2章5話「しずくの無理と、背後からの影」
◆
翌朝。
俺たちはキャンプ地で簡単な朝食をとっていた。
固めのパンをかじりながら、しずくの様子をうかがう。
少し眠そうに目をこすっているが、昨日よりは落ち着いているように見えた。
「……眠れなかったのか?」
小声で聞くと、しずくは一瞬だけ視線をそらし、
「……ちょっとだけ。」と答えた。
その “ ちょっと ” が嘘なのは、見ればわかる。
(昨日の鳴き声……気になってるんだな)
俺も気になっていた。
あの低い唸り声は、いつものゴブリンのそれとは違っていた。
何かよくないことが起きる気がする。
だが確証がない以上、不安を煽るようなことは言えなかった。
朝食を終え、テントを畳んで荷物をまとめると、
キャンプ地には一瞬だけ静けさが戻った。
皆が水筒の口を閉めたり、装備を締め直したりしている。
「よし! 今日も頑張ろうぜ!」
陽斗が明るく声を上げ、空気が少しだけ軽くなる。
雨宮さんは緊張した面持ちで、クロスボウを構えていた。
しずくは俺の近くに立っているが、いつもより距離が近く、表情は硬い。
不安を隠しきれず、誰かのそばにいたい――そんな気配が伝わってくる。
どこか張りつめたような、落ち着かない空気が漂う中、
黒鋼先生が前に出て、全体に声をかけた。
「演習二日目だ。今日は昨日より奥に潜る。
気を抜くな。疲労は判断を鈍らせて “ いつも通り ” をさせてくれない。
異常を感じたら、すぐに報告しろ」
その言葉に、しずくが小さく肩を震わせた。
俺はそっとしずくの方を見て、うなずく。
「行こう、しずく」
「……うん」
しずくも小さくうなずき返す。
順番に出発していき、前のパーティーの足音が遠ざかる。
通路が静かになった頃、黒鋼先生がこちらを振り返った。
「岡田たち、次だ。行け」
「了解!」
陽斗の声に合わせて、俺たちは通路へと足を踏み入れた。
しばらく歩くと、通路は次第に細くなり、足場の悪いエリアへと入っていく。
岩がゴツゴツと突き出し、ところどころに段差がある。
しずくは昨日の疲労が抜けていないのか、動きが少し鈍い。
「しずく、無理すんなよ」
「……大丈夫」
即答だった。
だが、その声はわずかに震えている。
(意地張ってるな……)
しずくは、本当につらいときほど “ 平気 ” を装う。
皆を不安にさせたくないから、自分の弱さを後回しにする。
その優しさが痛いほど伝わってくるからこそ、余計に心配だった。
そんなとき――
「前方、ゴブリン三体!」
工藤先輩の声が響く。
「倫太郎のパーティー、前に出ろ!
足場が悪い。 陽斗が一体受け止めて、残り二体を分担しろ!
後方のパーティーは援護に回れ!」
「了解!」
陽斗が一体を受け止め、
俺としずくが残り二体を担当する。
「しずく、右のやつは俺が引きつける。左を頼む!」
「……うん!」
返事をしたが、反応が遅い。
攻撃のタイミングが半拍ずれている。
俺がフォローに回り、
雨宮さんが援護射撃を放ち、矢がゴブリンの頭を貫いた。
ゴブリンを倒し終えると、
しずくは悔しそうに唇を噛み、
「……ごめん」と小さく呟いた。
「気にすんな。疲れてるだけだよ」
「しずくちゃん、無理しないでね」
「俺らがカバーするからさ!」
周りが自然にしずくをフォローする。
その優しさに、しずくはほんの少しだけ目を伏せた。
その後も小規模な戦闘が続き、
しずくも徐々に動きが戻ってきたが、疲労は確実に蓄積していた。
(……やっぱり無理してるよな)
しずくの呼吸は荒く、足取りも重い。
それでもしずくは前を向いて歩き続ける。
しばらくすると、前方から金属音と叫び声が響いた。
「前のパーティーが戦ってるな」
戦闘が長引いているせいで、周囲の魔物が集まり始めていた。
「追加で来るぞ!
前方のパーティーは正面の敵で手一杯だ。
俺たちは周囲から集まってくる魔物を引き受けるぞ!」
工藤先輩の声が響く。
俺たちは散開し、周囲の敵を迎え撃つ。
岩場での戦闘は足場が悪く、集中力を削られる。
しずくも敵を一体倒したが、
疲労で体勢が崩れ、よろめいていた。
(しずく……大丈夫か?)
俺が視線を送った、その瞬間――
背後の岩陰から、ゴブリンが飛び出すのがみえた。
「しずく、危ない――!」
目の前の敵を倒して気が緩んでいたところに、
ゴブリンが襲い掛かる。
「――ッ!」
しずくは振り向くが、反応が遅い。
避けきれない。
俺は咄嗟にしずくを引き寄せ、
盾を前に突き出した。
ガンッ!!
衝撃が腕に走り、痺れが広がる。
痛みで顔が歪む。
「倫太郎……っ!」
しずくが俺の腕の中で震えていた。
(くそ……!)
俺が軽傷で済んだのは、ただの幸運だ。
だが――
しずくの中で、何かがぷつりと切れた。
「……よくも……!」
普段は感情を抑えるしずくが、怒りを隠そうともせず飛び出した。
「しずく、待て!!」
しずくはゴブリンに斬りかかり、つばぜり合いになる。
だが動きに精細を欠き、次第に押し込まれていく。
しずくが追い込まれた先は――
通路の端にせり出した細い岩棚。
その先は崖になっていた。
「しずく、戻ってこい! その先は危ない!」
「大丈夫……っ、私だって……!」
しずくが押されるたびに、足元の砂利が崖下へと落ちていく。
その音が、嫌な予感となって胸を締めつけた。
「しずく!!」
次の瞬間――
しずくの足が、岩棚の端を踏み外した。
「きゃっ――!」
しずくの体が、暗い穴へと吸い込まれるように落ちていく。
俺は反射的に手を伸ばした。
「しずく!!」
指先が、しずくの手首を掴む。
だが――
勢いを殺しきれない。
「倫太郎……っ!」
しずくの叫びが耳に響く。
しずくを引き寄せ、離すまいと強く抱きしめながら――
俺たちは、そのまま二人まとめて、底の見えない暗闇へと飲み込まれていった。




