第6話
「さあ、そこに立って」
満希は鏡の前に立つと、仮縫いのスカートをあてがわれた。
切りっぱなしの布の裾を、細い蜘蛛の巣のように布の端々を頼りなく繋いでいる。
「……すごく綺麗な色」
選ばれた布地は、瑠璃色だった。
裾に向かって、海底のような紺色へと変化している。
光の加減で、表面に微かな銀のラメが星屑のようにまたたく。目を凝らさなければ気づかないほど、控えめで上品な輝きだ。
「長さも、これくらいなら」
膝下を覆う丈は、彼女に心地よい安心感を与えた。
店主サリーの指先が背後で細かく動くと、布の表情が少しずつ変わっていく。
「完成させておくから、後日受け取りに来てちょうだい」
満希の顔を見るなりすぐに作られたスカートは想像以上に好みだった。やはり不思議な人だと満希は感じた。
「あの、追加でズボンも……」
「……女の子がズボン?」
店主は不思議そうな顔をしていた。その反応で、この世界では女性がズボンを穿かないのだと満希は察した。
思いがけない文化の違いに戸惑いつつも、大人しく引き下がった。
「お待たせ!終わった?」
軽快な足音と共に明るいフィルの声が店内に響いた。
戻ってきた彼の額は少し汗ばみ息が軽く上がっている。急いで戻ってきたようで申し訳ない気持ちになる。
満希が立ち上がると、リリンが選んだ新緑色のワンピースがふわりと揺れた。
「すごくいいね、似合ってる!」
フィルの瞳がパッと輝いた。
ようやく似合う服の彼女を見て、安堵したようだった。彼につられ、満希も心が軽くなる。
「……お代はいつか返しますので」
「あ、大丈夫だよ。気にしないで」
フィルは店主のサリーから受け取った領収書に、筆を滑らせた。
彼は大きく息を吸いこむと口に指を寄せ、指笛を鳴らす。
突然の音に満希が瞬きを繰り返すと、やがて窓から複数の白い綿毛が飛び込んできた。
丸々とふっくら膨らんだつぶらな瞳の小鳥だった。
「僕の上司にお願いするからね」
フィルが指先を差し出すと、一羽の小鳥がちょこんとそこに乗り、首を傾げた。
「もしかして、ソレ届けてくれるんですか?」
「最短ルートを知ってるんだ。……頼めるかな?」
小さな足に紙をくくりつけ囁いた。小鳥たちは一斉に羽を震わせて飛び立っていく。
彼は精霊だけでなく、生き物たちとも心を通わせているようだった。
しかし、山の守護人の上司とは何者だろうか。
小さくなっていく小鳥達を眺めながら満希は疑問に思った。
「守護人はまだいるか!」
帰り支度中に、表から切迫した声が響いた。
「ここにいるよ」
フィルの声は低く、いつもの柔らかさは消えていた。
「北側の黒霧の森に、グラルドの群れがでた」
村の北側は、降りてきた山の反対側だ。
サリーやリリンも身を固くし、様子を伺っている。ただならぬ緊迫感に、満希は自身の腕を抱いた。
「君はここにいて」
フィルは普段の落ち着いた優しい声で振り返り、ローブを翻した。
過ぎ去る彼の背中は、大きく見えた。
「おねえちゃん」
フィルと村の男達をしばらく見送っていると、リリンが満希を呼んだ。
呼んだ本人は、椅子に座り満希も同じように促した。大人しく従うとサリーがお茶を持ってきた。
サリー達はティータイムの準備の途中だったようで、満希の分も用意されていた。来客用のティーカップからりんごのような甘い匂いが漂ってくる。
「こういうことは、よくあるんですか?」
「時々かしらね?」
「いつもお兄ちゃんがなんとかしてくれるの」
リリンは、お茶を片手にクッキーをリスのように頬張っている。
膨れた頬が可愛く満希は肩の力が抜け、彼女の胸元に落ちたカケラを拾ってあげた。
守護人は多様に仕事があるようだ。
「グラルド……って?」
思い切って満希は尋ねてみた。
「魔物よ」
ティーカップを片手にサリーは嫌な顔をせず口を開いた。
「グラルド自体は危なくないの。ただ、群れをなすと……ちょっとね」
「こんな大きな角を持っててね、本当はおとなしい魔物なんだよ」
安心してティータイムを楽しめるくらいは、事態は深刻ではないようだ。
おそらくフィルが居合わせたことが大きい。
「霧神様もいるから大丈夫」
満希のいた世界に魔物はいない。
日常にすぐに戻れた2人を横目に、満希はしばらく喉になにも通りそうになかった。
仕立て屋の窓から見える山は、空も見えないくらい高く大きな存在感だ。
満希は、祈るように手を合わせた。
日が落ちて霧が濃くなった頃、フィルたちはグラルドの大きな角をたくさん抱えて戻ってきた。
彼らは傷ひとつなく元気に戻ってきたようで満希はやっと安心した。
「今日は二人とも泊っていきな」
サリーは、それだけ言うと仕立て屋の2階へと向かう。
「霧も濃くなったし、お言葉に甘えようか」
「精霊たちは大丈夫でしょうか?」
フィルがいないと知った精霊はどんな反応するか満希は気になった。
「一日くらい家を空けても大丈夫だよ」
大きなシカのような角を抱えた彼は、あっけらかんと言ってみせた。
リリンの両親は、満希達を歓迎した。
リリンの父・ユランはフィルと幼馴染で、2人は楽しそうに話していた。
リリンは満希にべったりで、自分の宝物を並べて熱心に説明していた。
その様子は、健気で愛らしく満希は何度も頷いていた。
その後彼女の母は、ヤギのミルクで作られたスープを振る舞った。
大きな野菜が入ったスープはシチューによく似ていた。
今まで食べてきたどのシチューよりも口当たりがよく、やさしい味がした。
「あっ」
リリンは満希との話に夢中でパンをこぼしてしまい、それを満希が拾った。
両親に怒られると思ったのか、リリンはしょげていた。その姿は小さいころ食べ方を躾けられた自分を思い出す。
満希は拾ったパンを食べてしまうと、リリンは目を丸くし2人はイタズラに微笑んだ。
その様子をフィルは意外そうに見ていた。
「お姉ちゃんと寝る!」
リリンはすみれ色のぬいぐるみを抱えて満希の部屋に入ってきた。
かわいい夜這いに会い、ベッドに誘うと彼女はすぐに寝息を立てた。
ぽかぽかした小さな手は、満希をぎゅっと離さない。愛しさに満ちて、目を閉じた。
しかし今朝のように何度も迎える闇にうんざりして、溜息を吐く。
小さなリリンを起こさないようにベッドを抜け出した。
居間の明かりに安堵し、お水を分けてもらえないか家主に打診しようとした。
扉の先にいたのは、小さな灯りの下作業をしているフィルだった。
「眠れない?」
彼は持っていた筆を置いて、満希をまっすぐ見た。
「……はい」
今更嘘をついてもしかたなく頷いた。
彼は台所に向かい、飲み物を用意しようと棚のコップを手に取った。
台所を気兼ねなく使っている様子から、彼らが長く交流してきたのだろうと満希は感じた。
机の上には文字でびっしり埋まった紙が散らばっていた。
守護人の仕事は、山を歩くだけではないらしい。
あたたかいお茶を渡され、両手で受け取る。
リリンが眠る寝室に戻るわけにはいかずソファに座ると、その隣にフィルが座った。
口をつけると、カラカラになった喉が潤っていく。
「怖い思い、させたかな」
フィルは伏し目がちに自分の手を見つめていた。
何故か彼が気落ちしているように見え、満希は言葉を探す。
当たり障りないことを言おうとして、口を噤む。
隣に座ったフィルは、上辺だけの言葉を今は望んでいないと思ったからだ。
「……そう、ですね」
静かに、囁いた。
満希は眠れなかったことを1つずつ思い返す。
彼女が親指で指の関節をなでる様を、フィルは見つめて言葉を待った。
「ただ、ずいぶん……遠くに来たんだなって、思って」
この世界に来てから、経験したことのないことがたくさんあった。
満希は、魔物や精霊が怖かっただけではない。
祖母といた記憶も、満希がいた裏側の世界も遠くに行ってしまったことに気づいただけだ。
フィルは初めて満希の本当の心に触れた気がした。
いつも凛とした彼女が、取り繕うことなく弱音を口にしている。
やっと彼女はこの世界に来たことを痛感したらしい。
ずいぶん心細かったようだ。
「……はあぁあ〜……」
彼は力が抜けたように、盛大に、長い溜息を吐いた。
満希は思いもよらない反応にぎょっとする。
「よかった……いや、よくはないんだけどさ」
フィルは困ったように、少しだけ安心したように笑った。
いつも気を張ったように伸ばした彼女の背筋に隠されていた本音は、年相応の女の子に見えたから。
「辛いときは、つらいって言っていいんだよ」
満希は息を呑む。
彼の言葉に瞬くと、大粒の涙がぽろぽろと溢れていった。
祖母のお葬式ですら、涙1つ流せなかったというのに、堰を切ったように止まらなかった。
ありきたりな言葉。
そう思うのに、涙はその言葉を待っていたように流れていく。
祖母の死を受け入れることができず、いつの間にかこの世界に迷い込んでしまった。
だけど今。フィルのありきたりな、絶対的な優しさに触れ、満希の中で頑なに止まっていた時間が、音を立てて動き出す。
祖母の指先の温度も、憎らしくも憧れていた妹の声も忘れ始めている。
別れを告げることすらできなかった後悔が、溢れて止まらない。
大事な人たちが自分の手の届かないほど遠くへ消えていってしまった事実が、今になって、猛烈な痛みとなって胸を突き刺した。
「遠くに来た事実は変えられないけど、一緒にこの世界に馴染んでいこう?」
フィルは、そっと満希の手のひらに小さな木の実を転がした。
満希が触れると簡単に蓋が外れ、中からラベンダーのような薬草の香りが漂う。
彼は中をくりぬき、薬草を混ぜたお手製の練り香のようだ。
フィルは、眠れない満希のために作っていた。
「……はい」
満希は胡桃を大事に手のひらで包むと、彼の優しさに触れてまた涙が溢れた。
「ああ~~もう泣くの終わり!」
フィルは乱暴に自分の袖で満希の涙を拭った。
泣いた女の子を慰める方法なんて知らない彼の苦行の策だった。
満希の髪はくしゃくしゃに乱れていたが、彼の不器用さに笑ってしまった。
彼女の真っ白になった指先は、温度を取り戻していた。
「僕もサポートするから」
「……はい」
彼の瞳は、優しさに溢れていた。




