第7話
満希は久しぶりに、朝までぐっすり眠った。
枕のそばに置いたフィルの練香のおかげだと信じた。
リリンは満希の腕にしがみつき、あどけない寝顔でまだ夢の中にいる。
白いふっくらとした頬を、好奇心に負けてつついた。小さな体をさらに小さくして布団の中へ潜った。
贅沢なごちそうのような朝だった。
焼きたてのパンと酸味の強いトマトのようなスープは、表側の世界の料理に少し似ていた。
懐かしいのに違う味が、体に馴染んできていた。
「そういえばフィル。また今度来る時例の薬もお願いしていい?」
「いいよ。今度持ってくるね」
「助かるわ〜フィルの薬は、よく効くから」
まだ寝ぼけ顔のリリンの跳ねた髪を、満希は指先でちょこちょこと直してやった。
食後に店主のサリーに呼ばれ、1階の店内に向かった。
「スカートが出来たから、見てくれるかしら」
サリーは作業台に置いてあった完成したスカートを広げた。
仮縫いのものより、がらっと姿を変えていることに気が付き、満希は声を失った。
「さ、着てみて」
さっそく着替え、胸を高鳴らせながら鏡の前に立った。
わずかなスリットの下に花びらのような大きめのフリルが少しだけ顔を出して、可憐にたなびく。
スカート裾には、新しく金色の刺繍が上品に施してあった。
星屑のように瞬くスカートは、完璧な仕上がりだった。
「……これ」
裾に光る刺繍をなぞると、野草を一本ずつ細かく紡がれているのがわかる。
控えめに輝く装飾は、サリーのセンスと技術のたまものだ。
「私からの餞よ」
刺繍と裾のフリルを大事そうに満希は撫でた。
心細さを忘れてしまいそうなくらい素敵だった。
「ありがとう、ございます」
満希は視界が揺れ、声を震わせて小さく呟いた。
「あなたに霧神様のご加護がありますように」
日が高く昇った頃、満希は仕立て屋の前で困ったことになっていた。
「本当にかえっちゃうの?」
今にも零れそうなほど涙をためたリリンは、満希を見上げた。
満希はもう一泊したくなる気持ちを抑え、そっと呼吸を整えた。
リリンは、まるで今生の別れを惜しむかのようだった。
満希の行先は決まっていないが、山を離れる時がくる。
ただリリンとこれきりになるのは満希にとっても耐え難いほど寂しかった。
「……また来ていい?」
リリンの瞳が弾かれたようにきらきらと輝き、「やくそくね!」嬉しそうに笑った。
小さな身体を抱きしめる満希を、リリンの父であるユランと、フィルは少し離れた場所から見守っていた。
「それで、報告書はできたのか?」
「おかげさまで」
フィルは朝できたばかりの報告書と、グラルドの角の一部を大きな青い使い魔の鞄に詰めた。
こんなに重いと昨日の小さな白い鳥たちに運ばせるのは、さすがに可哀そうだった。
「ちょっと重いけどよろしくね」
フィルが語りかけると、青い鳥は大きな翼を広げ、あっという間に空の彼方へ飛んでいってしまった。
「昨日は居間を借りて、悪かったね。完成できてよかったよ」
「それはいいけど……」
ユランは、愛娘を優しくあやす満希の横顔へと視線を向け、それからフィルを小突いた。
「もう泣かすなよ?」
一瞬、訳が分からずにフィルは固まった。
ユランはニヤニヤとした悪戯っぽい笑みを浮かべている。
ユランに昨晩の満希との様子を見られていたことを察して、フィルは一気に顔が赤くなる。
「な、な、泣かしてない……っ!」
裏返った大きな声でフィルが怒鳴った。
突然村に響いた彼の怒声に、満希はリリンを腕に抱いたまま、「何かあったのかな……?」と不思議そうな目をフィルへと向けるのだった。
大きな荷物を詰め込んだ鞄を背負ったフィルと、満希は山を登っていた。緩やかな坂道が多く、高い山を登るほどキツくはない。
振り返るとずいぶん村は小さくなっていた。
「すごい荷物ですね」
「うん。あまり村には行かないから、まとめて買うんだ」
鞄からは食材や薬草などがはみ出ている。
「私も持ちます」
「……じゃあこれをお願いしようかな」
フィルが満希に渡したのは、昨夜持ち帰ったグラルドの角だった。
削ると薬や香辛料になるもので、一部持ち帰ってきたものだ。
枝と間違えるほど良く似て、腕の長さ程ある。持ちづらいが重くはない。
軽い角を見下ろし、満希は内心また唇を尖らせた。
2人は黙々と歩いていた。
沈黙がおりると昨日のことを思い出し、お互い何を話せばいいのかわからなかった。
山の空気が変わり、満希は振り返った。
布をすり抜けたような感覚があった。
見上げて、不思議な感覚を探すが見つからない。
数歩戻り進んだりしたが、やはり何も無く首を傾げた。
「ぶっ」
盛大に噴き出した声に頭を上げると、先に進んでいたフィルが彼女を面白そうに見ていた。
満希は我に返り、恥ずかしくなる。傍から見ると変な人に違いなかった。
言い訳をするように「ここに……」指をさしてから手をひっこめた。まるで子供のようで満希はさらに恥ずかしくなったからだ。
「……変な感覚がする?」
フィルが言いたいことを代弁し、満希の顔が明るくなる。彼女は何度も頷いた。
「結界の境界線だ。ここから先は、神様の領域だよ」
「境界線……」
満希は違和感を感じる境目を見上げたが、相変わらず何も見えなかった。
「……まあ、普通の人は境界なんてわからないけどね」
満希に聞こえないくらい小さな声でフィルは呟いた。
境界線を通りすぎると、精霊が次第に増えてきた。
村では見かけなかった精霊が、神様の領域内に集まっている。
「そういえば、満希は子供が好きなんだね」
「え?」
思いもよらない質問に満希は素っ頓狂な声がでた。
「……そう、かも?」
考えたことはなかったが、リリンを思い出すと否定する気にはなれない。
「私、姉だからですかね?」
数日前に満希は似たようなことを言っていたことを、フィルは思い出した。
彼女は凛として落ち着いて長女らしい。リリンを気に掛ける姿は献身的で説得力があった。
フィルは、出会ってからの満希を思い出すと、彼女の無防備な姿や昨晩の涙まで思い出し盛大につまづいた。
30分くらい歩くと、見覚えのあるログハウスが見えてきた。
家を包むひんやりとした空気が、不思議と「帰ってきた」ような安心感に変わっていることに気付いた。
フィルは大きな荷物を下ろして、「ただいま~~」身体を伸ばした。
フィルは買い出しや夜中遅くまで仕事をして、思ったより身体が疲れていた。
「(1日徹夜してこんなになるなんて、僕も歳を取ったな)」
ふぅ、と小さく息を吐いた。
「よかったら、今日は私が料理します」
「いいけど……いいの?」
「はい。ゆっくりしててください」
満希は買ってきた食材を抱え、台所へと向かった。
満希は昨日を思い出し自然に笑みがこぼれる。
リリンたちと過ごした時間は、張り詰めていた満希の心を心地よく解きほぐしてくれた。
リリンの涙のために、次はいつ会おうかと考えているとふと視線を感じて顔を上げた。
荷物を下ろしたフィルが、無意識に口元を綻ばせて自分を優しく見守っている。
満希は少し気恥ずかしくなり、逃げるように作業台へと視線を落とした。
いざ調理を始めようとしたが、目の前にあるのは見慣れない食材ばかりだった。
ピンクや黄色の食べ物の匂いを嗅ぐと、甘い匂いに驚いて目を丸くする。
黄色いキャベツ、真っ赤なたまねぎのような野菜たちは、知っているものと僅かに違う。
少し悩んだ末、正しい扱い方もわからないので手探りで進めていくことにした。
「ミツキはよく料理したの?」
フィルは、魔力で動く冷蔵庫のような棚に食品を入れていく。
「人並みにはしてました」
満希は真っ赤な丸い野菜の、分厚い皮をむいた。
「そうなんだ!」
フィルの声が明るくなる。
赤い野菜を包丁で切り、一口食べると玉ねぎよりは苦いが似た味だ。
味は大きく変わらない。だが全く同じ味ではなかった。
「家でスープ以外食べるの久しぶりだなぁ」
サクッ。
黄色いキャベツのような野菜を半分に割り、満希は振り返った。
「……他には食べないんですか?」
「うん。料理はあまり得意じゃないからね」
「あのスープを、一日三食?」
フィルは少し考えてから、朧気に呟く。
「……正確には覚えてないな」
満希は絶句した。
フィルに毎日三食料理を作ってもらっていた身として、不規則な食事をする人だと思わなかった。さらに彼がスープ暮らしをしていたとは、考えもしなかった。
満希はフィルの身体や顔を改めて見た。少し顔色が悪い気もするし、ユランに比べれば細身な体格だ。
彼女は、品数を増やすことにした。
「この卵……食べられるのかな?」
満希は鶏の卵より少し大きな青い卵を持った。
「うん、これはココ鳥の卵。裏庭にいるんだけど、気が強くてね」
満希のひとりごとは、フィルが答えた。
座ってていいと言ったのに、本当に世話焼きだ。スムーズに料理は進んでいるため満希は素直に彼の話に耳を傾けた。
満希は緊張しながら青い卵を割ると、中は濃いオレンジ色をしていた。それは、よく知っている卵と似ていた。
「わ……」満希は青い殻を見比べ小さく呟いた。
フィルが手伝うことはあまりなく、壁にもたれかかりながら、彼女を見ていた。
「(本当に姿勢がいい……)」
満希は何をするにも糸でつられたように姿勢が良かった。
最初は、緊張していると考えていたが、食事もソファで寝ている姿でさえいつも綺麗だった。
姿勢が良く動きは静かなのに、食材にひとつずつ反応している表情はいつもより忙しい。
よっぽど裏側の世界の食材が珍しい様子でフィルは小さく笑い彼女を優しく見守っていた。
「そろそろ焼くの?」
「はい、使い方はリリンちゃんのお母さんに教わってきました」
満希は魔導コンロの前に立った。
今まで使ってきたコンロと違い、魔力によって動くことを教わった。
早速、習ったとおりコンロのスイッチに手を置いてみた。
だが、コンロはうんともすんともしなかった。
「あ」フィルは何かを思いついたように声を漏らした。
「ミツキは、魔力を『流す』っていう感覚がわからないのかも」
満希は身体の中を探るように力を込めたが、やはり動かなかった。
「ちょっと触るね」
そう言って、フィルは満希の指先を手で包んだ。
満希の指先から腕へ、温かい血が巡るような不思議な感覚だった。
フィルの指先を通じてコンロにフィルの魔力が流れ込み、カチッ、と火が灯る。
フィルは弾かれたように、すぐに手を離した。
「(これが魔力……)」
満希は自身の指先を見たが、変わった様子はない。
触れられた指先がやけに熱く感じて、そっと手を握りしめた。
彼の手は、思ったより大きかった。
「これで使えるよ」
「ありがとうございます……えと……」
満希は、何か言いづらそうに言葉を迷っている。
視線があちらこちらと泳いで、フィルの首元に視線を投げる。
「フィル、……さん?」
満希は一度も彼の名前を呼べず、今更呼ぶことが恥ずかしかった。
フィルは一瞬きょとんとしてから、嬉しそうに目を細めた。
「やだなあ、フィルって呼んで」明るく言った。
「……はい、フィル」
満希は優しく笑んだ。
彼女の声は鈴のような音だった。
フィルは自分の名前がきれいだと思ったのは、初めてだった。
それから料理は、滞りなく進んだ。
「すごい、それどうやってるの?」
「巻いてます」
「それは、わかるけど……」
満希は丸いフライパンで、器用に卵焼きを作る。意外と綺麗な形になった。
完成した卵焼きの層をフィルはじっと見ている。
フィルが目を離している隙に、満希はひき肉をこね始めていた。
「どうして肉をこねてるの?」
「丸くするためです」
「……手で、……丸くするの?」
フィルは魔法で肉を丸くしていると思っていたらしく、目を白黒させていた。
しばらくして、完成したつくねと卵焼き。ちぎったサラダに、そして彼のいつものスープを卓上に並べた。
「すごい量!学生の頃に戻ったみたいだ」
彼は目をキラキラさせて嬉しそうにしている。
毎日スープとパンだけの食事に比べれば多いが一般的な量だ。
「ぼく、卵はそのまま焼いてたよ」
フィルは四角いたまごやきを興味深そうにまた見つめて、一口食べた。
満希は彼の様子を盗み見た。
「美味しい!」
少年のように目を輝かせるフィルを見て、満希はほっと胸をなでおろした。
せっせとこねたつくねも美味しかったようで、あっという間に皿は空になったのだった。
後片付けを終えた満希は居間に戻ると、フィルがソファの上で寝ていた。
いつの日かの逆だった。
あどけない少年のような寝顔の彼に、笑みがこぼれた。
お腹がいっぱいになって眠くなったのだろう。
「おやすみなさい」
すぐそばにあったブランケットを、彼にかけた。
彼女は少し迷ったように口を開いた。
「……フィル」
彼女は小さくその名を囁く。
それだけなのに、胸の奥が少しだけくすぐったかった。




