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第5話


 瞼を開けても夜は明けなかった。

 身体は重たいのに、こびりついた不安と雑念が暗闇の中で迷子にする。

 

 フィルが窓際に置いた鉱石が月明かりにきらめき、やがて滲んでいく。

 

 光が恋しかった。


 

 

 長い夜を超えて、部屋を出ると下の階からまな板を叩く音がきこえてきた。台所を覗き込むと、フィルが朝食を作っていた。

 昨日貸してくれた彼の寝巻きが、肩からずり落ちないように襟を引っ張る。


「あ、おはよ」


 振り返ったフィルは、柔らかく笑った。

 家族以外の男と朝を迎えるのはまだ慣れない。気恥ずかしさを覚えながら、寝癖を抑えて挨拶をした。


「起こした?」

 美味しそうな料理に目を奪われながら、満希は首を振った。

「……よく、眠れました」



 数日飲み続けたスープにも、親しみがでてきた。

 中に入っているハーブは、昨日と違うもので毎日違う味がしていた。

 

 ぼんやりする静かな朝だった。

 

 

「今日は山の麓の村に行くんだけど、一緒にどうかな?」


 食器を洗うフィルが提案すると、彼女は深く考えるより先に、興味を惹かれて頷いた。

 サイズの大きい服がずれて満希の華奢な肩が見えそうになり、居心地悪くフィルは視線を逸らした。



 

 満希が身支度を整えている間、フィルは昨晩貸した寝巻きよりも小さいものを彼女に手渡しておいた。これならもう、肩からずり落ちはしないだろう。


 

「……はぁ」

 フィルは無意識にため息をつき、割ったばかりの薪を拾い上げた。


 異性との同居生活は、慣れない。全寮制の学校で乙女心を学ぶ機会もなかった。

 満希の感情を読み取るのは、村の子たちよりも難しい。それに彼女の身体は小さくて……。

 

 フィルは額を押さえ、守護人としての責務を心の中で何度も繰り返した。



「お待たせしました」

 満希の足音が聞こえ、「そろそろ行けそう?」と尋ねるつもりが、言葉に詰まり薪割り用の斧を落としそうになった。


 首元まで覆う服であれば、ずり落ちる心配がないと思った。

 だが、渡した服は体に沿う形状で、どうしても違うところに目がいってしまう。

 

 普段着ている服が、女性らしさを際立たせる素敵な服に見えてしまうなんて。

 フィルは居心地の悪さに顔を伏せた。

 

「……これもどうぞ着てください」

 フィルは彼女を覆い隠すようにローブをかけた。

 彼の過保護な行動に満希は驚きつつ、童心に返った気持ちになった。



「(でも、なんで急に敬語?)」

「(早く、早く服を買ってあげないと……!)」

 

 彼らはすぐに出発することにした。



 

 山道を下っていると、精霊に優しく見送られているような気持ちになり、満希は軽い足取りだった。



「ん?」

 ふいにフィルは、足を止めた。満希も足を止め彼の目線を追い川を見る。

 川が光を反射してきらめいている。


「……少し、川が浅いな」

 フィルがぽつりと溢した。

 満希には、静かに流れるのどかな川の風景にしか見えない。普段の水量を把握しているフィルだから気づく異変だった。

 


 彼は近寄り水をなでるように指先で触れると、水の中に淡い光が揺らめく。蛍のように淡く小さな光だ。


 彼は袖を捲り上げ、腕を水の中へと入れた。すると淡い光が水面を跳ねるように、フィルの周りを舞う。

 彼は何かを聞くように少しだけ首を傾ける。



「この先に倒木があるみたい。降りる前に寄って行かないと」


 フィルは立ち上がり、手袋をはめ直す。

 足取りを速めた彼に、慌てて満希はついていく。

 


「ここだね」

 斜面の下に川が流れ、その周りを木々が囲うように立っていた。

 根がむき出しになった大木が、他の木にもたれかかるように傾いている。川の流れを一部せき止め、傾いた木が少しでもずれたら川へ落ちそうだ。


 

「ちょっと待ってて。応急処置だけするから」


 彼は迷いなく斜面を降りた。足場が悪いのに、その身のこなしは軽やかだった。


 

 大木に触れ、低く何かを唱えると風が流れを変え、光の粒が木に吸い込まれるように沈んでいく。

 離れた場所に木は運ばれ、川は勢いを戻していた。


 

 満希は魔法に釘付けになった。

 光に照らされた彼の真剣な表情は、今朝見たものとは違う。

 

「あとは村の大工に頼むよ」


 満希は、山の守護人をまばたきも忘れて見ていた。




 一本道を下っていくと、山の斜面が途切れた先に箱庭のような村が広がっていた。

 

「あの村だよ」


 

 朝方まで山全体を支配していた霧は、岩壁に白いリボンを置き忘れたかのように、はるか上空に退いている。

 早朝だけこの村に霧がかかる。太陽が高く昇る頃には、空気は透き通り石畳の上に建物の影を落としていた。


 村には、川が運んだ丸い石の道が敷かれている。歩くたびに、靴底に大地の凹凸が伝わった。

 並び立つ家々は、厚い木材と素朴な石を積み上げて造られていた。名も知らない野花が窓辺に飾られ揺れている。

 

 古い木が日を吸い込み、穏やかな匂いが漂っていた。


 

 

 フィルは青い扉の家に入った。

 来客を知らせる呼び鈴がカランコロンと音をならす。


 扉を開けると、素朴な木綿の匂いが鼻をくすぐった。

 店内の壁は、フィルの背丈よりも高い棚で埋め尽くされていた。巻かれたままの重厚な反物や、丁寧に畳まれた色とりどりの生地が、整然と並んでいる。


 奥の大きなカウンターには、鋏や色とりどりの糸を刺した針山と無造作に広げられた縫い途中の服がある。

 どうやら仕立て屋のようだ。


 

「珍しいねぇ、フィル」


 奥から柔らかな声の老女が現れた。

 老女の銀色の髪は、後ろで丁寧にひとつに編み込まれている。

 さらに奥にいる彼女の孫娘はおさげを揺らし色とりどりの糸が巻かれた古い木製のボビンを並べていた。



「この子の服を何点か見繕ってほしいんだ」


 店主のサリーは満希を下から上まで見ると、少し驚いたような顔をした。



「裏人は久しぶりだねえ。もう十年以上前になるわ」

 

 今度は満希とフィルが驚く番だった。

 裏人だと一目でわかる大きな特徴はない。不思議な人だと満希は感じた。


「私が前の裏人さんに、一番丈夫な布で服を縫ってあげたのよ」

 

 傍らにあった羽ペンで紙に何かを描いていく。

 なめらかな曲線がやわらかにつながり、みるみるうちに服の形を描いていく。あざやかな職人技に、満希は息を呑んだ。


 

「あとはお願いします。僕はさっきの倒木の件や、必要なものを買ってくるよ」

 フィルは店を出ると、村の人と話す声がすぐに聞こえてきた。



「これ、お兄ちゃんの服?」


 サイズの大きいズボンの裾を控えめに引っ張られる。孫娘のリリンは、大きな目をぱちくりとさせ満希に話しかけた。

「そうだよ」満希はとびきり優しい声を漏らし、リリンと目を合わせた。


「全然合ってないよ」


 無垢な顔ではっきりと告げられ、満希の笑顔がひきつる。

 鏡に映った暗い森の色をした自身の姿は、ちぐはぐな迷子の姿だった。

 フィルが視線を逸らしたことを思い出し、似合っていないと痛感する。



「おねえちゃんは、これがいいよ」


 店内の奥に、控えめな光を浴びて吊るされたワンピースを指さした。

 

 言われるがまま鏡に向けて自分に合わせると、ひざ下丈が好みだ。元の世界では着る機会がなかった緑のワンピースを見ながら、山の色をした彼を思い出す。


 

「私、これにする」

「これなら丈がちょうどいいもんね」


 リリンはあどけなく笑う。

 先ほどの『合っていない』は、丈のことだと気が付き満希はくすりと笑った。

 その後も小さな店員の見事な手腕により、何点か選んでもらった。



「お姉ちゃんはどこにすむの?」


 リリンの純朴な瞳が満希をのぞき込んだ。すみれ色のまん丸な瞳に呑まれそうになり、慌てて呼吸をする。

 彼女の問いは、満希の難問だった。


「まだ決めてないよ」

「ここの村は?」


 すっかり打ち解けたリリンは満希の手をぎゅっと握り、魅力的な誘惑をした。

「それも……いいね」

 息を忘れた満希は手を握り返した。

 すみれ色の瞳には、少女の魅力に耐えようとする自分の姿が映っていた。


 

 いつの間にか服の型紙が完成したサリーは、布を切り始めていた。慣れた職人の技は魔法のようだった。

 布を切るサリーの瞳は真剣で、何を考えているのか窺い知れなかった。


「あのね、霧神様もおにいちゃんもいるから住みやすいの!」

 リリンの話を満希は頷いて聞いた。


「霧神様のお導きを守護人がカタチにするから!」

 

 満希は目を瞬く。

 勝手に山の管理人だと思っていたフィルが、神様のもと働いていると知ったからだ。

 霧神様に会ったことがあると言ったことも、腑に落ちた。

 

 

「山の守護人はこの村から選ばれるの」

 サリーは針を動かしながら言った。

 

「フィルさんは、この村の産まれなんですか?」

「そうよ。この村から選ばれ、山神様に認められて初めて守護人になるの」

「どうやって認められるんですか?」


「さあ?山神様の思し召しさ」


 フィルが次期と繰り返していた事を思い出す。

 彼は守護人になる運命だが、まだ正式には認められていない。

 彼の気持ちを想像するのは容易く、胸が締め付けられるようだった。だが同時に羨ましさがよぎる。



「もしお姉ちゃんが村に住んだら、毎日あいにいく!」


 素直で可愛いリリンに敗北だった。歓喜の声を喉に押しこみ、「私も」と伝えるのがやっとだった。

 

「そのときお姉ちゃんは、どのスカート履くのかな?」

 先ほど選んだスカートをリリンは、嬉しそうに眺めた。


 どんな服を着て何をしているか。満希は、未来を想像できなかった。


 

 鏡に映る自分は、まだ何の色でもない。

 本来の「役割」を脱ぎ捨てて、彼女はただの「迷子」になった。


「……どうしようかな」


 自分で色を選び、自分で居場所を決める。

 そのあまりの重さに、満希は立ち竦んでいた。


 自由なはずなのに、足元がひどく頼りなかった。


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