相手の懐へ潜り込んだ。
拳が俺の頭上をかすめ、
風圧で髪が揺れる。
俺はそのまま剣を振り上げ、
イレギュラーボスの脇腹を斬りつけた。
「グオオオオオッ!!」
巨体がよろめく。
しずくが息を呑む。
「倫太郎……すご……」
だが――
俺は知っていた。
(……これ、長くは続かないな)
呼吸が荒くなり、視界が揺れ始める。
視界の端で、赤いふわふわした粒子のようなものが消え始めている。
それが何なのかはわからない。
ただ、身体の奥にあった燃えるように熱い “ 何か “ が
急速に失われていくのだけは感じた。
イレギュラーボスが怒り狂い、
両腕を振り回して突進してくる。
俺は避ける。
受け流す。
斬り返す。
だが――
「っ……!」
足がもつれた。
一瞬の隙。
イレギュラーボスの拳が、
俺の腹にめり込んだ。
「ぐっ……!」
身体が宙を舞い、
地面に叩きつけられる。
「倫太郎!!」
しずくの叫びが響く。
視界が揺れる。
呼吸ができない。
腕が震えて剣を落としそうになる。
(……まずい……)
イレギュラーボスがゆっくりと近づいてくる。
勝利を確信した獣のように。
しずくが短剣を握りしめ、
必死に立ち上がろうとする。
「やめて!!
お願い……もうやめて……!!
倫太郎を……奪わないで……!!」
「しずく……来るな……!」
声にならない声で叫ぶ。
だが、身体は動かない。
立ち上がれない。
イレギュラーボスが腕を振り上げる。
(……終わる……)
それでも――
(しずくを……守らないと……)
俺は最後の力を振り絞り、
剣を構えた。
――ガキィィン!!
衝撃で剣が折れた。
「っ……!」
次の瞬間、
イレギュラーボスの拳が俺の胸に直撃した。
「ぐはっ……!」
視界が白く染まる。
地面に倒れ込む。
「倫太郎!! いやだ!!」
しずくの叫びが、
遠くで響いている。
イレギュラーボスがしずくへ向かって歩き出す。
(……動け……動け……!)
腕を伸ばす。
だが、届かない。
視界が暗くなっていく。
(守れないのか……)
それでも最後まで
みっともなくあがこうとした
そのとき――
光が差した。
「そこまでだ」
黒鋼先生の声が聞こえた。
次の瞬間、
イレギュラーボスの巨体が吹き飛んだ。
「……せん、せい……?」
しずくが呆然と呟く。
先輩たちも駆けつけ、
戦闘態勢に入る。
しずくは痛む足を引きずりながら、
地をはいずり、俺のもとへ近づいてきた。
「倫太郎……! お願い、目を開けて……!」
その声が震えているのが、
最後に聞こえた。
(……よかった……しずく……無事で……)
視界が完全に暗転する。
しずくの温もりだけが、
闇に沈む俺の意識を、かろうじて繋ぎ止めていた。




