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はじまりの森 04


 仕事を手伝うというよりは、山の散策だった。

 

 フィルは時折、熱心に木々の間を見つめ、木に吊るされた鉱石を木槌で叩いた。

 彼の不思議な儀式を見つめることしかできない満希は、手持ち無沙汰だった。

 

 彼なりの客人への気遣いだとわかってはいるが、不甲斐なく内心で唇を尖らせるしかなかった。



 

 山道は、迷子になった日よりずっと穏やかだった。

 あの日は行き先のわからない道に疲れていた気もするし、今日はフィルが歩きやすい道を選んでいるのかもしれない。

 

 奥へと進むほど、精霊たちが楽しげに彼女たちのそばを通り過ぎていく。


 

「あの、……精霊って生きているんですか?」

 

「えっ!」

 

 フィルが信じられないという表情を見て、的外れなことを言ったのだと察した。

 喉が詰まるような気持ちで、胸元の服をぎゅっと握った。

 表情には出さないが、服皺が寄るのも気づかないほど動揺していた。

 

「……もしかして表側の世界は、精霊いないの?」


 満希は少し思案した後に、慎重に言葉を選んだ。

「私の知る限りでは……」

 

「そうなんだ……」

 フィルは丸くした目を瞬き、困ったように頭を掻いた。


 

「生きてるよ。精霊は、自然や物に宿る魂。精霊の力を僕らは『魔力』と呼んでいるよ」

 

 精霊は、フィルの言葉を聞いているように、二人の周りを舞っていた。


「眠ったミツキに集まったのも、君のことが大好きで心配していただけなんだよ」

 そう言われて嫌な気分にはならない。

 近くを舞う精霊を目で追った。


 

「『キリガミ』様っていうのは……?」

 先ほど気になった言葉を口にした。


「神様だよ。この山には、霧神様と呼ばれる山神様が住んでいるんだ」

 

 今度は満希が驚く番だった。

 しかしこの山に足を踏み入れた際に、恐怖を感じなかった理由が腑に落ちた。


 やわらかく、ひんやりとしているのに、不思議と包み込まれるようなあの感覚を思い出す。


 

「神様がいる山は精霊が集まるんだ。最近は精霊が多すぎるくらいでね」

「そう、ですか……」


 フィルの声よりも自身の鼓動が大きくなっていくのを感じ、目を閉じて息を長く吐いた。


 

「その山神様に会ったこと、あるんですか?」

 

「うん、あるよ。結構わがままなんだ」


 

 満希は、雷を打たれたかのような衝撃だった。

 唇の震えを噛み殺し、自分の息に集中した。


 足を止めたせいでフィルに置いて行かれそうになり、慌てて背中を追った。


 

 汗をぬぐいながら、彼は楽しそうに木々を労っている。

 満希は彼に追いつき、呟いた。

 

「……大変なお役目、ですね」

「ん?ああ、これ?」

 草花をのぞき込む彼の表情は見えない。


 

 「僕が、やりたくてやってるんだ」

 

 楽しそうな声が響く。

 彼が先ほどよりも眩しく思えたと同時に、満希は薄暗い気持ちを隠して頭を振った。

 彼女の指先は、複雑な感情で小さく震えていた。

 

 「もしミツキも、この世界でやりたいことが見つかったら教えてね。僕、手伝うから」

 フィルは草花から顔を上げ、まっすぐな目でそう言った。



(やりたいこと……)


 そんなこと考えたこともなかった。

 長年、求められる役割を演じるだけで精一杯だった日々が脳裏をよぎる。

 自分の意志で何かを望むなんて、とうに忘れてしまっていた。


「……今はまだ、よくわかりません」

 満希は俯き、どこか諦めたように小さく呟いた。

 

 

 「じゃあ、これからゆっくり探せばいいね」


 事もなげに、彼は彼女に向かって採取した薬草を手渡した。

 薬草を受け取った彼女はさらに俯き、震えた声で小さく呟いた。

 「……そうですね」


 


 

 日が暮れてからログハウスに戻り、寝る準備を始めた。

 満希は風呂上がりに、借りた服に袖を通すと、手元は完全に隠れてしまった。


 長い袖を何度も二の腕まで上げて皿洗いをしていると、フィルが隣に立った。

 


 「やっぱり僕の服は大きいね」

 

 フィルは自然に彼女の腕をとり、袖口を折り返した。

 丁寧に同じ幅で繰り返されていく袖口を眺めていると、彼は何かに気が付いたように、すぐに手を離した。

 

「……ごめん」

 無意識だった。わざとじゃない。本当にごめん。と両手を挙げた彼に、満希は小さく笑う。

 満員電車で無罪と主張するサラリーマンのような必死さだった。


 満希が初めてまともに笑ってくれたことに、フィルは安堵した。


 

「私も妹に同じことしました」

 

 フィルは彼女の横顔を盗み見る。

 彼女の瞳は、元の世界に戻れない絶望感というよりは、優しい過去を思い出しているものだった。

 

「優しいね」

「……けっこう昔ですけどね」

 

 くすぐったい気持ちをごまかすように、皿洗いを再開した。

 満希は途中まで折られた袖を折り返すと、袖は先ほどよりも落ちなくなった。

 

 さっき、彼の温度は掠めなかった。

 水道から流れる水が、指の間からすり抜けていった。


 


 

「あれ?」

 

 自室に戻ったはずのフィルの声に驚いて、今朝のように満希は飛び起きた。

 皿洗いを終えソファに座ってから記憶がない。

 

「……わたし、寝てた?」

 少し乱れた髪を整えながら、愕然とした。

 人様のお宅で寝坊や居眠りを何度もするほど、自分が体たらくになってしまったのかと。

 

「疲れちゃったかな?」

 フィルはお茶を飲む準備を始めた。

 

 台所へ向かう彼の背中に向かって礼を言おうとした、その時だった。


 

 突如、世界がぐにゃりと1回転する。

 

 

 激しい耳鳴りがして、視界が真っ暗に染まる。

 鼓動だけが耳元でどくどくと響き、息がうまく吸えなかった。

 苦しさに耐えかねて、満希はその場に崩れ落ちた。


「ミツキ……?!」

 

 遠くでフィルの声が響く。

 気づけば、彼は見たこともないほど焦燥した様子で、満希を覗き込んでいる。

 当の本人は、なぜ床に座り込んで息切れしていることも分からず、呆然としていた。


 

「顔、真っ青だよ」

 尋ねる彼の顔も青白いと思った。

 なんとか小さく頷いて、彼の言葉に応える。

 

 次第に呼吸は落ち着いてきたが、まだ胸のつかえが取れない。

 吐き気かと思ったが、これは違う。

 

 胸のざわめきだ。

 

 

 ――精霊が集まると、魔力が歪み毒になる。

 

 今朝の精霊たちとは比べものにならない『巨大な魔力』だと、本能が悲鳴を上げていた。

 外に、とんでもないものがいる。

 

 

「……来たか」


 彼の低い声が響いた。いつものやさしい声音ではない。

 窓の外を鋭く見つめる横顔は、普段ののんびりとした彼からは、想像もつかないほど無表情だった。


 

 満希は、自分の目を疑った。

 窓から見える深い霧の中、巨大な影がうごめいた。

 

 足音や地響きもしない。

 家より遥かに巨大な『何か』が、家のそばを通り過ぎていく。

 家そのものが息を潜めたように静まり返り、精霊たちが怯えたように隠れていく。

 

 満希は幽霊など苦手だったが、そういう怖さではない。

 もっと壮大で、得体の知れない恐怖。

 

 

 満希は咄嗟に上がった悲鳴を、手のひらで押し殺した。

 全身が粟立ち、心臓が痛いほど早鐘を打つ。

 

 脳を揺らすような不快な圧迫感に耐えかねて、早く時間が過ぎて欲しいと祈るように、目を強く瞑った。



 

「……もう大丈夫だよ」

 気づけば、いつの間にか気配は消えていた。

 満希の顔を覗き込むフィルは、いつもの心配そうな優しい顔に戻っている。


「い、今のは……何、ですか?」

 満希は怖さのあまり普段の冷静さを忘れて、フィルに詰め寄った。

 

 すぐ目の前で訴えかけてくる満希に、フィルがぎょっした。

 彼は耳を赤くして、彼女の両肩を優しく掴むと、さりげなく拒むように距離を取った。


 

 フィルはしばらく、どう説明しようか考えていた。

 首を右左にひねっては、脳裏でああでもこうでもないと考えている様子が、その端正な眉の間に表れている。


「……うーん、説明が難しいなあ」

 拍子抜けするほど穏やかなフィルの姿に、満希は落ち着きを取り戻した。


 

「……うまく言えないけど、ミツキには指一本触れさせないから大丈夫だよ」

 

 安心すべきなのか、はぐらかされたことを追及すべきなのか分からなかった。

 

 満希は歯切れの悪い気持ちのまま、自分の胸元をぎゅっと握りしめた。

 せめて謎の生物の正体だけでも知りたかった。


 

「お茶を飲んだら、部屋で寝よう。もう遅いからね」


 これで話が終わりだというばかりに何もなかったかのように台所へと戻って行った。

 

 彼にとって話せない秘密であれば、余計気になってしまう。

 けれど迷子の自分は、首を突っ込まない方が賢明なのだ。

 満希は差し出された温かいお茶のカップを受け取り、静かに目を伏せるしかなかった。


 

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